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強行、第二。  作者: 水城
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Scene  17

Scene  17




いつものようにまったりとした、幸村班の昼下がり。

川本はプログラミングに精を出し、真山は読書に励む。


本橋は、伊織に丸投げされたホステス強盗傷害事件の復命書を起していた。

時々、伊織になにがしかの確認を取ろうとして、何となく、それを思いとどまっている。


そんな中、伊織は『政官要覧』を熟読していた。


半ページ程度に纏められた、吉永行善の経歴。

六十歳そこそこで、衆議院当選回数は十回を数え、親戚筋には、政治家、実業家、宮家までが並ぶ。

外交政策部会長から外交委員長と、基本、トントンと順調に外交畑を上がりつつ、院内では、定期的に商工委員会などにも回っている。


だが、かなり前に、なぜか吉永は、外務省批判をやらかしていた。

その後に、外交官試験が国I試験に統合されたこともあり、当時、あちこちの週刊誌で、吉永と外務省との関係に関する憶測が書き立てられたことは、政治オンチの伊織でも記憶している。


ハーバード・ビジネス・スクール卒。すなわち、MBA保持者。

米国留学する政治家は、めずらしくはないが、官僚OBでもないのに、しっかり卒業してきたのというのは、なかなか立派なものだ。

誕生日は、九月八日。


「乙女座、かあ」


ぽつり、伊織が呟く。

背後の井筒班は、相変わらずキビキビと働いている。

そんな中を通り抜け、園山が急ぎ足で、川本と伊織の席にやってきた。


「おいおい! ちょっと、急展開だぜ?」


幸村班の机の島で、顔を上げたのは、本橋だけだった。

だが、そんな事にはめげず、園山は話を続ける。


「ほら、根岸の件だよ。あの課付き室長、生原義男が、一課に逮捕されたってさ!」


川本は黙して、関数電卓を叩いている。

園山は、伊織の顔を覗き込んだ。それを避けながら、伊織がアニメ声を、低く押し殺して言う。

「……知ってる」

「へ?!」

素っ頓狂な返事を返す園山に向って、伊織は、今度は声を張った。

「だって、居たもん!」


「はいー?」

園山と同時に、本橋も奇声を上げる。


「だから、居合わせたんだ。生原逮捕の現場にな」

川本が、静かに付け足す。


「ええー?!!」

園山と本橋の上げた大声に、隣の井筒班員たちも、思わず、幸村班を振り返ってフリーズする。


と、真山が本に目を落としたまま口を開いた。


「その『外務省さん』はどういう、イキサツでお縄になったんだ?」


園山が『よくぞ聞いてくれた』とばかりに頷いて、勢い込む。

「生原にさ、根岸殺しを依頼されたって男が、自首してきたんだそうだ。そいつによると、やっぱ、生原室長は、根岸のヤツに強請られてたらしいぜ?」


「……なんか、展開、突然っすね?」

本橋が目を丸くしている。


「しっぽ切りさ」

嘲笑めいた口調で、川本が言う。


怪訝そうに自分を見つめる園山の顔を見つめ返して、川本が続ける。

「……トカゲのしっぽ切りってことだ。園山、生原の容疑、根岸の殺人教唆と児ポ法違反だっただろう。ポルノの件については、何か、具体的に知ってるか?」


「根岸から買った『児童ポルノDVD』がさ、生原の自宅から出てきたらしいぜ。そんで本庁からウチに照会かかって、今回の顛末が分かったって訳よ。それが強請のネタってわけなんだろうけどさ? しっかし、仮にも国際組織犯罪対策室長とかって立派な名前の役職の奴が、そんなことやってどうすんだっつうの」


「生原の家宅捜索やって、ブツを押さえたのはどこだ。おそらく保安課じゃなくて、一課だろう?」

川本が続けて訊ねると、園山がすぐに応じた。

「ああ、そうそう。まずは『殺人依頼』ってことで、生原のガサ入れ入ったからな。そん時に、一課がブツも見つけたってことらしい」


「……生原が持ってた『その手のポルノ』が、根岸から買った一枚だけってこともないだろう」

川本が呟く。

「あ? ああ、それなりに色々とコレクションしてたんだろうな、詳しいことは聞いちゃいないが?」

園山が曖昧に応じる。


「よくもまあ都合良く、生原の家でそんなすぐに、根岸から買った『皿』が見つかったもんだ……」

「何? かわもっちゃん。あ、もしかして一課の『仕込み』だって言いたいワケ?! まさかそんな」

慌てふためく園山に肩をすくめてみせると、川本はプログラミングに戻る。


と、ずっと黙り込んでいた伊織が、口を開いた。

「……生原室長の逮捕容疑は、根岸の殺人の共犯と児ポ法違反だけだよね。ま、タイでの児童買春は、判ったところでどうせ時効だけどさ。でも、ビューの件は? スリヤの転落死はどうなるの? 立件されないの?」


