僕の説明書 三
翌日、朝起きると、記憶が少し混濁して曖昧になっていた。
ベットから出ようともせずに、ただ目を瞑って横になっていた。
冷静な頭で考えると、頭の中に細く小さな違和感が突き刺さっていることに気づいたのだ。
いつもは見過ごすだろうに…
扉をノックする音がした。
「なに。入らないで。」
カーテンは閉めきられ、一片の光すら差し込まず灯りが存在しない、暗い室内。
誰に見られようと、夜目がきかない限りよく見えないだろうし、見られたくないものなんてこの部屋にはないけれど。
ただ、ベットに膝を抱えるようにしてうずくまる僕が望むこと。
――僕以外がこの部屋に存在するなんて、認めたくない。
部屋の外は慌ただしくなってきた。
僕が何も言わないから、だろうと分かりきった推測をする。
僕は左手を伸ばして、室内から電話を掛けた。
「…あぁ、柳井さん?
今日、体調悪いんで、休みます。
…ええ、分かってますよ…、はい、…では。
あ、それと、誰も部屋によこさないで下さい。…絶対に。」
電話を切った。
携帯の画面の光は徐々に薄れて、消えた。
今の僕は本当にぐちゃぐちゃしている。
嫌なことが重なり過ぎて、その重さに耐えきれなかった。
昨日なんて、あんな……、
考えたくもない。
あれは特殊だ。
なのにどうしても付きまとう。いつまでも、しつこく、僕に寄り添うように黒い暗雲をもたらすのだ。耳で囁くその声は彼を連想させて僕の首を絞め、僕を包むその何かは、彼に抱いた感情を僕に跳ね返す。
ほんと、厄介。
こんな筈じゃなかったのに、こんなはずじゃ…
頭を毛布で覆い隠し、身すら守れない僕は心だけでも、と震えながらも自分の心に強固な鎖を巻きつけていく。
これ以外動かないように、強く願いながら。
暗い静寂が僕を囲んでいた。
だれ一人として、ここにはいなかったのだ。
誰かの叫び声。
こだまする悲鳴と、伝染する恐怖。
その一端が此処までやってきていた。
寝起きの頭で考える。
出て状況を確認するのは得策か、と。
電話をしてもいいが、出ない場合があると面倒だ。
それに比べ部屋から出て直接、悲鳴のした方向にむかうならば直ぐに済む。
どちらにしても、長い時間を置くのは良くない。
僕は部屋から出た。
赤い絨毯が敷かれた廊下を駆け抜ける。
久しぶりに見た赤色が目に眩しい。
暗闇に慣れていた目が、突然光に晒されたことで立ち眩みや目眩がおこるが、足を前に動かし続けた。
―嫌な予感しかしない。
こうまで急ぐのは、自分なりの理由がある。
昨日から今日にかけて嫌なことしか起きていないのだ、実際。
二度あることは三度あるという。
そのとおりだと思う。
今日ばかりは、幸せなことなんて何一つ起こらない気がする。恐ろしいほどに。
長い廊下を駆けながら、奇妙な違和感が僕を襲う。
誰もいない。
人の姿が見られない。誰かはいてもいいのに、当たり前の存在が消えていることに、思いの外焦ってしまった。
また、僕が、こんな目に。
襲いかかる焦燥感と胸を潰そうとする不安感が一緒くたになって、僕の心を支配する。
息が苦しくなる。
額からは汗が噴き出して、頬を伝って今にも床に落ちようとしていた。
乱れた息と混乱した感情のまま、広間の大きなチーク材の扉の前までたどり着いた。
涙が出ないのは、昨日涸れてしまったから。
扉に手をかける。
僕は部屋から出なければ良かったのかもしれない。
この選択は間違いだったのか?




