第004話 弁当界を変える二人
「ハルトさん、わたしたち、もっと強くなりましょう!」
転生から三日目の朝。寮の廊下に響いたナユエの宣言に、佐伯ハトは思わず振り返った。
「おっ、やっと勇者らしい話か! で、何を鍛える?」
「醤油を八割で止める指先です!」
「戦闘力の話じゃなかった!」
ナユエは両手を胸の前で握りしめた。ジャージの袖がずり落ちている。やる気だけは世界を救えそうだ。
「昨日、最後のほうは上手にできたんですよ!」
「知ってるよ。隣で見てたよ。俺も花を置いてたよ!」
二人は勇者活動の資金を稼ぐため、同じ職場で働いている。
たっぷり稼いで装備を整える。旅立つ。それが計画だった。
「一か月後には、どこまで行けるかな」
「はい! お魚さんの名人に!」
「行き先が違うんだよ!」
言いながらもハトは出勤を急いだ。遅刻して給料が減るのは困る。
◇
「ハト君、花が斜め!」
「すみませんっ!」
「ナユエ、魚、入れすぎ!」
「すみませんっ!」
初週の朝は謝罪で始まり、機械音に追い立てられ、昼には二人とも肩が落ちていた。
だが、ある日。ハトは、おばちゃんに教わった向きへ迷わず置けるようになってしまった。
花の茎を持つ位置をほんの少し変えるだけで、弁当を開ける人に花がまっすぐ向く。
「……来た」
「何がですか、ハルトさん?」
「おばちゃんが言ってた、この角度だよ。これだ!」
「わあっ!」
ナユエが拍手した途端、手元の魚の蓋が転がった。
「お前は手を止めろ! いや止めるな! まず蓋拾え!」
一本角のおばちゃんは二人を見て、容赦なく次の箱を寄せた。
「元気あるねえ。じゃ、こっちもお願い」
「褒められて仕事が増えた!」
「よかったですね、ハルトさん!」
「今の、喜んでいいやつ!?」
次の日にはハトが花を置くのを一つも迷わなくなった。
その翌日、ナユエは魚型醤油さしを八割で止めることに成功した。
ところが彼女はそこで、とんでもない発見をする。
「見てください! このお魚さん、目があるんです!」
「そりゃ魚の形だからな」
小さな容器の頭には、つぶらな目が描かれている。
ナユエが試しに色水の入った見本を掲げた。透けた胴が明るく光り、目だけがこちらをじっと見ている。
「色水だと、ちょっとかわいいですね!」
「いや、目が合うと圧があるな……」
ナユエは見本の魚を机に並べた。赤い色水、青い色水。作業用の見本であり、商品に入れるのは醤油だけだ。
「ハルトさん。中身が八割だと、お魚さんの目がちょうど上を向いて見えませんか?」
「そうかな……いや、そう見えてきた!」
「でしょう!」
「……って待て、俺たち今、魚の容器の表情を研究してる!?」
おばちゃんが、二人の手元をちらりと見た。
「見本で遊ぶのは休憩時間にしな。客のには醤油を入れるんだよ」
「「はいっ!」」
注意はもっともである。
それでも昼休み、ハトは花を指で挟む練習をし、ナユエは机の上に置いた見本の魚をじっと眺めた。
「ハルトさん。勇者活動って、いつ始めるんでしょう」
「資金が貯まったらな」
「そうでした。じゃあ、午後も頑張りましょう!」
「おう!」
二人とも疑問に思ったのは一瞬だけだった。
◇
仕事を覚えると、今度は仕事が向こうから増えてきた。
朝、パイセンに「相棒、今日は忙しいぞ」と言われれば、ハトは身構える。
「何か事件ですか!?」
「弁当の数が多い」
「事件の規模が生活に密着しすぎ!」
ところが大忙しの日を乗り切ると、ハトはひときわ上機嫌だった。
ナユエも、並んだ魚の頭が一斉に同じ方角を向いているのを見て、誇らしげに頷く。