園山が伊織に向き直る。

「スリヤと根岸を繋ぐのは、かわもっちゃんがずっと気にしてた、例の『指輪』だけだろ? 『根岸殺し』と『タイ人留学生の転落死』を結びつけて捜査しなきゃならん理由は、一課にゃねえのよ、伊織ちゃん」

「でも。うちが科警研に頼んだ土の鑑定結果があるよ? 柏木ビルの履き物痕だって。誰かが、足跡偽造して、根岸にビュー殺しの罪を着せようとしたんだし」

「そう、そうっすよ」

勢い込む伊織の言葉に、すかさず相槌を打ったのは、本橋だった。


ノートパソコンの液晶モニタに視線を落としたまま、川本がぼそりと口を開く。

「そんな物……『スリヤ殺しは根岸じゃない』事が立証出来るだけだ。ごまんとある根岸と同じ靴を履いた誰かが、柏木ビルの屋上にいたってことを示すだけなんだよ、所詮」


真山が、手にした文庫本を机の上に伏せる。

「まあ、単なる想像なんだがな。その自首してきた根岸殺しの実行犯ってヤツが、タイ人も殺ったんだろうよ、大方のところ。ビル屋上の足跡をつけたブーツは、自首する時にすでに処分済ってとこだな」


「じゃあ、何? ビューは殺された可能性高いのに、立件はずるずる見送りなわけ?! タイ人、死に損じゃん」

伊織が声を荒げた。


「大体ね、左利きの根岸を右手で殺しといて、自殺を偽造しようなんて。そんな杜撰な事やってるヤツなんだよ、犯人は?! 調べれば絶対、立件でき……」


園山に肩を数回叩かれて、伊織が口をつぐむ。

そして、園山はそのまま黙って、部屋を去っていった。


「こんなことは言いたくないが。今回は、どうしようもないかもな……」

無念さがにじむ声で、真山が呟く。


そして、ふたたび本を手に取ると、少しだけ声を明るくして付け足した。

「まあ、こういうこともあるさ。そのうち、ひょんなことからネタは回ってくる。そのうちにな……」



   *



「こちら、お返しします」

川本が胸ポケットから、スリヤの指輪の入った保全袋を取り出す。


「確かに」

バトラー山崎が、差し出されたビニールを丁寧に両手で受け取った。

伊織は、鑑識係の帳簿に記名している。


「県警から来た『生もの』の件は、急転直下、一課が犯人を確保したと聞きました……」


世間話の一環といった風に、さりげなく、バトラーが口にする。

「結局、こちらの指輪は何だったのでございましょうね……」


「……なんだったんだろうな」

川本が呟くように応じた。


「あのさ……」

伊織が、言いかけてやめる。

そして、首を傾げるバトラーに、無言のまま帳簿を返し、鑑識係の部屋を出て行った。


伊織の後を、川本が追う。


すぐに追いついて、自分の横に並んだ川本に、伊織がぽつりと訊ねた。

「吉永幹事長って、指輪とかしてた?」


「え?」

唐突すぎる質問に、川本は面食らって絶句する。

伊織は、軽く首を振って見せた。


「ううん、いい。真山さんに聞いてみるよ」



   *



新宿中央警察署。五時を報せるチャイムは、『遠き山に日は落ちて』だ。


本橋が、わざとらしく携帯をチェックしながら、そそくさと部屋を出ていった。

真山はいつもどおり、さっさと帰り支度をしている。

その真山に、伊織が声をかけた。


「あの……与党幹事長の吉永行善について、ちょっと教えてもらいたいんですけど……」



   *



「指輪?」

真山が眉をひそめる。伊織が説明を付け足した。

「そう、台座が一センチくらいはある、腕の辺りにも色々彫り込んであるような。ブルーの石の付いた……」


「さて……記憶にないなあ。第一、そんな目立つ物着けてたら、写真やらテレビで映るときに、すぐ判るはずなんだが。で、何でそんなことを?」

真山に訊ね返され、伊織は言葉を濁す。


それ以上は、真山も追及しなかった。しかし、ふと思いついたように、こう付け足す。


「……ほら、吉永の家は貿易なんかやってて。たしかか、行善も留学してたろう? 若い時分は、もしかしたら、そんな指輪なんかもしてたのかもしれないぜ? あとは、外遊先とかプライベートではな……昔っから、吉永は洋物かぶれなところが『坊ちゃんぽくて厭味だ』なんて批判もあったくらいだから。そういうシャレっ気のある物は、少なくとも公の場では、しないんじゃないかねえ」



