第009話 本物みたいな勇者
「待ってください、そっちはまだ危ないです!」
城下町の端にある友好区。人間の住民が多いその一角で、騒ぎのあった路地へ入ろうとしたハトの前に、女性が手を広げた。
崩れていたのは一軒の家の外塀だった。石が路地を塞ぎ、近所の二、三人が向こうを覗き込んでいる。
「魔王軍と揉めたって聞いたんですけど……怪我人は?」
「塀の向こうに一人。何があったかは私も見てなくて……とにかく、動けないんです!」
女性の声が震えた。
ハトはとっさに腰の剣へ手を伸ばし、そこで止まる。リッカに仕上げてもらったばかりの剣。使いやすい、普通の剣。
壁をどかす力まで付属しているわけではない。
「ハルトさん、わたしが何とか――」
「待て。上が崩れそうだ。近づくなら様子を見てから……」
言いながら、そんな時間があるのかと焦る。
その時、奥から人の叫ぶ声がした。
「誰か! 助けてくれ!」
ハトは足を踏み出した。
同時に、道の向こうから一人の男が走ってきた。
「皆、離れていてくれ!」
迷いのない声だった。
長身の男は崩れた塀の向こうの人を見つけると、立ち止まるより早く身を低くした。覗き込んでいた二人を退かせ、落ちかけた石材を剣で弾き、下敷きになりかけていた男性の腕をつかむ。
石が地面に落ちる、腹の底まで響く音。
男は救い出した男性を抱えて、崩れた壁の外へ駆け抜けた。
間一髪。
「大丈夫か。立てる?」
「あ、ああ……助かった……!」
「よかった。こちらへ。安全なところまで行こう」
男は男性の肩を支え、待っていた女性のもとへ送り届けた。それだけではない。崩れた塀の向こうをもう一度覗き、ほかに誰もいないことを確かめている。
ハトは、抜きかけた剣から手を離した。
「……すっげえ」
つい本音が出た。
何だよ、あの身のこなし。剣も速いし、人を助けたあとに周りを確認する余裕まである。勇者って、こういうことをする人間じゃないのか。
「ハルトさん! 今の人、すごいですね!」
「ああ……って、俺の前でそんな嬉しそうに言うなよ」
「えっ? でも、助かってよかったじゃないですか!」
「それはもちろんそうだよ!」
そうなのだ。助かった人がいるのだから嬉しい。嫉妬するのは筋違いだと分かっている。
分かっているのに。
剣を持って立っていただけの自分の横を、あの男が颯爽と通り過ぎたのである。
◇
崩れた塀には誰も近づかなくなり、救助された男性は小さな広場の端で腰を下ろした。
ハトとナユエも広場へ出る。そこで先ほどの男が、ようやく立ち止まった。
整った顔立ちに、いかにも絵になる立ち姿。剣を鞘へ納める動作さえ、無駄がない。ハトは自分の短い作業上着を見下ろした。借り物の袖は、いつもの癖でまくったままだ。
「アルディオ様!」
若い女性の声が上がった。
「アルディオ様、ありがとうございました!」
「噂どおり、本当に助けてくださった……!」
もう一人の女性も拍手した。男――アルディオは助けた男性の様子を確かめてから、振り向いた。
「礼には及ばない。ボクにとって、君たちの笑顔を守ることは息をするのと同じさ」
片手を胸に当て、すっと顎を上げる。
まぶしいくらい堂々としていた。
「……むかつくほど似合うな、あの台詞」
ハトは小さく唸った。
ナユエが隣でうんうんと頷いている。
「本当に勇者みたいです!」
「『みたい』って言葉に今だけ救われたわ」
「どういう意味ですか?」
「何でもない」
アルディオの前には、女性二人と近所の数人が残っていた。
そこへ本人が、待っていましたとばかりに片腕を広げる。
「嗚呼、みんな。そんなに見つめないでくれ。ボクという光が、君たちの瞳を焼いてしまう」
「…………」
ハトは眉をひそめた。
助けた人の具合を確かめたと思ったら、次は自分の輝きの心配かよ。
「だが、せっかくの祝福だ。今日はボクの喜びを、身体で表現しよう!」
アルディオは妙に張り切った顔で、広場の中央へ歩み出た。