そうして一週間が二週間になったころ、新人が来た。
ハトは最初、優しく教えるつもりだった。
「花は食べる人のほうへ向けてね。そう、その辺り」
新人がおそるおそる置く。
花が横を向いた。
「……待って」
ハトの声が低くなった。
新人の手が止まる。
「なんだこの角度は!!」
作業台の向こうでナユエがびくっと跳ねた。
「ハルトさん!?」
「だって見ろよ! これじゃ食べる人じゃなくて隣の弁当に挨拶してるだろ! 花の営業先が違う!」
新人が慌てて花を持ち直す。
「す、すみません!」
「謝るな! いや謝るほどじゃない! でも花は正面だ! ここだけは頼む!」
一本角のおばちゃんが通りかかり、笑いをこらえた声を出した。
「ハト君、あんたの初日もそんなだったねえ」
「知ってます! だから今、熱くなってるんです!」
「熱くなるなら手を動かしな」
その隣では、別の新人が醤油を魚いっぱいに注いでいた。
ナユエの笑顔が、ぴたりと消える。
「醤油は八割って言ったでしょ!!」
「ひっ!」
「お魚さんが苦しそうです! そんなに詰めたら、お客様も困るでしょう!?」
新人はあわてて注ぐ手を止めた。
ナユエは我に返り、声を柔らかくする。
「あっ、ごめんなさい、びっくりさせちゃって。わたしも最初は入れすぎて……でもね、ここで止めるといいんです」
自分の魚を示して、もう一度ゆっくりやってみせた。
新人が真似をする。
「そう! そこです!」
ナユエは目を輝かせた。
「ハルトさん! この子、八割が分かりました!」
「こっちも花が前向いた! やったな!」
二人は作業台越しに拳を握った。
新人が二人を見比べ、花を一輪、魚を一本持ち上げた。ハトとナユエはそろって親指を立てた。
その後、新人が増えても、二人の熱は冷めなかった。
「ハト君、花の指導はほどほどにね」
「はい! まず見本を一個!」
「ナユエ、魚に話しかけてる暇はないよ」
「すみません! でもこの子たち、お客様のところへ行くので!」
「行くのは醤油だよ」
ひと月が経った。
一本角のおばちゃんは、山積みの弁当を前に二人を呼んだ。
「ハト君、ナユエ。あんたたち、もう新人を見ながらラインを回せるだろ」
「え、はい。たぶん」
「じゃ、今日から二人ともバイトリーダーね」
ハトは花を持ったまま硬直した。
ナユエは魚の容器を落としかけ、両手で抱きとめた。
「リーダー……?」
「わたしたちが……?」
「そう。だから今日はそっちの列も頼むよ」
おばちゃんはすぐ仕事へ戻っていく。
ハトはナユエを見た。
この一か月、勇者の武器は増えていない。力は相変わらず一センチだ。
なのに何だ、この達成感は。
「ナユエ……俺たち、やったな」
「はいっ! ハルトさん!」
「いや、やってることは弁当なんだけどな!」
ツッコミながら、顔は勝手に笑っていた。
◇
その夜、二十時の門限に間に合うよう早めに退勤した二人は、パイセンと飲み屋へ寄った。
「おう、相棒。リーダー昇格だってな。祝いの一杯だ」
「ありがとうございます!」
「俺は最初、すぐ辞めちまうかと思ってたぞ」
「俺もです!」
「威張って言うことか?」
パイセンの低い笑い声に、ハトは杯を持ち上げた。
店の灯りの下、卓上のつまみが湯気を立てている。ハトは一口食べたが、口の中にまだ花の向きを考える癖が残っていた。
「覆面パイセン、聞いてくださいよ。今日、新人の花が横向いてて!」
「おう」
「思わず怒鳴っちゃって。俺、花一輪にあそこまで本気になったの初めてです」
「ハルトさん、すごかったです。『なんだこの角度は!!』って!」
「再現しなくていい!」
