第十五話 どちらも本物
後日。辰也は風祭家を訪れていた。
「……気が重いな」
門の前で、思わず声が漏れる。
高い塀に囲まれた、古い日本家屋。黒瓦の屋根に、長い石畳。庭木もきれいに手入れされている。
古いと言っても、寂れているわけではない。むしろ、相当な金と手間をかけて維持されているのが分かる。
『会長、お嬢様だったんだね』
「何を今さら。高校では有名だよ」
辰也が玄関まで進むと、中から一人の女性が現れた。黒い着物を着た、落ち着いた雰囲気の女性だった。顔立ちを見る限り、雫たちの母親だろう。
「紫藤辰也さんですね」
「はい」
「お待ちしておりました。どうぞ、中へ」
「お邪魔します」
案内され、長い廊下を進む。通されたのは畳敷きの大広間だった。
そして部屋に入った瞬間、辰也の目に真っ先に飛び込んできたのは――。
「……うわ」
包帯だった。正確には、全身を包帯でぐるぐる巻きにされた男だ。顔にもところどころ包帯が巻かれ、痛々しい姿で座っている。
あれが蒼や雫の兄なのだろう。新宿で悟空に吹っ飛ばされていた男。
その近くには雫と蒼も座っていた。そして雫のそばには、半透明のもう一人の蒼もいる。
「逃げなかったわね。偉いわ」
雫が辰也を見る。
『よく来たのよ』
霊体の蒼も笑顔を向けてきた。
一方、実体の蒼は何も言わない。口をつぐんだまま、所在なさそうに座っている。話すことを許されていないのかもしれない。
「君も災難だったな」
包帯だらけの男が言った。
「近くにいただけで、こんなことに巻き込まれて」
「はあ……」
辰也は曖昧に頷く。実際には近くにいただけではないのだが、わざわざ訂正する理由もない。
「あの、僕はどうすれば……」
「しばらくここに一緒にいてもらうだけで構いません」
母親が答えた。
「そうなんですか?」
「特殊な能力を持つ方を呼んでおりますの」
「特殊な能力……」
「まあ、ゆっくりしていくといいよ」
兄が続ける。
「一応、来てもらっただけだからね」
「はあ」
何だかよく分からないが、今のところ尋問が始まる気配はない。辰也は言われるまま、その場で待つことにした。
◇
しばらくすると、廊下から足音が聞こえてきた。襖が開き、男女二人が姿を見せる。
一人は学生服姿の少女だった。年齢は辰也と同じくらいだろう。制服はミカガミ高校のものではない。
もう一人は男。三十代半ばほどに見える。
「御波先生、よくお越しくださいました」
風祭家の母親が頭を下げた。
男は軽く手を上げる。
「神戸御波です。よろしく」
『ミナミっていうから女かと思ったけど、なんだ男か』
頭の中で青年が呟く。
「うるせえぞ駄目神」
「女神?」
神戸御波が青年を見る。
「先生!」
隣の女子高生がすぐにたしなめた。
『やるな小僧』
「そちらの蒼さんの件ですね?」
御波は大して気にする様子もなく、大広間へ入ってきた。
「どれどれ」
部屋の中央付近まで進む。それから、ぐるりと全体を見渡した。
雫。実体の蒼。霊体の蒼。母親。兄。そして辰也。
しばらく何も言わない。ただ、何かを考え込んでいるようだった。
辰也はその様子を眺めながら、頭の中で青年へ呼びかける。
『なにやってるんだろう?』
『どうやら頭の中が読めるみたいだね』
『読心術か』
「そういうことだ」
「マジか」
辰也は思わず声を上げた。御波がこちらを見ている。
『プライバシーもあったもんじゃない』
「その駄目神と付き合うのはやめたほうがいいぞ、タクヤ君」
「辰也です」
「先生、蒼さんの方は……」
女子高生が話を戻そうとする。
「そっちはつまらん。こっちのタツミ君と話していた方が面白いぞ、サユ」
「咲です」
「困りますね、先生」
包帯姿の兄が口を挟む。
「今日は妹の件で来ていただいたのですから――」
