第007話 座るだけの楽な仕事
「座っているだけで給料が出るって、本当ですか?」
佐伯ハトは休憩室の椅子から腰を浮かせた。
「相棒。俺がつまらん嘘を言う男に見えるか?」
パイセンは堂々と言った。勤務中なので今日も顔は見えない。
「いや、そこまでは……」
「椅子は用意されている。動き回る必要もない。時間が来れば終わる。どうだ」
「優良案件じゃないですか!」
勇ましい仕事を探していたはずが、条件を聞いた途端、声が弾んでしまった。
だが考えてみれば、敵情視察中の身である。じっと座って城の様子を観察できるなら、むしろ都合がいい。ついでに足を休められる。両方できる。勇者にも休憩は必要だ。
「ハルトさん、わたしもお手伝いします!」
「ナユエはどうするんだ?」
「応援します!」
「すごく助かるようで、具体的に何するか分からんな」
「お水を持っていきます!」
そこはちゃんと助かる。
パイセンのあとについて廊下を進むと、弁当の匂いが薄くなり、代わりに靴音がやたら響き始めた。
連れていかれた部屋の入口には『救出』と書かれた札が掛かっていた。
「……救出?」
ハトの足が止まる。
「そうだ。大事な仕事だぞ」
「救われる側ですか? 救う側ですか?」
「座る側だ」
「どっちでもあり得る言い方!」
パイセンは気にした様子もなく扉を開けた。
中には椅子が一脚。その周りに、縄と、使い込まれたように見える布が置かれている。壁際では数人の隊員が何やら相談していた。
「……あの、椅子は分かります。縄は?」
「位置を固定するためだ」
「位置?」
「そう。じっとしてるのが大事な仕事だからな」
説明としては筋が通っている。
筋だけは。
ハトはまだ首をひねりながら椅子に座った。
「座り心地は悪くないですね」
「だろう。腕を出してくれ」
「はあ」
言われるまま両腕を出すと、パイセンが手首に縄を回した。
するり、きゅっ。
「……え?」
縄が椅子の横に留められた。
「ちょっと。待ってください」
「痛くないか、相棒」
「痛くはないですけど! これ、手を動かせないんですが!」
「うむ。よし」
「何がよし!?」
パイセンは頷いて一歩退いた。
ハトが立ち上がろうとすると、腕を引かれ、腰がまた座面に落ちた。
椅子はたしかに用意されていた。用意がよすぎる。
◇
「じゃあ始めるぞ」
「いや、何を!?」
パイセンの声に答えるように、部屋の向こう側から靴音が近づいた。
隊員たちは真剣な顔で身構え、別の隊員が扉の脇へ回る。
ハトはようやく自分の姿を見下ろした。
椅子に縛られ、部屋の奥に一人。
入口の札は『救出』。
……これ、捕虜じゃね?
「なあ覆面パイセン! これって俺、まさか――」
「開始!」
「話を聞けぇぇぇ!」
扉が開いた。
「捕らわれた者を発見!」
入ってきた隊員の声が鋭く響く。
ハトはその声に飛びついた。
「そう! そうなんです! 助けてください! この人たち、何も説明せず俺を縛って――!」
「反応良好!」
「何が!?」
隊員は仲間に合図を送り、慎重にハトへ近づいてきた。
その横で別の隊員が、ハトの叫びに耳を傾けている。
「恐怖が伝わる。いいな」
「恐怖が伝わるんじゃなくて、怖いんだよ!」
ハトは椅子ごと逃げようとした。脚が床をこすり、嫌な音がする。もちろん、そんなもので距離が稼げるわけもない。
腕には縄。
自分の力は、対象を一センチ押せるだけ。
今ほしいのは一センチではなく、両手の自由だった。
「ナユエ! おいナユエ、何とかしろ!」
入口の外にいたナユエが顔を出した。
「ハルトさん! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫に見える!?」
「い、いま外してもらえるように……!」
「頼む!」
ナユエがパイセンのところへ駆け寄る。
ハトは今度こそ解放されると思った。
ところが。
「うむ。いい声だな」
パイセンが感心したように頷いた。
「相棒、ただ座ってるだけじゃ惜しいほどの迫力だ」
「惜しまれても困る!」
隊員がハトの前へ膝をついた。
「もう安心だ。助けに来た」
「ありがとう! 本当にありがとう! 早くこの縄を――」
「落ち着いて。今、解く」
縄が外れる。
