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第十七話 襲撃、そして――


 ホテルの一室。すっかりアジト代わりになった部屋のソファで、孫悟空はくつろいでいた。

 どこから持ってきたのか、手には漫画本。ページをめくる音だけが、静かな室内に響いている。


 ドアが開いた。


「おう、帰ったか」


 悟空は漫画から目を離さない。入ってきた辰也は答えず、そのまま悟空へ近づいていく。


「ん、どうした?」


 それでも悟空は振り向かなかった。


 次の瞬間、辰也の手に透明な剣が現れた。

 一閃。

 背後から袈裟斬りにされた悟空の身体が、大きく傾く。


「お前……」


 ようやく振り返った悟空が、辰也を睨んだ。

 辰也は剣を振り抜いた姿勢のまま、笑った。


「勝ち逃げは許さないって言っただろ?」


「お猿様!」


 白雪の悲鳴が響いた。悟空の身体に走った斬撃の跡が、光を帯びる。

 血が流れるより先に、身体そのものが崩れ始めた。


「くそ、卑怯な真似を……」


 悟空が何かを言おうとする。だが、その声すら最後まで続かなかった。

 肩が消え、腕が消え、透明な何かに削り取られるように身体が失われていく。


 そこへ再び、部屋のドアが開いた。


『ただいまー』


 目の前の惨状を見て、辰也が立ち止まった。

 部屋の中に、自分がいる。

 そして、その自分の前で悟空が消えていく。


「どうなってるんだ、これは?」


 理解が追いつかなかった。


 その瞬間、辰也の中にいた青年が、息を呑んだ。

 目の前の光景。透明な剣。そして、偽物の辰也が口にした言葉。

 ばらばらだったものが、一気につながった。


『思い出した! そいつは俺が化けた偽物だ!』


「は?」


 辰也が聞き返すより早く、偽の辰也が踵を返した。開いたままのドアから廊下へ飛び出す。


『逃がすかよ!』


 辰也の身体から青年が抜け出した。半透明だった姿が一瞬で実体を持ち、そのまま偽辰也を追って部屋を飛び出していく。


「ちょ、おい!」


 辰也は追おうとして、足を止めた。白雪が悟空の消えた場所に膝をついている。


「お猿様……」


 悟空はもう、どこにもいなかった。衣服も、武器も、何も残っていない。辰也は言葉を失った。


 その頭の中へ、青年の声が入ってきた。


『白雪ちゃん』


 返事はない。青年は偽辰也を追いながら、テレパシーを続ける。


『悟空を斬ったのは、辰也に化けた過去の俺だ。本当にすまないことをした。申し訳ない』


 辰也は目を瞬いた。あの神が、こんなふうに謝るとは思っていなかった。


 白雪は俯いたままだ。


「……」


『でも、斬られたぐらいで孫悟空が死なないことは、君もわかっているよね』


 しばらくして、白雪が小さく口を開いた。


「……わかっています。お猿様が死ぬはずありません」


『そう。普通ならね』


 青年の声が少し低くなる。


『ただ今回は、斬られた剣が悪い。あの剣は、一度斬った物体を残らず消滅させるんだ』


「生き返るんじゃないのか?」


 辰也が割り込む。


『生き返るとも。でも悟空は、この世界の住人じゃない』


「ということは……」


『おそらく、復活するのは元の世界だ』


 辰也は悟空が消えた場所を見た。何もない。本当に、最初からそこに誰もいなかったようだった。


「どうするんだよ?」


『この世界に君たちを連れ込んだのは僕だし、悟空の元に必ず連れていくことは約束する。でも』


「でも?」


 嫌な予感しかしない。


『申し訳ないが、俺はしばらく動けない。そこにいる辰也と一緒に行ってもらいたい』


「そうなると思ったけど、理由は?」


『俺は今追いかけている俺と相打ちになる予定だ』


「おい、それじゃあ……」


『心配するな。君にもある程度の力は使えるようにしとくから、多少襲われても問題ないはずだ』


「別の世界にはどう行く?」


『学校にいた宇宙人に連れて行ってもらうといい。あいつらには貸しがある』


「借りの間違いじゃないのか?」


『悪いが、そろそろあいつが来る。後は任せた』


「お、おい――」


『本当に危なくなったら助けるから、多分』


 一方的に、声が途切れた。


     ◇


「いつまで追ってくるんだ、お前」


 前を走る辰也が振り返った。その姿はどこから見ても紫藤辰也だ。追う青年は速度を緩めない。


「そりゃ地の果てまでもさ」


「偽物にしてはよく似てるな。今までで一番だ」


「本物だよ」


「偽物はいつもそう言う。俺も有名になったもんだ」


「まったくだ。迷惑極まりない」


 偽辰也が露骨に顔をしかめる。


「お前、もしかして天界の追手か? なら辻褄が合うな」


「本人だよ。尖兵も、もうちょっとで来るだろうけどね」


「本人?」


 偽辰也が鼻で笑った。


「この世界はどうやら特殊で、実体になったぐらいじゃ見つからんぞ」


 その言葉を遮るように。


 パアン。


 乾いた音が響いた。青年の表情が止まる。聞きたくない音だった。偽辰也の眉間に、小さな穴が開いている。


「……くそ」


 身体がぐらりと揺れた。青年が苦笑する。


「実体が一人ならね」


 パアン。もう一度。今度は青年の胸に穴が開いた。


 少し離れた場所に、一人の女が立っていた。

 小柄な身体。白い服。その手には、白い銃が握られている。銃口はまっすぐ、こちらへ向けられていた。


 偽辰也が、青年を見る。


「おまえ……本物だったのか」


「不安定な世界では、何が起こるかわからないだろ」


 青年の胸に開いた穴が、ゆっくりと広がっていく。

 偽辰也も同じだった。眉間の穴を中心に、輪郭が少しずつ崩れ始めている。


「せっかくのバカンスを楽しんでいたんだが」


「お前の分まで続けて楽しんでやるよ。ついでに、そっちのアフターフォローもしといてやる」


 偽辰也の頬まで、消滅が広がった。


「だからもう、この世界には来るなよ」


「来るものか。自分の顔など見たくもない」


「違いない。俺も嫌だよ」


 青年も笑う。


「その顔が撃ち殺されるのを見るのはさ」


 偽辰也の身体が、完全に消えた。後には何も残らない。


 青年はその場所をしばらく見ていた。自分の胸からも、身体が少しずつ失われていく。


「……うまくやれるだろうか、あいつは」


 独り言のように呟く。


 やがて、青年の姿も消えた。静寂だけが残る。


 白い服を着た女は、二人が消えた場所をしばらく見つめていた。

 そして何も言わず、銃を下ろす。そのまま振り返り、立ち去った。

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