Another One 異世界から来た種族の話 -b-
「もともと俺がいた世界は、こことはまったくちがっていた。
魔物も精霊もいないし、人間以外の《種族》というのもいなかった。もっと科学技術が発達していて、さまざまな機械や建物や交通手段があった。遠く離れた人と顔を見ながら話す道具や、広い海を何百人も載せて運べる乗り物や、多くの人や物を一瞬で消し炭にしてしまう兵器もあった。
まあ俺はどれの専門家でもないから、それがどういう原理で動いているのか説明できないんだが」
レヲは驚きに目を見開いた。
一方のヴラムは沈黙した。
「その世界で、俺は比較的平和で先進的な国に住んでいた。
その頃は、無職でひきこもりで童貞でロリコンだった。いま思い出しても、本当にどうしようもないやつだったよ。
正直、人生に絶望していた。いや、諦めていたというべきかな。
そんなある日、大きな出来事があった。俺はコンビニに行こうとめずらしく外出して、その途中でトラックに轢かれて死んでしまったんだ。正しくは、その世界では死んでしまった、ということかな。
なぜか死んだはずの俺の前に女神が現れ、俺が選ばれし者であると言われた。そして目が覚めると、俺はこの世界にいた。フィクションではこのテの話を知っていたけど、まさか本当に自分がそんな目に合うとはね。いわゆる異世界転生ってやつさ」
レヲはとりあえずうなずいた。
なにが“いわゆる”なのかはわからなかった。
もしかしたらどこかの都では常識なのかもしれない。
話にもときどきわからない単語が出てきた。
《とらっく》というのは轢かれて死ぬくらいだから、おそらく馬車の類なのだろうとレヲは解釈した。それ以外の《どうてい》《ろりこん》といった言葉については、あとでヴラムに教えてもらおうと思った。
「最初はさすがに戸惑ったよ。なにせ、俺は元の世界ではなんの能力もない、凡庸以下の人間だったから。こんな異世界でやっていけるのかどうか不安だった。だけど俺は転生と同時に、女神からひとつの特別な力を与えられていた。
それが《万能のスキル》だった」
「それは、どういったものなんですか?」
「文字通り、《万能》なのさ」
「……はい」
「つまり、望むものがなんでも手に入る力だ」
「なるほど」
レヲはうなずき、話を促した。
「俺はもとの世界に戻りたいとまったく思わなかった。この異世界に興味があったし、なにより《万能のスキル》があったからな。
そこで俺はまず、女を手に入れることにした。
もとの世界では50年も縁がなかったけど、俺は《万能のスキル》で、どんな女も一目見ただけで一生俺に惚れてしまうという魔法を使った。まあ魔法というか相手にとっては呪いかもしれないけど。そうして次々に女をものにしていったよ。
美人の町娘から、踊り子、娼婦、女騎士、アマゾネス、魔女、くの一、シスター、巫女、姫……。やがてそれにも飽き足らず、エルフ、ダークエルフ、猫娘、サキュバス、人魚、ラミア、セイレーンなど《種族》を問わず、多くの愛を手に入れた」
男は懐かしそうに語った。
「女に満足した俺は、次に冒険者になることにした。
俺は《万能のスキル》で、この世界にある最強のステータスと最強の装備と最強のアイテムをすべて揃えた。そして、多くの凄腕の冒険者たちが手こずっている最高難度のダンジョンを999階層、最深部まで一気に攻略し、俺は一夜にして最強で最高ランクの冒険者になった」
男は勇ましげに語った。
「次に俺は、とある国の軍師になることにした。
もちろん、自分で戦えばどんな大軍だろうと一瞬で倒すことができたけどね。俺は《万能のスキル》により、敵軍の指揮官がなにを考えているのか、それと戦場にいる自軍や敵軍の配置を頭のなかでリアルタイムでわかるようにして、さらに好きなだけ増援が呼べるようにした。そして俺は無敗の軍師となった。いやぁ、人間を駒として使うのは楽しかったよ。あ、怪我人や死者は、《万能のスキル》であとで元に戻してあげたよ。さすがに良心が咎めたからね」
男は楽しそうに語った。
「次に俺は、ひとつの大きな国を治めることにした。
つまり国王になった。そろそろ、政治というものに興味が出てきたんだ。だけど、俺にはそんな知識はなにもなかった。なにせ元々はただの無職のひきこもりだから。とりあえず俺はまず、民がどんな不満を抱いているか、それを調べて多い順から解決するようにした。もちろん、解決には《万能のスキル》を使った。さらに、政治家たちの間でどんな腐敗が生じているのかを、《万能のスキル》で本人たちにすべて白状させて、全員処分した。それからほかの国の国王を操って、俺の国に一方的に有利な条約を結ばせた。何度も暗殺されかけたけど、すべて返り討ちにした。そんなこんなをしているうちに、俺の国は世界で一番豊かな国になった。すぐに俺は、歴史上もっとも尊敬される偉大な国王になったよ」
男は満足そうに語った。
「次に俺は、べつの国で商人となり、自分の店を持つことにした。
だが商売なんてしたことなかった俺がどうしたのかというと――」
「もしかして、《万能のスキル》を使った」
「そう。よくわかったな」
レヲは慎ましやかにうなずき、話を促した。
「世界で一番の大富豪になった俺は、まだほかにしたことがなかったことを考えた。
