第四話 変わらない日常
「会長、お待たせしました」
放課後。辰也は生徒会室の隣、備品室の前に立っていた。
扉を開けると、そこには風祭会長が一人で立っていた。
「あ、わざわざ来てくれたところ悪いんだけど……作業は中止になったの」
「え? あ、そうでしたか」
拍子抜けしたように辰也は笑った。
「全然大丈夫です。じゃあ僕はこれで」
「ごめんなさいね。わざわざ来てくれたのに」
「いえいえ」
軽く頭を下げ、辰也は備品室を後にした。
廊下を歩きながら、胸の奥に小さな違和感が残る。
ここ最近の記憶が、うまく繋がらない。何かをしていたはずなのに――。思い出そうとすると、霧がかかったようにぼやける。
「……おかしいわね」
扉を閉めた後。雫は小さく呟いた。
「矢を受けたあとで、あんなに意識がはっきりしているなんて……」
その手には、半透明の水色の弓が握られている。
「祓いは成功したはず……なのに」
だが、その呟きが辰也の耳に届くことはなかった。
数日後。
「……は?」
掲示板の前で、辰也は固まっていた。
中間テストの結果。自分の名前が、上位欄に載っている。五教科合計、四百三十二点。学年八位。
「……なんだこれ」
まったく受けた記憶がない。答案を書いた覚えも、問題を解いた覚えもない。だがノートを開けば、板書はしっかりと写されている。提出物も出ている。字は間違いなく自分のものだ。
「……まあ、悪くないか」
考えても仕方ない。辰也は軽く肩をすくめた。
「おい、委員長!」
「昨日の会長とはどうなったんだよ?」
振り返ると、いつもの連中がいた。なぜだか、話すのが久しぶりな気がする。
「会長ファンクラブ会員として、聞かないわけにはいかないな!」
「昨日のこと? ああ……」
辰也は少し考えた。
「結局、作業はなしになったらしくて、それで終わりだよ」
「嘘だ!」
「ほんとだって」
「絶対なんかあっただろ!」
騒ぐクラスメイトたち。
その時だった。
「ちょっといいかしら?」
「なんだよ――って、風祭会長!?」
振り向いた瞬間、ファンクラブ会員二十三号が固まった。
雫はそんな彼には目もくれず、辰也の前に立つ。
「私の持ってるもの、わかる?」
「え?」
辰也は雫の手元へ目を凝らした。
だが――。
何も見えない。
「何も持ってないように見えますが?」
「……そう」
雫は小さく頷いた。
「よかったわ。じゃあね」
それだけ言うと、何事もなかったかのように立ち去っていった。
「なんだったんだ?」
「さあ?」
「ぼ、ぼく……風祭会長と話しちゃったよ……」
「よかったな」
日常は、何も変わらないように見えた。
だが――。
変わっていないのは、表面だけだった。
◆
影は、ずっと紫藤辰也を狙っていた。
本来ならば。あの召喚が行われた時、辰也の身体は、自分のものになるはずだったのだ。
だが――あの破壊神だとかいう、なり損ないに邪魔をされた。それ以来、迂闊に近づくことができずにいた。
しかし。昨日から、その気配がぱったりと消えている。
一日、様子を見た。二日、観察した。出てくる気配はない。
ヤツの守護は消えた。そう判断するには十分だった。
獲物は、放課後の帰り道を一人で歩いている。無防備に。何の警戒もなく。
影は側溝の闇から滲み出した。音もなく地面を這い、辰也の足元へ絡みつく。
抵抗はなかった。神の気配も、やはりない。
影はそのまま辰也の身体を包み込んだ。
侵入。支配。同化。
すべては一瞬だった。これまで警戒していたのが馬鹿らしくなるほど、呆気ない。
「グフフ……ヤッタゾ。コレデ――」
その時だった。
背後に、気配を感じた。知っている。忘れるはずもない。そして今、この場にあってはならない気配。
ゆっくりと振り向く。
そこに立っていたのは――。
あの神の、なり損ない。
「ナ――」
次の瞬間。白い閃光が走った。
辰也の身体ごと。影は、真っ二つに切り裂かれた。




