僕の説明書 五
妙に長いので分割。
朝。
緩やかな日差しに覚まされるようにして、一人では大きすぎるベットから身を起こす。
――柳井か。
昨日は夕方に起きて、そのまま用意してくれた晩御飯にも手を付けずに机に放置していたのだが、今はなくなっていた。
それに何時もならこんなに早く起きることは有り得ない。
僕はカーテンを開けることは無いのだから、絶対に。
それ故に朝から忌々しい日光を浴びることなど皆無に等しい。
眩しいのはあまり好まない。
相変わらず無機質で物が極端に少ない部屋を眺める。
一人部屋にしては広いんだと思うが、何もない空いた空間が好きだった僕が、敢えて広めの部屋を選んだのだ。
誰かが入ってきた温もりが、僅かに残っている。
恐らく柳井が部屋に入っただろうことを思い、色々な事が変革を起こしてきていると感じていた。
前ならば柳井が部屋に入るなど考えられないが、
今は柳井は普通に部屋まで来るようになっていた。
何でもない振りをしているのは変わらないが、それでも柳井が僕を見つめる瞳に明らかな情欲をちらつかせてくるのは、ここ最近になって始まったことだ。
今までは全ての感情を消し去ったように冷たい目をしていたのに、と溜め息をつきそうになる。
柳井が何でも無いように振る舞うから自分もそれに追随することが出来たというのに、最近は毎日のように熱っぽい視線を送られる度に身体が反応してしまい、きがつくと顔に朱がさしてしまう。
柳井はそんな僕を見て嬉しそうに微笑みを見せるのだ。
それに加えて、とまた気分が妙な感じになる。
家庭教師のあいつが、今は家庭教師をやめて、近隣の高校に講師として招かれているらしく、今度僕の高校の研究授業を見にくるらしい。
「来週の、火曜日…、近いな。」
一昨日に会ったばかりだというのに、すぐ会うことに嫌悪感を抱いているわけじゃない。
どうせ奴からは逃げられないのだ。
奴とは三日に一回は約束を果たすことになっているし、明日も会わなければいけない。
奴が学園に来るのが嫌なのだ。
確実に彼女を探すだろうことを思うと、気が重くなる。
どうせあいつのことだから候補を絞っておいて、見つけるに違いない。
見つけたらあいつは…、
考えたくもない。
彼女があいつに簡単に何かされるとは思わないが、僕が守りたいと思うのも事実。
でも、と何時までも胸を占拠する苦々しい思いが、口をついた。
でも彼女は死んだから。
それら全ては無効になる。
―そう、彼女は死んだ。
僕の目の前だったのに。
一瞬誰か分からなかったけれど、彼女がちょうど光に合わさった時、目を奪われていた女の子が彼女だと気づいたのだ。
白いマフラーが風で揺れて、僕はただ動けなかった。
あの時の事を思うと、今でも胸は虚しさを訴えかけるのだ。
瞑っていた瞼を開いた。
柳井が控えめに開けたカーテンから光が差し込んでいて、僕を所々輝かせる。
その煌めきは強い意志を彷彿させた。
あの時から胸に去来する虚しさと共に決意した僕の確固たる意志。
「絶対に彼女が死んだなんて認めない…、誰が何と言おうと、僕だけは…僕だけが、」
認めない。
誰に向かっていったわけでもなく、強い意志を伴って呟かれた僕の言葉は、朝の清涼な空気に消えていった。
僕はベットから立ち上がって、部屋に備えつけられた洗面所で顔を勢いよく洗い流すと、冬の少しごつい制服を着始めた。
水色の、落ち着いた色合いだが、少し目立ってしまう制服。
ほんとは黒い方が着たかったが、父がそれは許可しなかった。
特進科として入学するなら家を継ぎなさい、そう言われて僕は閉口するしかなかった。
―水色なんて、柄じゃないよなぁ。
柳井やあいつはその目に似合った色合いだと誉めたたえていたが、僕はこの目の色を好まない。
人をいい意味でも悪い意味でも興味を抱かせてしまうらしい、と気づいたのは小学校の時だった。
同級生の男の子、今では全く思い出せないが、確かこの目が大好きだと言っていたように思う。
そう思うと、当時はえぐり出してやろうか、と考えたが今は違う。
今は都合がいいものだ。
仕事をする際には勿論だが、交友関係や人付き合いにおいて並々ならぬ力を発揮する。
それがたまらなく鬱陶しいが、都合はいい。
少し嫌なことを思い出した、と眉をひそめながら部屋を出た。
こんなに朝早くから僕が部屋を出るなんて、あまりないことだ。
いや、めったにない。
それに何時もは起きるとすぐに柳井に電話をするが、今日はなんとなくしなかった。
ただ、なんとなく。
きがつくと、今日はやけに気分がいい。
朝は気分が悪いのが当たり前、と使用人たちは思っているほどなのに。
ああ、と思い当たる。
昨日から感じていたいい予感。
彼女に関する苦い思いを覆す程、強烈ないい予感がする。
―僕の予感は当たるんだ。
ただひたすらまっすぐ続いている赤い絨毯を歩きながら、日光をくまなく浴びる。
