第008話 勇者の剣は普通でいい
「……剣が欲しい」
救出訓練の部屋から出た佐伯ハトは、人のいない曲がり角までナユエを連れていき、壁に寄りかかって言った。
ようやく縄のない世界へ帰ってきたのだ。なのに、耳にはまだ『素晴らしい!』という拍手まじりの声が残っている。
「ハルトさん、喉は大丈夫ですか? お水、もう少し飲みます?」
「ありがとな。喉より勇者としての誇りが心配だ」
ナユエが差し出した水を飲む。
「魔王を倒す旅に出るはずの俺が、魔王城で助けを求める練習をしてるって何だよ。しかも俺だけ本気で!」
「でも皆さん、とっても感動してました!」
「だから傷が深いんだって!」
廊下を通りかかったパイセンが、こちらへ片手を上げた。
「おう相棒。いい働きだったぞ」
「どうも。おかげで一生分の『助けて』を言いました」
「次からはもっと楽に構えていい」
「次!? ありませんよ次は!」
パイセンは特に残念そうでもなく頷いた。
ハトは彼の腰にある剣へ目をやった。
そうだ。足りないものがある。
「なあ覆面パイセン。剣って、どこで手に入ります?」
「剣?」
「俺も、もっとこう……ちゃんとした装備を持ってみたいんです」
勇者だとは言えない。だからといって『仕事に使うんです』では、いったい何の仕事か聞かれそうだ。
パイセンはハトの顔をしばらく見て、納得したように腕を組んだ。
「そういうことなら城下町に腕のいい修理屋がいる。剣も扱えるぞ」
「おお! ありがとうございます!」
「リッカという職人だ。腕前については心配するな」
「リッカさんですね!」
ナユエがうなずく。
ようやく勇者らしい方向へ話が進んだ。
ハトは今日こそ、花でも醤油でも椅子でもないものを手に入れるつもりだった。
◇
城下町の通りを進むと、金属を叩く澄んだ音が店先まで聞こえてきた。
パイセンに教わった修理屋の扉を開ける。
「すみませーん!」
「開いてるよ。そこ、道具踏まないでね」
返事は作業台の向こうから来た。
ひょい、と顔を出したのは小柄な人物だった。ハトの目線よりずっと低いところに顔があり、腕まくりした袖の先には分厚い手袋が見える。
ハトは思わず足を止める。
「……あれ? 店番の子?」
「誰が子だって?」
「いや、えっと。リッカさん、います?」
「あたしがリッカ。で、何を直すんだい?」
作業台の向こうで、リッカが楽しそうに片眉を上げた。
「……あっ、職人さんですか」
「そうそう。あたしをいくつだと思ってる? 当てたらおまけするよ」
ハトが言葉を探していると、ナユエが横から元気よく頭を下げた。
「すみません! わたしたち、見た目で判断してしまって!」
「ナユエ! 傷口を広げるな!」
リッカは愉快そうに笑った。
「あたしのほうがずうっと年上。ドワーフって得だよねえ、年齢を言うだけでびっくりしてもらえる」
「すみませんでした!」
「分かりゃいいよ。で、名前は?」
「佐伯ハトです」
「ハトね。じゃ、ポッポ君は何が欲しい?」
「ポッポ君!?」
「ハトって名前なんだろ? 可愛いじゃないか」
「可愛いのは今いらない! 剣が欲しいんです、剣!」
「よし、剣ね。話が早い子は好きだよ」
彼女は作業台の脇にあった小さな金具をつまみ上げた。
「長さは? 重さは? どんなふうに使う?」
「えっ……そうですね、勇――じゃなくて、持ってて頼れる感じの!」
「頼れる感じねえ。夢は大きいな、ポッポ君」
リッカの指先で、ぱきん、と音がした。
金具が潰れていた。
「……今、何か壊れませんでした?」
「ん? ああ」
リッカは潰れた金具を見て、少しだけ眉を寄せた。
「あらら。こっちはだめだったねえ」
「えっ、今の、素手ですよね!?」
「うん。仕事じゃないと、ついね」
彼女は何でもないように破片を脇へ置き、ハトの方へ向き直った。
「さてと。剣は潰さないから、安心して」
「ちょっと待って! その手で剣を作るんですか!?」
「その手で作るから面白いんじゃない。ほら、見てな」
言い返す間もなく、リッカは刃のついていない剣の材料を作業台へ運んだ。
それまでの大ざっぱな動きが、そこで変わった。
彼女は刃になる部分を光へかざす。目を細め、角度を変え、指先をそっと沿わせた。
さっき金具を潰した手とは思えない。
刃を整える音が小刻みに続く。リッカの手は同じところをむやみに削らず、引っかかりを確かめるたび、ほんのわずかに動かす。
「……すげえ」
思わず声が漏れた。
リッカは顔を上げずに言った。
「ポッポ君、そっちの手を見せて。剣も服みたいなもんでさ、合わなきゃ格好つかないよ」
「ポッポ君は訂正してほしいんですけど……はい」
「重すぎると、振ってるんだか振り回されてるんだか分かんないだろ? それ、あたしも見たくないし」
耳が痛い。
勇者らしい剣を夢見ていたが、自分の力で大きな剣を扱えるかは別問題なのだ。
ハトは作業台へ身を寄せた。
