第006話 魔王城で働く勇者
「「ここ、魔王城だったのぉぉぉぉぉっ!?」」
声が消えても、広間の天井から何かが降ってくることはなかった。
佐伯ハトは口を開けたまま、目の前のベルダクを見た。
魔王。
倒すべき相手。
その人が今、自分の仕事ぶりを褒めたたえて、満足そうに胸を張っている。
「うむ! それほど驚いてくれるとは。余の城の働きぶりに、そこまで誇りを持っておったか!」
「俺たち人間ですよ!? 魔王城で働いてていいんですか?」
「よい。余が人間にも門を開いた。城下で暮らし、この城で働く者もおる」
「……そういう場所だったのか。いや、俺たちが驚いたのは――」
「では、何にそこまで驚いたのだ?」
言えるわけがない。周囲には一本角のおばちゃんも、いつもの同僚もいる。誰も、目の前の二人が勇者と女神だとは知らない。
ここで「俺は魔王を倒しに来た勇者です」と言う。
次に何が起きるか。
少なくとも、先ほどまでの花の角度の話では済まない。
「……こ、この城が、立派だなあって!」
「ほう!」
王が嬉しそうに身を乗り出した。
「分かるか! 余もな、この広間には思い入れがある!」
しまった。余計なところを押した。
隣でナユエが慌てて頭を下げた。リボンが勢いで前に跳ねる。
「本当に、すばらしい職場です! ハルトさんも毎日、花を――」
「ナユエ! 今は静かに感動しよう!」
「はいっ! 静かに!」
全然静かではない。
ベルダクは上機嫌に頷き、二人の今後の働きにも期待すると告げた。
「精進せよ。余は楽しみにしておるぞ!」
「「は、はいっ!」」
返事だけは立派だった。
ハトはナユエと頭を下げ、広間をあとにした。
魔王を目の前にして、勇者が成し遂げたこと。
上司への元気な返事である。
◇
「辞めるぞ」
その夜、寮のハトの部屋。
椅子に座る間も惜しく、ハトは扉を閉めるなり言った。向かいのナユエも拳を握る。
「辞めましょう!」
「当たり前だ! 俺は勇者、お前は女神! 魔王の城で弁当作ってる場合じゃない!」
「そうです! 明日からは冒険です!」
言ってみると、胸がすっとした。
そうだ。本来こういう話だったのだ。
魔王を倒すために異世界へ来た。力が一センチしかなくても、そこは変わらない。敵の職場でバイトリーダーになっているのは、何かがおかしい。
ハトは退職を申し出る言葉を考えた。
「お世話になりましたが、家庭の事情で――」
「ハルトさんには、この世界にご家庭は……」
「そこ突くなよ!」
「す、すみません!」
「じゃあ一身上の都合で……」
ハトは途中で口を閉じた。
退職。
つまり、給料が入らなくなる。
今の手持ちは、勇者の装備を整えるには心許ない。日払いで一日ずつ受け取っても、ひと月分を働きながら使えば大金にはならない。
「……なあ、ナユエ」
「はい!」
「辞めるのはいいとして、明日からの日払い、なくなるんだよな」
「給料……」
「いや別に金に未練があるわけじゃないけど、毎日ちゃんと入るあれ、なくなると装備が買えないわけで」
「そうですよね。あの八割は、確かにわたしの八割です!」
「醤油を通貨に換算するな!」
ナユエが真剣に考え込み、ふと部屋の鍵へ目をやった。
「……それから、寮は?」
ハトも鍵を見た。
二十時の門限。別々の部屋。風呂が使えて、夜には横になれる。
魔王城の寮だと知った瞬間、居心地が悪くなるはずだった。
なのに、明日から野宿することを考えると、胃のあたりがひやりとする。
「部屋も出るんだろうな」
「次のお住まいは……?」
「探すしかないだろ」
「お金、要りますよね」
「……要るな」
二人とも黙った。
魔王の討伐より、明日の寝床が先に迫ってきた。
「でも、ハルトさん!」
ナユエが顔を上げた。
「わたし、ハルトさんを勇者としてお送りしたんです。ずっとこのままではいけません!」
「分かってる。俺だってそう思う!」
ハトは立ち上がり、部屋を一歩だけ歩いた。
そこで止まった。
「……いや、待て。辞めて外に出たら、この城の中がどうなってるか分からなくなるんじゃないか?」
「え?」
「魔王の居場所を知ったんだぞ。ここで働いてれば、敵の様子を見られる」
言葉にするほど、急に立派な作戦に聞こえてきた。
「つまり俺たちは、ただの従業員じゃない。潜入してるんだ」
「潜入……!」
