僕は私。Ⅳ
翌日。
僕はなんとか家路にたどり着いた。
寮に帰ることが出来たのだ。
あれから僕はただひたすら鞄の中をあさり、携帯を見て、この子について知ろうとした訳だが、どうにも駅まで来た目的は不明瞭で分からなかった。
一つの心あたりは…、絵画教室だった。
携帯の中、絵画教室、の文字のところに打ちこまれていた住所は僕が立ち尽くしていた場所だったのだ。
しかし気づいたのは夜遅く。
周りはもう先ほどまでの少しの明るさを微塵も残しておらず、駅から漏れでる光がただ虫を引きつけているだけだった。
羽音が、やけに耳についた。
―帰らなきゃ、駄目だよね。
暗闇の中にぼんやりと浮かぶ光を視界の端で感じながら、徐々に輪郭を失っていくのが分かった。
―でも、どこへ?
自分がどこに帰ればいいかなんて、直ぐにわかるものだと、勝手に思っていた。
直感的にでも、本能的にでも、動物に帰巣本能が備わっているように、僕にだってそんな目的地を探す能力、湧いて出てくるインスピレーションみたいな衝動が起こると心の底で信じていた。
でも、結果はこれ。
―今までは困ったことがなかった?
―当然そこにあるべきものだと思い込んでいたの?
誰かの声が僕を詰問するように頭の中で響いた。
苛んで、責めているのかもしれなかった。
その誰かは僕がしりたがっている答えを、もう予めわかりきっているかのような余裕を感じさせる口調だった。
もし知っているなら、と問い詰めたくなった僕は歯がゆく思った。
誰が、誰に。
僕という存在が何で、頭に残像のように消えながらも確実にそこにある感覚がする誰か、は一体何なのか。
その問いの答えすら持ち合わせてなどいない僕は、何も知らない僕自身をせせら笑いたくなった。
ふと、違和感に気づいた。
―“私”ってこういう性格だったっけ。
影が曖昧な実体を伴って、唇らしきものを動かす。
―まあ、急ぎすぎたから完全ではないのよね。
その言葉を最後に、今までいた誰かは霧のように消えてしまった。
その後。
黒い携帯に電話がかかってきたのだ。
受話器の向こう側からは若い女の子の声が響いていた。
曰わく、寮に早く戻らないと今日はやばいことになる、ということと、今日は珍しくも何時ものような代理ではない、本物の(こういう言い方だと、代理人が偽物みたいに聞こえるけど)寮長が見回り点検をくまなくするらしいということ。
最初は、黒い携帯が味気なく鳴らす音楽を前にして、どうしようか悩んだ。
悩んだ末、少しばかりやけくそになって、その勢いのまま携帯を耳に押し付けたのだ。
電話に出たら色々バレてしまうのでは、という危惧は、冷や汗をかきながらも何とかそれっぽく振る舞ってやり過ごした。
もしかしたら、この子は敬語が普通なのかもしれない、と思ってのは、つい、全く知らない他人だと思い敬語で対応してしまっても、違和感なく会話が進んだからだ。
―それならそれで、都合がいいんだけど。
近くで何かが落ちた。
照明につられて無自覚に自分を幾度となく傷付けた、蛾の死体がそこにはあった。