   *



ひと気のなくなった刑事課で、伊織がパソコンに向っていた。

ネットで、画像を検索している。


そんな伊織に、川本がちらりと視線を走らせた。

そして、黒のハーフコートを着込み、伊織の背中に「お先」と声を掛け、部屋を出て行く。


刑事課の鉄扉が、重い音を立てて閉まった。


室内には、伊織だけが残された。



   *



昼前。新宿中央署屋上。

からりと乾いた初冬の空気は、晴天の下でもひんやりと冷たい。


タンクや換気扇、変電パネルをおさめた箱部屋やらの隙間に填まり込むようにして、黒のトレンチ姿の伊織がしゃがみ込んでいる。


ふと、伊織の目の前に、自分のとは違う影法師が近づいた。


「……んなとこで、油売ってたのかよ」


川本が、伊織の傍に歩み寄る。

両手には缶コーヒー。

ひとつは激甘、もう一つは無糖ブラックだ。


「お前、昨日から、何考えてる」

伊織の手に無糖ブラックを押し付け、自分は激甘の方のプルトップを開けながら、川本がぼそり言う。


「うーん……」

伊織は暖でも取るかのように、両手で缶コーヒーを包み込んだ。


川本は、しばし無言のまま、缶を口に運ぶ。


「……あのさ」

伊織がもごっと口を開いた。


「あのメンバーの中で……ニコちゃんが昨日、マッチ箱の中に仕込んでた、あの紙に名前があったおっさんたちの中でさ。クラスリングと関係がありそうなのって、吉永だけなんだよね」


吉永は、旧家の出、留学経験もある。最終学歴は、HBSハーバード・ビジネススクールだ。

だが、一方、田原次長も、立原も生原も。

旧帝大系の国立大か、国内の有名私大の卒業生だった。


「……それで?」

川本が低く言う。話を促しているつもりのようだ。


「ペドフィリアだってこと、ばらされて困るのは、おっさんたち、みんな一緒だけどさ。それでも、一番失うものが多いのは、まあ、吉永だよね? だからさ、吉永が指輪してる写真とか……ネットに転がってないかとか思って」


独り言のような伊織の言葉を、川本は、ただ黙って聞いている。


「もちろん、そんな古い写真は、なかなかネットに出回ってないし、最近の写真じゃ、してるのは結婚指輪だけだったけど」


伊織は、また口をつぐむ。

そして、しばらく黙った後、ふと思い出したように、手にしている缶コーヒーを開けた。


ちょっとした突風が、屋上を渡る。

コートを着ていない川本が、思わず肩をすくめた。


それから、空になった自分の缶を、スーツのポケットに突っ込み、川本は言った。

「……で?」

「乙女座なんだよ」


「あ?」

伊織の唐突な言葉に、さすがに川本も、少々苛立った声を上げる。


「九月生まれなの、吉永は。だから、もし、クラスリング作るとすれば、青い石を入れるはず」


川本が、小さく息を飲む。

が、すぐに気を取り直して、こう応じた。


「だが……スリヤの指輪は、ごく最近卒業したヤツのモンだって言ってなかったか、お前? それに、あれはUCLAのリングだとかって」


「うん……」

ひとくちコーヒーを飲み、伊織は続ける。


「でも、HBSのもUCLAのも。どっちのクラスリングも、割と、ありきたりな形なんだよ。クラスリングのことなんか、なんにも知らない人からすれば、同じような物に見えるかも」


思わず、川本が目を見開く。


「持ち主の学校名や卒年やら、学部やらイニシャルやらが、彫りこんである、学校ごとにデザインの違う指輪だなんて知らなきゃ、どっちも、ただのゴテゴテした青い石の指輪だもの……」


