第十八話 江戸への旅立ち
「お、おい! ……あいつ、勝手に」
返事はない。先ほどまで頭の中に響いていた青年の声は、ぷつりと途絶えたままだった。
辰也は何度か呼びかけてみたが、やはり何も返ってこない。
「行きましょう。辰也さま」
白雪が静かに言った。
辰也は彼女を見る。ついさっきまで、孫悟空がいた場所。そこにはもう、何も残っていなかった。
「本当にすまない。あいつのせいで、こんなことになってしまって」
「謝らないでください。辰也様のせいではありません」
「だけど……」
「お猿様との旅では、このようなことは日常茶飯事だったのです」
白雪はいつもの調子で続けた。
「そろそろ江戸に戻って、お友達の顔でも見たいと考えていたところなのです」
強がりなのかもしれない。それでも辰也には、この少女が自分なんかよりずっと強く見えた。
◇
辰也は白雪を連れて高校へ向かった。
平日の校内に、見慣れない白髪の少女を連れ歩いている。
普通なら、教師の一人くらい声をかけてきそうなものだ。
だが。
「……誰も気にしてないな」
廊下ですれ違う生徒も教師も、こちらを気にした様子がない。
白雪だけが見えていないのか、それとも別の何かなのか。なんにせよ、都合はいい。これも、あいつの力の一部だろうか。
そう考えてから、辰也は頭を振った。
「さて……あの二人、どこにいるんだ?」
学校に潜り込んでいる宇宙人。探そうにも、普段どこにいるのかまでは聞いていない。
「あ」
思い出した。
「そういえば、前に屋上へ連れ込まれたな」
とりあえず行ってみることにした。
屋上へ続く扉を開ける。すると、例の二人組が、何事もなかったようにそこにいた。
辰也は白雪を連れて近づくと、これまでの出来事をかいつまんで説明した。
孫悟空が襲われたこと。この世界から姿を消したこと。
そして、おそらく元いた世界で復活していること。
話を聞き終えた女が、呆れたように腕を組んだ。
「自業自得ね。警告したのに」
「あいつ、ほんと迷惑だよね」
男もあっさり同意する。
「頼みがあるんだが」
「何?」
「白雪だけでも、元の世界に連れて行ってやってくれないか?」
「もちろんよ」
「いいのか」
あまりに即答だったので、逆に辰也が聞き返した。男が胸を張る。
「僕たちは困っている人は助ける主義なんだ。損得勘定が得意な地球人と違ってね」
「でも、その子だけよ」
女が付け加える。
辰也は頷いた。
「それでいい。頼んだ――」
「嫌です」
「白雪ちゃん?」
辰也が振り向く。白雪は二人の宇宙人をまっすぐ見ていた。
「私はあなた方を、まだ信用していません」
白雪は続ける。
「さらって人質に使ったり、売ったりするかもしれません」
「言ってることはもっともね」
「辰也様も一緒に連れて行ってください」
女が辰也をちらりと見る。
「ある意味、その男が元凶でもあるのよ? 信用していいのかしら?」
「一宿一飯の恩義というものです」
白雪はきっぱりと言った。男が感心したように頷く。
「小さいのにしっかりしてるなあ。ここの平和ボケした地球人とは大違いだ」
「仕方ないわね」
女が肩をすくめる。
「分かったわ。二人とも連れていってあげる」
「助かる」
「それじゃ、どっちが送る?」
女が男を見る。二人は顔を見合わせた。そして同時に拳を出す。
「最初はグー――」
「じゃんけん、ぽん!」
勝負は一回でついた。男が自分の手を見下ろす。
「負けた」
「じゃ、私が送るわね」
「勝った方が送るのか」
辰也が思わず聞いた。
「当然でしょう?」
女はさも当たり前のように答える。
「人助けは進んでするものよ。この国でも『情けは人の為ならず』って言葉があるでしょう?」
「意味を誤解している人間が大半だけどね」
「お前、本当に地球人嫌いだな」
男は涼しい顔をしていた。
女が屋上の中央へ歩いていく。軽く手を掲げた。
次の瞬間、何もなかった空間に、白銀の物体が姿を現した。
「うわ……」
思わず声が漏れる。銀色の滑らかな船体。見間違えようもない。UFOだった。
船体の一部が開き、入口が現れる。白雪と二人の宇宙人が先に向かう。
辰也もその後を追おうとして――。
足を止めた。
「……?」
少し離れたところに、女が立っていた。白い服。一瞬、白雪かと思った。
次に、生徒会長の姿が頭をよぎる。
だが違う。髪の色が違っていた。
誰だ。
そう考えた瞬間、身体が動かなくなった。
「……っ」
まるでその場に縫い付けられたように、足が動かない。声すら出なかった。
白い服の女が、こちらへ歩いてくる。一歩。また一歩。
辰也の前まで来ると、何も言わずに顔を見た。視線が下へ移る。
頭から足元まで。何かを確かめるように、ゆっくりと全身を眺めていく。
辰也は動けない。女がさらに近づいた。顔と顔の距離が縮まる。
息が触れそうなほど近くで、じっと辰也を見つめる。
何なんだ、こいつ。
女はしばらく辰也の顔を見ていた。やがて、わずかに首をかしげた。
辰也が一度瞬きをする。次の瞬間には、もうそこに女の姿はなかった。
「……何だったんだ?」
「何をやっているの? 置いていくわよ」
後ろから、苛立った女の声が飛んできた。
「辰也様?」
白雪もUFOの入口からこちらを見ている。
二人とも、今起きたことには何も気づいていないようだった。
辰也は、女が立っていた場所をもう一度見る。やはり誰もいない。
「……すまない、今行く」
考えるのは後だ。辰也は白銀のUFOへ乗り込んだ。




