第005話 王様のご指名
「……ナユエ。今日の花、全部ちゃんと正面だったよな?」
「はい! わたしのお魚さんも八割でした!」
「よし。じゃあ何で呼ばれたんだ、俺たち」
「……九割だったのかもしれません」
「急に自信なくすな!」
王に呼び出された弁当工場のバイトリーダー二人は、控えの間で並んで座っていた。
佐伯ハトの膝の前で、両手が落ち着かない。いつもの作業台なら一秒で花を置けるのに、ここには置くべき花がない。あるのは磨かれた床と、やけに背筋が伸びる椅子だけだ。
隣のナユエは、大きなリボンを結んだ頭を何度も下げ、座ったまま一人で挨拶の練習をしている。ジャージ姿の彼女だけ、妙に普段どおりである。
「このたびは、魚型醤油さし部門を代表して……」
「代表するな。まだ何も言われてない」
「では、申し訳ございませんでした!」
「謝るのも早い!」
立っていたパイセンが、低い声で笑った。
「相棒、そんなに青くなるな。王は仕事をよく見ておられる」
「だから怖いんですよ! 見られたんですよね!? 俺、先週、新人に花の角度で怒鳴ってますよ!」
「それなら俺も見た」
「見られてた!」
「廊下まで聞こえたぞ」
「取り消したい! あの日の俺を取り消したい!」
ナユエがそっとハトの袖を引いた。
「ハルトさん。王様って、やっぱり国王様でしょうか」
「王っていうくらいだし……そうじゃないのか?」
「そうですよね。国王様なら、正しいお辞儀をご存じでしょうか」
「俺らが知らないのが問題だろ」
二人で声を潜めていると、パイセンが扉の前へ進んだ。
「お呼びだ。行くぞ」
「今!?」
「今だ」
ナユエが勢いよく立ち上がった。
「ハルトさん、落ち着いてください!」
「お前のほうが先に立ってる!」
立ったところで逃げられるわけではない。
ハトは息を整え、パイセンのあとについて扉をくぐった。
◇
広間は広かった。
当たり前だが、それ以外の感想が出てこない。いつも見ている職場の廊下とは天井の高さから違う。床を踏む音が遠くまで響き、両脇には職場で顔を合わせる面々がずらりと立っている。
「……おばちゃんもいる」
「ハト君、前を見な」
一本角のおばちゃんが短く言った。
あの人が来ているなら、職場で何か起きたのだろうか。よけいに心臓に悪い。
広間の奥、段の上にひときわ大きな椅子があった。
そこに座る男は、威圧感を人の形にしたようだった。ゆったりとした上着は左右で色が違い、その上から金色の飾りが何重にも重なっている。肩の張り出しは妙に大きく、襟は顔の横までそびえていた。
偉い人というのは、なぜ首まわりにそんなに物を盛るのだろう。
しかし笑ってはいけない。絶対に。
男が立ち上がった。
衣装の飾りがかすかに鳴る。
「来たか」
ひと言で、ハトは顎を引いた。
「余がベルダクである」
「は、はいっ!」
ナユエも横で深々と頭を下げる。
「よく来た。顔を上げよ」
二人が顔を上げたところで、ベルダク王はゆっくり片手を持ち上げた。
「幕の内に、あの花を置いた者はどちらだ」
来た。
花だ。
最初の話題が花だ。
ハトは背中をこわばらせた。今日は正面だった。少なくとも今日は。先週の新人の一件か。いや王様はなぜそこまで知っている。
「……お、俺です」
「名は」
「佐伯ハトです!」
王の眉が大きく動いた。
「ハト。おぬしか」
処刑台へ名前を呼ばれたような気分になった。
「では、魚に醤油を詰める者は」
「わたしですっ! ナユエと申します!」
ナユエが半歩進み、さらに深く頭を下げた。
「八割を目指して、日々、精進しております!」
「ほう。八割」
ベルダク王の声が重く響く。
「八割という数に、いかほどの覚悟を込めている」
「えっ」
ナユエが固まった。
数に覚悟。
そういう聞かれ方をする職業だったっけ、これ。