―母が亡くなった時だって、予感はしていたんだから。
母が死んだ時、心配して中学生だった僕から離れようとしない柳井をよそに、僕はやっぱりな、と妙に冷めた頭で思っただけだった。
父は母の死に目にあわなかったようだ。
後から思わず笑ってしまったことだが、どうも愛人のところに通っていたらしく、柳井から連絡を貰い慌てて病院に行くも母は既に息を引き取っていた。
柳井は僕のそばでずっと僕をきにかけていたように思う。
幼少期に親を無くすのは子供に多大な影響を、と言っていたが、僕が感じたのは変化が訪れたことによる違和感と、自分の予感が当たったという自負。
とてもじゃないが、親が亡くなったことに対する悲しみが僕の心に訪れたとは言えない。
―そんなこと、どうだっていいけれど。
母は他の人から愛されていたから、僕の愛なんて、ちっぽけな存在に映ったことだろうから。
愛さなくても良かった、その思いが僕の罪悪感にも似た感情を払拭させたのだろう。
僕は長い廊下を歩いた末、一階へと降りる階段にたどり着いた。
やっとたどり着いた。
この階段を降りると、広間はすぐそこである。
広間。
姉のことが否応なしに頭にちらついて、つい姉の部屋に目を走らせる。
姉の部屋は広間の近く。
階段を降りた僕は、姉の部屋をよこぎりながら、静かだなと感じていた。
使用人の姿が見えないが、と思って、そういえば今日は居ないんだったと思い当たる。
柳井が昨日室内電話で言っていたことだ。
まあ、柳井がいるならいいよ、と軽く僕が言うと柳井は喜びを隠さずに、はい。必ずいます。と言っていた。
そんなに意気込まなくても、別に居なかったら居なかったで代わりを用意するからいいのだが。
広間の扉からも光が漏れだしていた。
柳井かな、と思いながら扉を開ければ、やはり柳井が一人で食事をしていた。
柳井は何時も食事を誰より早くとる。
誰にも食事している所を見られたくないのだと言う。
お前は山姥か、妖怪の類かよ、と呆れた目で見ながら今でも柳井がその習慣を変えたことはない。
だからと言っては何だが、僕が現れたら柳井は驚くだろう上に、もしかしたら習慣を破られて怒るだろうか。
そんなことを考えて、くつりと笑う。
広間の扉をゆっくりと開ければ、広い部屋が視界に移り、中には机に向かう柳井がいた。
食事中だ。
思わずにやけそうになる僕は、足音を消しつつ歩きだした。
窓が極端に少ない広間には、採光のための小さな窓硝子が控えめにある程度だ。
だが今は照明が柳井と部屋全体を照らしている。
ふと、柳井が食事をしているはずなのに、手を動かしていることに気づいた。
手を動かしているのは、机の下。
そういえば柳井が座っている席は僕が何時も決まって座る席だと気づいた。
―食事はしていないのか?
ならば何を。
僕が見たのは、柳井が手を上下に動かして蒸気した頬と淡く色づいた唇から喘ぎ声を発する柳井の姿。
よく見ると、柳井の手には小さな布のようなものも握られていて、その手をひたすら動かしていた。
―柳井は食事中だ。
僕は僕の脳が勝手にそう認識したままに思い込んで、部屋を出た。
柳井は食事中だったが、決して見られてはいけないようなことはしていなかったが、と軽く不思議に思う。
―もしかして僕が礼儀を気にすると思っているのだろうか。
さっきまでは浮かばなかった柳井の食事姿が、次々と浮かんできた。
そういえば、少し下手だったかな、とさっき見たはずの光景を思い出した。
――普通に食事をする姿。
スプーンを手に、スープを口にもっていき―…、そばには半分かけたパンがあったはずだ。
やはり柳井の習慣を破るのはいけないかな、と思い柳井には声をかけずに広間をあとにしたのだが、気づかれなかっただろうかと心配になって、柳井がいた広間に目を向けた。
相変わらず控えめに光が漏れていた。
柳井がいる。
そう考える度に、妙な違和感と、それが徐々に拭われていく感覚を覚えた。
何かを忘れていっているような感覚だな、これは。
――でも、何だろう。
遂にはそのことすら頭に掠らなくなって、僕は広間近くの台所に足を向けていた。
台所は清潔に保たれていて、柳井の神経質ぶりが少し窺えるようだ。
ある意味で完璧なところは嫌いじゃない、むしろ好きだ。
完璧なのは彼女と同じだから…
目についたのはやはり冷蔵庫。
業務用かと思うぐらいでかいのは、使用人たちの食事を入れておくためと、僕がこうして自ら漁りにくるから柳井が気を使って、色々買い溜めておいてくれるためだ。
冷蔵庫からボトルに入った炭酸の飲み物と、作り置きのサンドイッチを取り出して、食べた。
ふと、そばの机に錠剤らしきものが置いてあるのが分かった。
―薬?
柳井は風邪でも引いてるのか?
錠剤を見て一瞬頭をよぎったものがあったが、すぐに消されてしまった。
もう思い出すことは出来ない。
食べ終わった僕はまた、何も音がしない静かな廊下を歩いて自分の部屋に戻った。