「……じゃあ、俺でも使えるようにできますか」
「もちろん。そういう注文なら、あたしの得意分野だ」
リッカがようやく顔を上げた。
「握ってみな」
渡された柄をハトが握ると、彼女は手元を見て、長さと重さを確かめていく。ハトが少し持ち直しただけでも目が動いた。
「こう?」
「あ、そこだと持ちにくいでしょ。ちょっとこっち」
「はい」
言われると、不思議と手に収まりやすくなった。
ハトが感心している間にも、リッカの手は作業へ戻る。
ナユエは横で拳を握っていた。
「ハルトさん、なんだか本当に特別な装備を作っていただいてるみたいですね!」
「実際作ってもらってる! あと作業中だから声、声!」
「はいっ!」
「返事も!」
リッカはちらりと二人を見ただけで、作業を続けた。
職人の集中力である。ありがたい。
◇
やがて、リッカが剣を持ち上げた。
「ほら、できたよ」
ハトは両手で受け取った。
まっすぐな刃。握りやすい柄。変に重くもなく、軽すぎもしない。
丁寧に仕上げられている。
それは、ハトにも分かった。
「……おお」
胸が少し熱くなる。
異世界に来てから、これほど勇者らしい物を持ったのは初めてだ。
「これって、何か特別な……」
期待が口をついた。
「特別?」
「たとえば、魔力がこもってたり、使う人の力が強くなったり……」
「ならないよ」
即答だった。
「えっ」
「普通の剣だからね」
「普通」
「変な仕掛けはなし。でも握りやすさと刃の具合には自信あるよ。使い込んでくれたら嬉しいね」
ハトは剣を見下ろした。
光り輝いていない。
突然しゃべり出しもしない。
もちろん、握った瞬間に一センチの力が増した気配もない。
「……本当に、何も?」
「あはは、魔法の剣を期待してた? 残念、あたしが作ったのはポッポ君の手に合う普通の剣。そこは胸張って言えるよ」
リッカは悪びれずに笑った。
ハトは慌てて首を振る。
「いや、違うんです! 仕事はすごいって思ってます。ちゃんと分かります。ただ俺、こういう剣を持ったら何か変わるかなって……」
「そっか。でも、ほら。さっきより持ちやすいでしょ?」
言われてハトは握り直した。たしかに、腕を変に踏ん張らずとも剣を支えられる。
「……持ちやすいです」
「うん。それがあたしの仕事。強くなるのは、そっちでよろしく」
「一番難しい部分だけ客任せ!?」
「そこまで引き受けたら修理屋じゃなくなるって」
けらけら笑うリッカにつられ、ハトも口元を緩めた。魔法はない。でも、頼んだ仕事をきっちり果たした剣が手の中にある。
ハトは剣の柄を握り直した。
「……ありがとうございます。大事に使います」
「そうしな。刃はきちんと仕上げてあるから」
リッカはにっと笑って、ハトの握る剣を指さした。
「大事にするなら、使ってあげてよ。飾っておくために作ったんじゃないからね」
「はい。……あと、ポッポ君はそろそろ卒業させてください」
「えー、似合ってるのに」
「強そうに見えないんですよ!」
リッカはまた笑った。
握り潰した金具のことは忘れていない。なのに剣を見る限り、どこも雑ではない。この人の仕事を疑う理由は、もうなかった。
◇
店を出ると、城下町の通りには人の声が満ちていた。角のある店主が人間の客へ釣り銭を渡し、その横を長耳の子どもが駆け抜ける。
ハトは剣を安全に収め、歩きながら何度か柄の位置を確かめた。
「ハルトさん。よかったですね!」
「うん。普通だけどな」
「普通でも、ハルトさんの剣です」
「……そうだな」
さっきまでの不満が、少しだけ薄れた。
剣は強くしてくれない。
でも、あの職人が自分に合わせて仕上げた一本なのだ。
そう思うと、妙に嬉しい。
その時、通りの先で店主と客が声をひそめているのが聞こえた。
「……友好区で、魔王軍と人間が揉めたって?」
ハトは足を止めた。
「城下の人間が多いあの辺だよ。怪我人が出たらしいぞ」
「どっちが先に手を出したんだ?」
「そこまでは知らねえ。聞いた話だよ」
二人とも現場を見てきたわけではない。ただ、怪我人がいるという言葉だけが耳に残った。
ハトはナユエを見た。
ナユエも、さっきまでの笑顔を消している。
「ハルトさん……人間の方が怪我をしたんでしょうか?」
「そうらしい。でも、何があったかはまだ分からない」
魔王軍と聞いて、パイセンの顔が浮かんだ。人間の自分に仕事を紹介し、無料の水まで教えてくれた人だ。理由もなく誰かを傷つけるとは思えない。
でも、友好区で怪我人が出たのも事実らしい。噂だけでどちらかを決めつけるわけにはいかなかった。
もし本当に怪我人がいるなら、放っておけない。
「ナユエ。確かめに行こう」
「はい。わたしも、この目で見たいです」
ハトは剣の柄に手を添えた。
普通の剣だ。持ったからといって、急に強くなったわけじゃない。
それでも、行くと決めたのは自分だ。
二人は城下町の端にある友好区へ向かった。




