第十二話 もう一人の妹
翌朝。
辰也はいつも通り学校へ向かった。校内は変わらず平和だった。廊下では生徒たちがくだらない話をし、教室から笑い声が聞こえてくる。
こういう日常に戻ってくると、ここ数日の出来事の方が夢だったような気さえしてくる。
もっとも、夢で済ませるわけにはいかない。
辰也は廊下の先に見覚えのある姿を見つけ、足を速めた。
「会長」
呼びかけると、風祭雫が振り返った。
「あら、紫藤君。どうかしたの?」
「ちょっと、お話があるんですけど」
「私に?」
「はい。蒼さんのことで……」
その名前を出した瞬間だった。雫の目の色が変わった。ほんの一瞬のことだったが、辰也にも分かった。
「……そう」
雫は周囲を見回してから、いつもの落ち着いた声で続ける。
「場所を変えましょうか。放課後に準備室に来てくれる?」
「分かりました」
「では、また後で」
それだけ言うと、雫は何事もなかったように去っていった。
その背中を見送り、辰也は小さく息を吐く。
「さて……」
「やりやがったな辰也!」
「うおっ!?」
突然背後から声が飛んできた。振り返ると、いつの間に現れたのか、クラスの男子たちが立っている。
「会長ファンクラブ会員としては複雑だけど、祝福させてもらうよ」
「ちげえよ! お前らどっから現れた!」
「下手すると僕たちの出番はもうここぐらいしかないんだ」
「何を言っているか意味が分かんねえよ」
辰也はそのまま彼らを無視して教室へ向かった。
◇
「例の準備室か……」
放課後。扉の前まで来た辰也は、思わず足を止めた。以前ここで雫と向き合った時のことを思い出す。あまりいい思い出のある場所ではない。
だが意を決して、辰也は扉を開けた。室内にはすでに雫がいた。
「来たわね」
「どうも」
「座って。蒼の話を聞かせてもらえる?」
さっそく本題だった。辰也は椅子に腰を下ろし、どこから話すべきか少し考える。
「新宿で、偶然会ったんです」
「蒼と?」
「はい。正確には、助けを求められて……ちょっと色々ありまして。今は保護しています」
「蒼を保護している?」
雫の声がわずかに低くなった。
「ええ、まあ」
「どこに?」
「いや、あの、その……」
途端に言葉が詰まる。雫がじっと辰也を見る。
「何か言いづらいことでもあるのかしら?」
「いやあ……」
「まさか、ホテルとか言わないわよね」
「そのまさかなんです」
「そーう」
雫が微笑んだ。
「そうなんです。はい」
沈黙。時計の針が動く音まで聞こえてきそうだった。数秒のはずなのに、辰也には妙に長く感じられる。以前、雫に自分の正体がバレた時より、ある意味きついかもしれない。
「誓って何もしてないです。はい」
『それ言ったら逆に怪しくなるよ』
分かっている。口に出してから辰也もそう思った。
だが、雫は意外にもあっさり頷いた。
「分かっているわ。できるわけがないもの」
「え?」
妙な言い方だった。
「それは妹ではないのよ」
「……どういう意味です?」
「視えているのでしょう? 隠さなくてもいいわ」
雫が静かに言った。
次の瞬間、その隣に人影が浮かび上がる。半透明の少女だった。
「……なんと」
辰也は思わず声を漏らした。
少女は雫のすぐ隣に立っている。顔立ちを見れば分かる。ホテルにいる少女――蒼によく似ていた。
「妹は幼い頃に事故に遭って、それからずっと意識不明だったの」
雫は隣の少女へ目を向けた。
「その間、身体から抜けた妹の魂は私が保護していたのよ」
『ほんとに人間かこいつ』
青年がぼそりと言う。
「何か言ったかしら?」
雫がこちらを見る。
「僕じゃありません」
即答した。
「数日前、病院から連絡があったわ」
雫は話を戻した。
「妹が突然、目を覚ましたって」
『でも、私はお姉ちゃんのそばにいたの』
それまで黙っていた少女が口を開いた。声はホテルにいる蒼とよく似ている。
辰也は少女と雫を交互に見た。
「おかしいわよね?」
「ええ、まあ……」
確かにおかしい。本人の魂がここにいる。それなのに、身体の方は目を覚まして動き回っている。
「何かに乗っ取られている可能性も、あるかもしれないですね」
『そうよね』
少女も頷いた。
断定はできない。だが、少なくとも普通の状況ではなかった。
「それで、兄が病院に向かったのだけれど」
雫が続ける。
「着いた時には、もうもぬけの殻だったそうよ」
「逃げた後だったんですか」
「ええ。兄は気配を追って、新宿まで行った」
そこで雫は一度言葉を切った。そして、辰也を見る。
何となく目を逸らしたくなった。だが、なぜか逸らせない。
「そこで蒼を見つけて、連れ戻そうとしたんだけど――謎の猿に襲われたらしいのよ」
「それは……」
「死にはしなかったけど、満身創痍になって帰ってきたわ」
辰也の脳裏に、あの夜の光景が蘇る。如意棒で悟空に吹っ飛ばされた男。
「どうやら兄の話ではね」
雫の視線は、まだ辰也から外れない。
「近くにうちの高校――ミカガミの制服を着た人間がいたらしいのよね」