「うるさいぞタカシ! お前のシスコン話なんぞ聞きたくはない」
「先生!」
咲が再び声を上げた。兄の眉がわずかに動く。
「随分な言い草ですね……」
「結局、蒼はどうなっているのです?」
母親が静かな声で尋ねた。先ほどまでとは違い、大広間の空気が少しだけ張りつめる。
御波は実体の蒼へ目を向けた。
「どうも何も」
そして、何でもないことのように言った。
「今回の犯人は、その蒼だ」
空気が止まった。
「な……!」
兄が身を乗り出す。実体の蒼は、黙ったままだ。
御波は今度は雫へ顔を向けた。
「そうだな、シズク君?」
「私に聞かれても……」
雫は困ったように答える。
「では!」
兄が声を上げる。
「霊体の方の蒼が本物ということですか!」
「いや、そうでもない」
「はい?」
御波は隣の少女へ目をやった。
「見てやれ、サヤ。霊体や魂を見るのはお前の方が得意だろう」
「まったく……」
ぼやきながら、咲が二人の蒼へ向き直る。まず実体の蒼。次に雫のそばにいる、半透明の蒼。じっと見比べる。
その表情が、次第に変わっていった。
「……え?」
もう一度、実体の蒼を見る。霊体の蒼へ視線を移す。
「あれ……」
「どうしたんです?」
「先生、これ……」
「見たまま言っていいぞ」
雫が咲を見つめた。
「本物の蒼は、どちらですか?」
「……」
咲は少し迷った。それから答える。
「どちらも、本物です」
「どういうことですの?」
母親の声がわずかに強くなる。
「ですから……」
咲は二人の蒼を交互に見る。
「霊体の方も、実体の方も、魂に違いがないんです」
『勝手なこと言わないでよ――』
「やめなさい、蒼」
霊体の蒼が何か言いかけたところで、雫が制した。少女は不満そうに口を閉じる。
母親が咲へ目を向けた。その目が、わずかに細くなる。
「あなたの見間違いや、勘違いという可能性はありませんの?」
「何かしらの偽装や術がかけられている可能性は、ないではありませんが……」
咲は慎重に答える。
その瞬間。
「もういい。帰るぞ」
「先生!」
御波が立ち上がった。
「どういうことですか」
母親の声が低くなる。
「やはり霊感探偵というのは、あてにならないのでは」
兄も不満を隠そうとしない。
「俺はな」
御波はそんな二人を気にする様子もなく言った。
「この依頼を、とても楽しみにしていたんだ」
「……はい?」
「だからミドリという助手一号も連れてきた」
「咲です、先生。一文字も合ってません」
御波は無視した。
「風祭家と言えば、その筋では有名だからな。どんな魑魅魍魎が出るのか楽しみだった」
堂々と言い切る。
「一家の内紛を見物するのも面白そうだと、それはそれは楽しみにしていたんだ」
――とんでもないこと言うな、この人。
辰也は黙って御波を見た。
「それがなんだ」
御波の顔から、それまでのふざけた調子が消える。
「馬鹿馬鹿しい」
大広間を見回した。
「俺たちを試しているつもりか。ふざけるのも大概にしろ」
誰に向けて言っているのか。辰也には分からなかった。
「犯人は蒼。これがこの事件の結末になるだろう」
そう言い捨て、御波は踵を返した。
「帰るぞ、ミドリ、タツヤ」
なぜか辰也の腕まで掴む。
「え、ちょっと」
「ちょっと先生! そろそろ名前くらいちゃんと言ってくださいよ! 結構付き合いも長いんですから!」
咲が慌てて追いかける。
御波は振り返ることなく廊下へ出た。
「前金は返さんからな!」
「すいません、失礼します!」
咲が風祭家の面々へ深々と頭を下げる。
「いや、なんで僕まで――」
辰也の抗議も聞かず、御波はそのまま歩いていく。
こうして辰也は、訳も分からないまま神戸御波に引っ張られ――風祭家を後にしたのだった。