そして。
服を脱ぎ始めた。
「えっ」
まず上着が外れる。続いて、あれよあれよという間に、男はブーメランパンツ一丁になった。
「ええええええっ!?」
ハトの声が裏返る。
アルディオは全く気にしない。
「見てくれ! 今、この喜びから生まれた新作――勇者の舞だ!」
両腕を大きく上げ、腰をくいっとひねる。
ぐるりと回る。
なぜか歌い出す。
「♪救いの風よ、ボクという花を運べぇぇ!」
「新作!? 何でその格好になった!? しかも歌うの!?」
返事はない。アルディオは歌に合わせて足を踏み替え、自分の動きに酔いしれるように胸を反らした。
さっきまで彼を褒めていた女性たちの顔から、笑みが引いていく。
「……ちょっと、あれ……」
「鳥肌……」
女性の一人が隣の腕をつつき、二人そろって半歩後ずさった。
「ハルトさん、あれも勇者のお仕事なんでしょうか……?」
「俺に聞くな! 俺は勇者の研修を受けてない!」
「でも、助けた方なのは本当ですよね」
「そこが一番ややこしいんだよ!」
見た目だけじゃない。救助は確かに本物だった。あの速さと判断は、剣を買ったばかりのハトが真似できるものではない。
なのに、今、本人は広場の真ん中で腰を振っている。
尊敬すればいいのか、止めればいいのか。
「さあ、さらに燃え上がれ、ボクの情熱!」
アルディオが手にした道具に火がともった。
「ファイヤーダンスまでやるの!?」
広場の石畳の上、建物と休んでいる男性から離れた場所だった。先ほどの崩れた塀のそばでもない。それでもハトは思わず身を引いた。
火が輪を描くたび、アルディオは大げさにポーズを決める。
救助した男性は休みながら、口を開けて見ていた。
「……助けてもらったけど、何なんだ、あの人」
気持ちは分かる。大いに分かる。
ハトは頭を抱えた。
◇
やがて火が消え、アルディオは満足そうに一礼した。
広場には、どう拍手したものか迷う沈黙が残った。
「素晴らしい舞だったろう? さあ、ボクという奇跡に遠慮せず感動してくれたまえ!」
「自分から要求するな!」
思わず突っ込んでから、ハトは慌てて口を押さえた。
アルディオがこちらを向く。
「おや。君は?」
「いや、通りすがりです。通りすがりの、普通の人です!」
勇者だとは絶対に言えない。
ただ、言わなくても何だか負けた気分だった。
アルディオは人を助けた。間違いない。だが、その後の様子はどうだ。あれほど自分に酔っている男が、本当に立派な勇者なのか。
ひょっとして、救助がたまたま上手くいっただけなんじゃないか。
そんな考えが頭をもたげる。
都合がいい考えだと、自分でもどこかで分かっていた。けれど、あの舞を見せられた後では、一度くらい確かめてやりたい。
「ハルトさん、もう帰りませんか? 怪我した方も休めていますし……」
ナユエが袖を引く。
「うん。それはいいんだけどさ」
「……ハルトさん?」
あんな人が勇者らしく見えて、自分はいつまでも普通の剣を持ったバイトのままなのか。
悔しい。
そう思ってしまった時には、足が前へ出ていた。
「おい、アルディオさん!」
ナユエが「えっ」と小さく叫ぶ。
アルディオはにっこりと笑った。
「何かな、ボクの舞に心を奪われた青年よ」
「奪われてねえよ! むしろ返してほしいよ、今の光景を見た時間!」
「ふふ。照れなくていい」
「照れてない!」
ハトは広場の端に立ち、リッカの作った剣の柄を握った。
強くなる魔法は入っていない。
自分の力が一センチしかないことも変わらない。
なのに、退く気になれなかった。
「俺と勝負してください!」
「……ほう?」
アルディオの笑顔が少し変わった。
ナユエが隣で息を呑む。
「ハルトさん、ちょっと、今の人は本当に――」
「分かってる! いや、分かってないから確かめるんだ!」
ハトは剣を抜いた。
普通の刃が、広場の光をまっすぐ返した。
「その立派な勇者ぶり、俺にも見せてもらおうじゃないですか!」




