第三話 祓いの矢
「紫藤辰也君、よね?」
声をかけられ、辰也は顔を上げた。
教室の入口。白銀の髪をなびかせた女生徒が立っている。容姿端麗、成績優秀。そして、この学校の生徒会長。学内にファンも多い――風祭雫だった。
どうやら、わざわざ辰也のクラスまで足を運んできたらしい。
「風祭会長じゃないですか。わざわざこんなところまで、どうしたんですか?」
「ちょっと手伝ってほしい作業があってね」
雫は柔らかく微笑んだ。
「備品室の整理なんだけど、人手が足りなくて。先生から『学級委員長の紫藤君なら信頼できる』って言われたの」
「ああ、なるほど」
「急で悪いけど、今日の放課後。生徒会室の隣の備品室まで来てくれるかしら?」
「もちろんいいですよ。僕でよければ」
「そう。よかったわ。忘れないでね」
用は済んだとばかりに、雫は背を向けて教室を出ていった。
その姿が見えなくなるや否や、近くにいたクラスメイトが辰也の席へ寄ってくる。
「何やったんだよ、委員長?」
「なんもやってないって」
「たまにこうやって呼び出されるやついるらしいけど、次の日からしばらく口も聞けないほどこき使われるらしいぞ」
「へーえ」
「何したんだよ? コクって振られたとか?」
「するわけねえだろ。大体、振られたなら呼びに来ねえよ」
「お! ってことは成功か? 個別指導ってやつ?」
「んなわけねえだろ! お前はいつまで中学生やってんだ」
『女には不自由してないもんね?』
頭の奥で、青年の声が響いた。
「……黙れよ」
思わず、低い声が出た。自分でも驚くほど冷えた声だった。
「え?」
クラスメイトの表情が固まる。
「あ……ごめんごめん。言い過ぎたわ」
「お、おう?」
辰也は適当に笑って誤魔化した。
放課後。辰也は言われた通り、生徒会室の隣にある備品室へ向かった。廊下に人影はほとんどない。
「ごめんね、急に呼び出しちゃって」
扉の向こうから雫の声がする。
「いえいえ、お待たせし――」
扉を開けた瞬間。
辰也の動きが止まった。
備品室の奥。そこに立っていた雫は――半透明の、水色に輝く弓を構えていた。つがえられた矢もまた、淡い光を放っている。周囲の空気が、わずかに歪んでいた。床には薄く光る紋様のようなものまで浮かんでいる。
――まずい。
理由はわからない。だが、とてつもなく嫌な予感がした。
辰也は反射的に振り返り、入ってきたばかりの扉に手をかけた。
動かない。
「……は?」
力を込める。それでもびくともしない。まるで見えない糸で縫い付けられたかのように、扉は完全に固定されていた。
「な、なんですか……その弓は?」
「あれ、おかしいわね?」
雫は首をかしげた。
「普通の人には見えないはずなんだけど」
その瞬間。弦が引き絞られた。
「――っ!」
矢が放たれる。
辰也の身体が、勝手に動いた。考えるよりも先に、床を滑るように横へ飛ぶ。光の矢が、すぐ横を通り抜けた。
「あぶねっ!」
自分の動きに、自分で驚く。明らかに人間離れした動きだった。まるで身体の使い方そのものを、誰かに教えられているような――。
「人体には何の影響もないから、心配しなくていいわ」
雫は何事もなかったかのように言った。
「痛みもないし、危険もない。ただ――」
再び弓を構える。
「憑いているものを祓うだけ」
二射目。狭い備品室では、回避できる場所も限られている。辰也は棚を蹴り、無理やり身体をひねって矢をかわした。
「一応、話し合いとかは……」
「ないわね」
「やっぱり?」
着地した辰也の背中が棚にぶつかる。もう逃げ場がない。
「やっぱり、何か憑いてるわね」
雫の目が細まった。
「前から違和感はあったの。君の意識、なんだか二重にぶれてるのよね」
「二重?」
「昨日からは特にひどくなったような?」
その口調には、すでに確信めいたものがあった。
三度、弓が引き絞られる。
「今、楽にしてあげるから!」
「いや、別に苦しんでないんだけど――」
三射目が放たれた。
「うわあっ!」
今度は避けられない。光の矢が、辰也の胸へ深々と突き刺さった。
だが――。
痛くない。血も出ない。ただ、胸の奥から何かが抜けていくような、奇妙な感覚だけがあった。
『ごめん、ちょっと昇天してくる』
頭の奥で、青年の軽い声が響いた。
「お、おい!」
呼び止める間もなく――。
視界が、真っ白に染まった。