そして国や人々に敵対してみることにした。《万能のスキル》ですべての魔物の主となり、魔物の数を増やし、魔物を強化し、それ以外の《種族》には貧困と病を広めた。一時期は、魔王と呼ばれていたこともあった。俺は自分の城で、冒険者や勇者と呼ばれる存在が俺を倒しにくるのを気長に待った。だけど《万能のスキル》があるから、俺を倒せるやつはいなかった。結局、俺は自分が倒されたことにして、人々に敵対することをやめた」
男は残念そうに語った。
そこでレヲは、さきほどの男の姿を思い出した。
「ひとつ、聞いてもいいですか?」
「なにかな」
「どうしてさきほど襲われていたとき、その力を使わなかったんですか?」
「ああ、そのことか。それは、そのあとの話に関係している」
「それは、どういうことですか?」
「実はそれからまた、俺はあるひとつの決断をしたんだ。どういうことかというと、つまり、《万能のスキル》を捨てることにしたんだ」
「それは、どうしてですか?」
レヲが尋ねると、男は答えた。
「飽きたんだよ」
「なにもかもが思い通りになるということは、まあつまりはなにも起きないということに等しかった。すぐに退屈でどうしようもなくなった。
いや、退屈なだけならまだよかった。一番きつかったのは、俺のことをわかってくれる者などこの世界にはだれひとり存在しないということに気付いてしまったんだ。俺はみんなと、あまりにちがいすぎた。俺は特別なことはなにも欲しくなかった。
俺は……みんなと同じになりたかった」
男はこれまでとは違い、複雑な表情で語った。
「そこで俺は、自分から《万能のスキル》を封印にすることにした。
最初は自分で自制して《万能のスキル》を使わないようにしてみたよ。だけど、どんなに決意を固くしても、すこし苦しくなるとすぐに《万能のスキル》に頼ってしまって、結局は同じだった。そんな自分に嫌気がさして、俺はより苦しむようになった。そんな状態が何年も続き、ついに俺は、永遠にこの力を捨て、すべてをリセットする決意をした。
最後の最後に、俺は《万能のスキル》で時間を戻すことにしたんだ。俺がこの世界に転生してきた日に」
「そんなことが?」
「ああ、できるさ。なにせ《万能のスキル》だからな。
俺は、もとの世界にいたときとたいして変わらない人間になったよ。そしてなにをしたいかもう一度よく考えて、俺はあらためて冒険者を志した。もう一度冒険者ギルドを訪れ、すべてにいちから挑戦してみることにした。そしてその途中で、こうしてこの森で魔物に襲われていたってわけさ。
情けない話だろう? 《万能のスキル》がなかったら、所詮まだまだこの程度だってことなんだよ」
男は恥ずかしそうに、しかしどこか嬉しそうに語った。
「たしかに今日みたいに失敗することもある。でも、そのおかげで俺はまたひとつ学ぶことができた。だから次は失敗しないぞと思えるし、続けようとも思える。まあもしかしたら、やっぱり自分に冒険者は無理だって諦めるかもしれないけど。でもそれでもいいんだよ。
とにかく、いまは日々がとても充実している。なにせ、俺はほかのみんなと同じ存在なんだから。これが俺が本当に欲しかったものなんだって、ようやく気づくことができたんだよ」
話を終え、男は大きく息をついた。
「とんでもない話をしてすまない。聞いてくれてありがとう」
「いえ、すごいです。本当にすごいお話でした」
レヲは興奮していた。
一方のヴラムはやはり黙っていた。
「こんな《種族》に出会えるなんて、思っていませんでした。ぼくのほうこそ、本当にありがとうございます」
「そ、そうか……。そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ」
男は照れたように頭をかいた。
やがてしばらく黙り込んだあと、
「なぁ、レヲさん」
「はい」
「よかったら……その、一緒にどうかな」
「なにをですか?」
「その、俺と一緒に、冒険者になってみないか?」
男はすこし頬を赤らめながら言った。
レヲを見る視線には、人間の男のものらしいそれがあった。
レヲは嬉しそうにも嫌そうにもせずに、
「すみませんが、お断りします」
と答えた。
男は一瞬だけショックを受けたように息をのみ、目を泳がせた。
「そうか……。いや、妙なことを言ったな。失礼した。ははっ、まあこういう風に思いどおりにいかないからこそ、楽しいんだろうな」
男は名残惜しそうな、しかし晴れやかな表情で言った。
レヲは男と別れ、ふたたび森のなかを進みはじめた。
足取りは弾んでいる。レヲはいまだ興奮冷めやらぬという様子だった。
「マスターの言った通り、世界には本当にいろいろな《種族》がいるね」
「……レヲよ」
しばらくぶりにヴラムが口を開いた。
「なに?」
「さきほどの男の話、感銘を受けているところを水を差すようじゃが、あまりにも荒唐無稽すぎる。わらわも長い年月を生きてはおるが、あんな話など聞いたこともあらん。おぬし、本当にあんなヨタ話が現実にあったことだと信じたのかえ?」
「え?」
「ん?」
レヲとヴラムは互いに沈黙した。
やがて、ヴラムが困惑の気配をただよわせる。
「おぬし、あやつの話を信じたのではないのか?」
「ううん」
「では、おぬしはいったいなにに感動したのじゃ?」
するとレヲは答えた。
「もちろん、あんなお話を作れる《種族》がいるってことにだよ」