「わたしも『醤油は八割って言ったでしょ!!』って!」
「お前も大声だったろ!」
パイセンは杯を置いた。
「……お前ら、仕事楽しそうだな」
その言い方があんまり普通だったので、ハトは言葉に詰まった。
楽しい。
確かに、そうだった。
「でもな、相棒。なんで花なんだ?」
「……なんで、って」
ハトは指先を見た。
転生したときには、この指で魔王と戦うつもりだった。
今は花の茎を持つ角度に、異様な自信がある。
「花が斜めだと……嫌なんですよ」
「ほう」
「客が弁当開けて、ぱっと見た時に、ちゃんとこっちを向いててほしい。たったそれだけなんですけど」
ナユエが頷いた。
「分かります。お魚さんも、ちゃんと八割で、お客様に届けたいです」
「俺、最初は花なんか置いて何になるんだと思ってた」
言葉にした途端、胸の奥が熱くなった。
「あんな小さい花でも……ちゃんと向いてると、嬉しいんだよ」
「ハルトさん……!」
ナユエが鼻をすすった。
「わたしも、初めて新人に八割を教えたとき……あの子が自分で止めてくれて……!」
目元を拭った拍子に、リボンが傾く。
「ナユエ、泣くなって。俺まで……」
止まらなかった。
二人は顔をくしゃくしゃにして、卓上の小皿を見つめた。
その小皿には、揚げた芋が二つ残っていた。
「俺、弁当界を変えるんだ」
「一緒に変えよう、ハルトさん……!」
ナユエは立ち上がってハトの肩を抱いた。ハトも肩を回し、二人で声をあげて泣いた。
「もっといい花を! もっといい八割を!」
「一人でも多くのお客様へ……!」
そのまま肩を組み、歌い出す。
「花よ向け、食べる人へー!」
「お魚さんよ、八割でー!」
ひどい歌である。
しかも、当人たちは名曲のつもりで泣いている。
パイセンは、しばらく二人を眺めていた。
「……上のことは分かんねえが、目の前の仕事に本気になるのは悪くねえな」
ハトが顔を上げる。
「働くってのは、いいもんだな」
「覆面パイセン……!」
「それと門限だ。そろそろ帰れ」
「急に現実!」
二人は時計を見た。
「ハルトさん、走りましょう!」
「泣いてる場合じゃねえ!」
肩を組んだままでは走りにくいので、店を出てすぐ腕をほどいた。
城下の道を駆ける二つの背中は、やけに晴れやかだった。
勇者活動の進捗は、ゼロである。
◇
翌日の終業間際、ハトは新人の花を確認していた。
「そうそう、それでいい。あとは慌てず――」
「ハト君。ナユエも、ちょっとこっちおいで」
一本角のおばちゃんが作業台の端から呼ぶ。
ナユエも醤油さしを置き、手を拭いた。
「何ですか?」
「ベルダク王から、ご指名だよ。弁当の作り手二人に会いたいって」
「……ベルダク王?」
給料明細の発行者。
パイセンに訊いても、立派だということしか分からなかった王様だ。
「王様が俺らに? なんで!?」
「知らないよ。お前たちが呼ばれたんだから」
「も、もしかして……」
ナユエがハトの袖をつまんだ。
「わたしたちの八割が、王様のところまで……!」
「王様が八割の審査員みたいに言うな!」
おばちゃんは二人を急かした。
「まず目の前の仕事を終わらせな。呼び出しのことはそのあと!」
「はいっ!」
ナユエが魚を並べ、ハトが花を置く。
王様に何を言われるのか分からない。
だが、さっき教えた新人が花を正面へ向けるのを見た瞬間、ハトは反射的に頷いてしまった。
「……よし。その角度」
隣でナユエが、魚の胴に目を凝らす。
「八割。きれいです!」
王から直々に呼ばれたバイトリーダー二人は、最後の一箱までまったく落ち着かなかった。