「敵情視察だよ、敵情視察!」
ナユエの顔が明るくなる。
「そういうことですね! じゃあ、明日も八割を頑張ります!」
「視察のためにな!」
「はい! わたし、誰よりも正確に詰めます!」
「敵の戦力じゃなくて醤油を!?」
突っ込んだものの、ハト自身、明日の花が誰の担当になるのか気になっていた。
ナユエは真顔で指先を開き、醤油差しを八割で止める動きを繰り返した。ハトも黙ってその指を見守ってしまった。
◇
翌朝。
魔王城の弁当ラインは、昨日とまったく同じ音を立てていた。
ハトは入口で一度足を止めた。
昨日まで何も考えずに通っていた廊下。昨日まで仲間だと思っていた人たち。
いや、仲間と思っていたのは今も同じだ。
そこが困る。
「ハルトさん。敵情視察、開始ですね」
ナユエが小声で言う。
「おう。怪しまれるなよ」
「はい! いつもどおりです!」
そう言って彼女は、自分の作業台へ小走りで向かった。
いつもどおりが、あまりに自然だった。
「ハト君! 何突っ立ってるの。こっちの箱、先に頼むよ!」
一本角のおばちゃんの声が飛ぶ。
「は、はい!」
ハトは反射的に作業台へ入った。
目の前には弁当の列。手元には花。
あとは置くだけだ。
……置いていいのか? これは魔王の城の弁当だぞ。
「ハト君、その箱だけ待ってるよ」
「すみません!」
手が動いた。
花は正面を向いた。
「そう、それ。今日は早いね」
「ありがとうございます!」
褒められた。
しまった。普通に嬉しい。
ハトは自分の手を見つめた。こいつ、魔王城と分かったあとでも迷いなく花を置ける。勇者としては恐ろしい才能である。
隣でナユエが息を呑んだ。
「ハルトさん!」
「何だ、敵の動きか!?」
「この子、九割になりそうでした!」
「現場の話かよ!」
「でも、ちゃんと八割で止めました!」
「よしっ! ……って、よしじゃない!」
ナユエは一瞬きょとんとしたが、すぐ次の魚に向き直った。
ハトも新人の置いた花が横を向いているのを見つける。
「そこ、ちょっと待った! 花はこっち! 開ける人が見る方向!」
新人が直すと、すぐにきれいに収まった。
「ありがとうございます、ハトさん!」
「おう、次も頼む!」
ああ、まただ。
魔王城の中だと分かっても、間違った花を見過ごすほうが難しい。
昼が近づき、次々に弁当が仕上がっていく。
「……なあ、ナユエ」
「はい?」
「俺ら、視察してるんだよな」
「もちろんです!」
「じゃあ今、何が分かった?」
「花を少し右に置くと、お客様からよく見えます!」
「それはもう知ってた!」
「あと、今日もお給料をいただけると思うと、嬉しいです」
ナユエが照れたように笑った。
ハトは返す言葉を探したが、見つからなかった。
「……俺もだよ」
言うと案外すっきりした。
金が要る。寮もありがたい。この仕事も、嫌いじゃない。
敵情視察という看板は下ろさないが、今日の勤務を途中で投げ出す気にもなれなかった。
「ハト君! リーダーなんだから、次の列も見といて!」
「はい、今行きます!」
元気よく返事をしてから、ハトは小さくつぶやいた。
「……勇者の返事じゃねえな、これ」
◇
昼の休憩室で、ハトは水を飲みながらパイセンの向かいに座った。
「相棒。今日は元気がないな」
「いや、あります。あるんですけど……もう少し、こう、勇ましい仕事ってないのかなって」
「勇ましい?」
「剣を使ったり、緊張感があったり。そういう、働いてる実感が欲しいっていうか」
何しろ自分は勇者なのだ。
もっとも、相手には言えない。
「ハルトさん、でもお花も大切ですよ!」
「分かってるよ! 分かったうえで別の仕事も見たいんだよ!」
パイセンが腕を組んだ。
「ふむ。だったら、ちょうどいい仕事があるぞ」
「えっ、マジですか!?」
「ほう、興味があるか。身体もそう動かさずに済むし、座ってるだけでいい」
ハトは目を瞬かせた。
「座ってるだけ?」
「ああ。楽な仕事だ」
ナユエがぱっと顔を輝かせる。
「ハルトさん! それならお花のお仕事とも両立できそうですね!」
「いや、俺は勇ましい仕事を探して……」
ハトはパイセンへ向き直った。
「ちなみに、その仕事って何をするんです?」
パイセンはうなずき、もったいぶって声を落とした。
「まずは座ってくれ、相棒。詳しい話をしようじゃないか」