ハトは自由になった両手を見つめた。動く。ちゃんと動く。
もう二度とこの椅子には座らない。
「やっと……!」
椅子から立ち上がった途端、隊員たちが揃って拍手した。
「すごいな」
「本物みたいだったぞ!」
「救助された瞬間の安堵まで完璧だ」
「……は?」
ハトの足が止まった。
助けに来た隊員が、明るい顔で言った。
「捕虜役の人だろ? ありがとう。おかげでいい救出訓練になった」
訓練。
捕虜役。
その二つの言葉が、ようやくつながった。
「……訓練?」
「そうそう。あれほど切実な声を出してもらえると、こっちも気が引き締まる」
「俺、演技してませんけど!?」
「またまた。あの必死さ、なかなか出せないぞ」
ハトは縄の跡がついた手首を、隊員の鼻先に突き出した。
「この赤い線、演技で描いたと思ってる!?」
◇
「いや、待って。ちゃんと説明してくださいよ」
ハトは外れた縄を指した。
「俺は椅子に座る仕事って聞いて来たんです。捕虜役なんて一言も!」
「座っておっただろう?」
パイセンが言う。
「椅子に座る前に、縄で縛るって言ってくださいよ!」
「安心しろ。危険なことはしていない」
「危険じゃなければ事前説明いらないルールなの!?」
パイセンが少し首を傾けた。
「……言ってなかったか?」
「言ってない!」
「それは悪かった、相棒」
謝る声だけは妙に素直だった。
そのせいでハトも、怒りをどこへ置けばいいか分からない。
隊員の一人が真面目な顔で口を挟んだ。
「さっきの『助けてください』、もう一回お願いできますか?」
「いやです」
「言い方の参考にしたくて。特に途中で声が裏返るところ」
「裏返したんじゃない! 裏返ったんだ!」
「なるほど。自然な反応を大切にされてるんですね」
「されてない! 勝手に大切にするな!」
相手は感心したまま、何度も頷く。
ハトは両手で顔を覆った。
勇者らしい仕事がしたいとは言った。
だが、魔王城で勇者が捕虜として救出される仕事をしたいとは、一度も言っていない。
その時、部屋の外から声がした。
「次の隊、準備できました!」
ハトはぱっと顔を上げた。
「次?」
「交代の隊だ。今の訓練をもう一度行う」
「……もう一度?」
パイセンはハトの肩に手を置いた。
「相棒。評判がいいぞ」
「嫌な予感しかしないんですけど」
「次も頼む」
「頼まれても困るんですけど!」
もう出口へ歩き出していたハトの前に、別の隊員が回り込んだ。
丁寧に、実に丁寧に、椅子を示す。
「こちらへどうぞ」
一人目が椅子を引き、ハトが避けた先で二人目が別の椅子を引いた。
「いや、俺は元の弁当ラインに戻って……」
「少しだけですから」
「少しで済んだことがない!」
「本当に助かります!」
「助かりたいのは俺なんですけど!」
隊員は困った顔をしたものの、ハトを乱暴に引っ張ったりはしなかった。ただ全員が、彼の返事を待っている。
それがまた厄介だった。
普段なら断れる。だが相手は自分の叫びを本気で褒めている。職場の仕事として必要だと信じ切っている。
そしてハトは、今日も給料が欲しい。
「……一回だけ。もう一回だけですからね」
「ありがとう!」
言ってしまった。
ハトは重い足で椅子へ戻った。
今度は何をされるか分かっている。それでも縄が手首に回ると、背中が落ち着かない。
入口からナユエが心配そうに覗く。
「ハルトさん……大丈夫ですか?」
「お前、さっきの時点で止めてくれたら最高だったんだけどな」
「ごめんなさい! わたしも途中まで、何のお仕事なのか分からなくて……」
「俺と一緒かよ……」
「でも、もうすぐ助けに来てくださいます!」
「それは知ってる!」
椅子に座り直したハトの前で、扉が閉まった。
別の隊員たちの足音が、向こうから近づいてくる。
最初の時ほど怖くはない。
ただ、また解放されて、また拍手されて、また椅子へ戻される未来が見えてしまった。
さっきの一回だけという約束は、ちゃんと守ってもらおう。
ハトは息を吸った。
「……おーい。助けてくれー」
扉の向こうから声が返った。
「もっと切迫した感じでお願いします!」
「注文つけるなぁぁぁ! 助けてくれぇぇぇっ!」
扉が勢いよく開いた。
「素晴らしい!」
「褒める前に助けろぉぉぉっ!」