「とはいえ、クラスリングって物がどんなモンか知ってる人間にしてみりゃ、その指輪から、持ち主を特定することだって、そう難しくはないんだろ?」


川本がこう訊ねると、伊織が頷いた。


「学部に卒年、イニシャル、誕生日が判るんだもの。名簿でも見れば一発だよ」


そして、小さく溜息を付いてから、伊織は続ける。

「ともかくね。『これだけは言える』ってことはさ、たとえ、吉永がクラスリングを持ってたとしても、それは、ビューの持ってたあの指輪では、絶対にありえないってことなんだよね。だって、吉永がハーバードを出たのは、一九七〇年代半ばだもの。もちろん、学校も違うし」


合点がいったとでもいう風に、川本がひとつ頷いた。

「だが、もし吉永がクラスリングを持っていたとするなら、スリヤの持ってたあの指輪と、かなりよく似た青い石の指輪だろうって言いたいわけだ。伊織、お前は?」


「川本、こんなの……妄想だと思う? でもさ、もしかしたら、なんかとんでもない勘違いが起きちゃったんじゃないの? とんでもないとばっちりで、ビューは殺されちゃったんじゃないの? 児童買春にもなんにも関係ない普通のタイの留学生が、たまたま、訳分かんないおっさんたちのいざこざに、巻き込まれただけなんじゃないの? ねえ……これって妄想かな」


伊織の声は、微かに震えていた。

川本は、ひとことも返せないまま、伊織を見下ろしていた。


と、階段に繋がるドアが開く音がして、誰かが屋上へと出てくる。


物陰に佇んでいる川本と伊織の存在に気が付かなかったのか、その人物は、電話をかけ始めた。


「あ、もしもし。瀬戸口管理官、新宿中央署の本橋です。今、お話して大丈夫っすか、ええ。オレは大丈夫です。今、あの班長、席を外してるんで」


思わず、伊織と川本が視線を合わせた。

両名とも、うんざりした表情になり、溜息を洩らす。


「はい。タイ人の転落死も。うちの方は、もうこのまま鎮火って感じっす。生安課も、根岸の件は単体で処理するようですし。え? 根岸の通話記録。ああ、外務省の室長宛の。いや、お知らせした件が、管理官のお役に立てて良かったっす」


「……モトピー、あいつかよ?! 本庁にチクってたのは!」

細身スーツの本橋を、物陰から睨み付けながら、伊織が吐き捨てた。


「なるほど。どうりで、『早手回し』な火消しだったわけだ」

川本が、ぼそり呟く。


「ええ……いやホント。根岸の死体が届いたのには、オレもびっくりしましたよ、あんなことあるんっすね? え? ない、普通は? ホントそうっすよね」

本橋は、調子よく話を続けている。


「しかし、本橋のヤツ。この件について、一体どこまで知ってるんだ?」

首を捻る川本に、小声ながらも、ピイピイとしたアニメ声で、伊織が応じた。


「あの銀縁眼鏡の厭味な管理官が、モトピーごときに大事なこと話してるとは思えないけどね? しっかし、ムカつく……飼い犬に手を噛まれるって、こういうこと? 可愛がってやったのにさ」


「まあ、飼ってはいないんじゃないか、それに可愛がってもいないというか。どっちかっていうと虐めてるっていうか……」


川本のもぞもぞとした反論を、さっくりと無視して伊織が言う。

「ねえ。そもそも。モトピーのヤツ、本庁の管理官なんかと、一体どういう繋がり? もしや……おホモだちとか?」


「お前、下品だな」

呆れたように川本が呟くと、伊織がくってかかった。

「……じゃあ、なんだっていうの? 川本」


ふと、川本が口の端に、微かな笑みを浮かべて見せる。

「そうだな、習い事のクラスメイトってところじゃないのか? 例えば……

『クッキング・スクール』とか?」


あら? と伊織が唸る。

川本にしては、気が利いた返しじゃないの?


やがて、通話を終えた本橋が、屋上から出ていく。


「で、あいつ。どうする」

ぼそりと、川本が発した。


「どうするもなにも……ねえ」

眉間に皺を寄せ、伊織は肩をすくめて見せる。


と、昼のチャイムが鳴り始めた。



   *



四階、刑事課。あわただしい室内に、昼のチャイムが鳴り響く。


幸村班で、ただひとり席にいた真山が、デスクの引き出しを勢いよく引く。


そして、弁当を取り出すと、机の上にしっかりと置いた。



(了)



最後までお付き合いを、本当にありがとうございました。

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