ハトが助け舟を出そうとした瞬間、ナユエは真剣な顔で答えた。
「満たしすぎては、いけないんです」
周囲が静まり返る。
「でも、足りなくても、いけません。ちょうど八割。お客様が使うときに、困らないように」
声は少し震えていた。
それでも言い切った。ナユエは自分の担当のことになると、変なところで肝が据わる。
ベルダク王が、目を細めた。
「……なるほど」
長い沈黙。
ハトは口の中が乾くのを感じた。
「ハトよ」
「はっ、はい!」
「花はなぜ、あの向きなのだ」
なぜ。
花の向きにまで問いが来た。
ハトは迷った。立派なことを言うべきだろうか。労働の尊厳とか、王国のためとか。そんな言葉は今まで作業台で考えたこともない。
「……弁当を開ける人に、見てほしいからです」
「何を」
「花を、です。どうせ入れるなら、その……横を向いてるより、ちゃんと見えたほうがいいと思って」
なんとも普通の答えである。
だが、ほかにない。
「それだけか」
「はい!」
声が裏返った。
ベルダク王は立ったまま動かなかった。
背後の高い椅子が、無駄に豪華に見えた。
「……そうか」
低い声。
「おぬしたちは、そこまで考えていたか」
「す、すみませ――」
「見事である!!」
「――ん!?」
天井に声が跳ね返った。
ハトは反射的に頭を下げ、ナユエもつられてしゃがみかけた。
ところが王は両手を広げている。
「余は感銘を受けた! 蓋を開ける者の目に届く花! 必要な分を見極めた醤油! まこと、弁当とは細部の積み重ねよ!」
……怒ってない?
ベルダク王は段を降りかけるほど身を乗り出した。
「花をただ置くのではなく、食べる者へ向ける。そのひと手間を、誰に教わった!」
「い、いえ、最初は職場のおばちゃんに教わりました!」
「教えを守り、さらに新人へ伝えたと申すか!」
「は、はい!」
「素晴らしい!」
褒められている。
すさまじい音量で。
ハトの頭はなかなか追いつかない。処罰されると思っていたところへ褒め言葉が降ってきて、しかも一つ一つが妙に具体的だ。
「ナユエよ。おぬしの八割も同じことだ。量を誤らず、客の手へ渡す。それを当然とする姿勢、余は誇りに思う!」
「お、王様……!」
ナユエの目に涙が浮いた。
やめろ。ここで泣くな。昨日、飲み屋で散々泣いたばかりだろう。
「ハルトさん……わたしたちのこと、分かってくださる方が……!」
「お前、本当に魚で泣くなあ!」
そう言ったハトも、頬が緩むのを止められなかった。
一本角のおばちゃんが、列の中から大きく頷いている。
「だから言ったろ。食べる人を見なって」
「おばちゃん……!」
「ほら、背筋伸ばしな。褒められてるんだから」
言われてハトはようやく胸を張った。
ベルダク王が満足げに頷く。
「よい。実によい。余はこのような働き手を待っていた」
「ありがとうございます!」
ハトとナユエの声が重なった。
すごい。
王様に、直々に。
花と醤油で。
頭の隅に「何をやっているんだ俺たちは」という声が残ってはいる。だが今だけは、それを黙らせてもよかった。
ナユエが隣で満面の笑みを浮かべている。
ハトも笑った。
まさか異世界に来て、弁当の花をこんなふうに認めてもらえるとは。
ベルダク王が両腕を大きく広げた。
「ハト! ナユエ! これからもその技を磨くがよい!」
「はいっ!」
「わたしたち、もっと頑張ります!」
「うむ! おぬしたちの献身こそ――」
王の声が広間に轟く。
「この魔王ベルダクが治める、魔王城の繁栄を支えておるのだ!!」
ハトの笑顔が止まった。
隣でナユエの笑顔も止まった。
魔王。
ベルダク。
魔王城。
今まで毎朝通った入口。弁当を作り続けた一か月。給料明細の名前。
頭の中で、全部がいっぺんにつながった。
「「ここ、魔王城だったのぉぉぉぉぉっ!?」」




