第010話 臭い球と一撃の敗北
「その立派な勇者ぶり、俺にも見せてもらおうじゃないですか!」
広場の端で剣を突きつけた佐伯ハトに、アルディオは目を細めた。
「いいとも。若き挑戦者の情熱を、ボクが受け止めよう」
「言い方がいちいち格好いいな、くそっ!」
しかも本人は、さっきまでブーメランパンツで踊っていた男である。今は服を着直し、何事もなかったように優雅な笑みを浮かべている。
ハトは剣を持ち直した。
リッカが手に合わせてくれた、魔法のない普通の一本。それを抜いて挑戦した時点で、もはや引き下がり方が分からない。
「ハルトさん、待ってください!」
ナユエが駆け寄り、ハトの腕をつかんだ。
「さっきの人助け、見ましたよね? 本当に強い方ですよ!」
「分かってるって。だからちょっと、実力を確かめるだけだ」
「剣で!?」
「いや、当てないようにする! 勝負になったらすぐ――」
「すぐ?」
「……いい感じにやる!」
「何も決まってないじゃないですか!」
全く決まっていなかった。勢いで出た言葉に計画などない。
ただし、何の用意もないわけではない。
ハトは空いた手で懐を探り、小さな球を取り出した。
「ふふふ。正面から挑んで勝てると思ってるほど、俺も馬鹿じゃないんだよ」
球の表面は柔らかく、触ると指先にぺたりと張りつく。
「それは?」
「ネバネバボール。踏むと足がくっつくやつ」
「卑怯じゃないですか!」
「戦いってのは頭を使うもんなんですぅ!」
反論してから、ハトは一瞬だけ見物人を見た。助けられた男性は広場の端で休み、二人の間には十分な空間が空いている。
「皆さん、ちょっと下がっててください! 怪我させるつもりはないんで!」
何人かが顔を見合わせて距離を取った。
アルディオはハトの手元へ視線を落とし、口元を緩めた。
「面白い。君の流儀で構わないよ。ただし、無茶だけはしないことだ」
「余裕ですねえ!」
「勇気ある若者を、怖がらせる趣味はないからね」
余裕の固まりだった。
それがまた、腹立たしい。
◇
「じゃあ、いきます!」
ハトは構えた剣を少し下げ、球を投げた。
「まずはこれだ!」
球はアルディオの片足の前へ落ちる。踏み込もうとした靴底に、べたりと吸い付いた。
「おや?」
アルディオが足を上げようとする。
上がらない。
靴は石畳に貼りついたままだ。片足だけ、見事に止まっている。
「……え?」
驚いたのは、むしろハトだった。
本当に効いた。
「よっしゃあ! 見たか! これが知略だ!」
「ハルトさん、効いちゃいました!」
「効く前提で投げたんだよ! 何で俺まで驚いてるんだよ!」
アルディオは足元を見つめている。貼りついた靴を動かそうと、もう一度軽く引いたが、やはりびくともしない。
勝てる。
いや、少なくとも近づける。
あれだけ速く動いた男も、片足が床に固定されればいつものようには動けないはずだ。
「どうしました、アルディオさん! 身動き取れないでしょう!」
「これは参った。なるほど、足を封じる工夫か」
褒められた。
ハトの胸が一瞬だけ膨らむ。
「ふっ。ようやく俺の恐ろしさが分かりましたか」
「うん。発想は悪くない」
アルディオは、なぜか困っていなかった。
まあいい。今なら一手、先に出せる。
ハトは剣を構えたまま、もう一方の手で懐から二つ目の球を取り出した。
「見るがいい……俺の秘密兵器、第二弾!」
「まだあるんですか!?」
「悪臭ボール! 足止めの次は鼻を攻める!」
投げた球は、アルディオの少し手前で石畳に跳ね返った。
ころころとハトの足元まで戻ってくる。
「え、こっち来んな」
ぽん、と割れた。
「うおっ、くっさ!」
攻めるはずの鼻が、真っ先に自分のだった。
風が吹いた。
近くで見守っていた観客が、一斉に鼻を押さえる。
「何あれ!?」
「ちょっと、こっち来ないで!」
「離れろ、離れろ!」
人の輪が、ハトを中心にするすると広がった。
「おい! なんで俺から離れるんだよ! 相手はこっちだろ!」
「ハルトさん! ごめんなさい、わたしもちょっと……!」
ナユエまで数歩後ろへ下がった。
「お前は味方だろーが!」
「味方です! 味方ですけど鼻は別なんです!」
アルディオも眉を上げた。
「……なかなか強烈な香りだね」
「香りって言い方でごまかせる臭いじゃねえよ!」
ハトは臭いをこらえて、剣を構える。
臭い。ものすごく臭い。
しかし敵の足は止まっている。観客は離れた。勝負の邪魔はない。
これほど条件が揃うことなど、もう二度とないかもしれない。
「勝負だ!」
前へ踏み出す。
ハトが刃を振るより早く、アルディオの腕が動いた。
足は、その場に貼りついたまま。
腰も大きく動かさない。
なのに、剣の切っ先だけがすっとハトの前へ現れた。
「……え」
反応する間もなかった。
アルディオの剣がハトの刃を外へ払い、続けざまに剣の腹がハトの構えを崩した。
「あっ!」
握っていた剣が横へ跳ね、手から離れる。足をもつれさせたハトは尻もちをついた。
石畳の冷たさが、服越しに尻へ届く。
一撃。
それだけだった。
アルディオはまだ同じ位置にいる。貼りついた足も動いていない。
自分が地面に座っている理由を、ハトの頭が少し遅れて理解した。
「……は?」
何だ、今の。
止めたじゃないか。足を。間違いなく。
勝てると思ったのに。
「そこまでにしよう。君が怪我をしなくてよかった」
アルディオが剣を引いた。
声はさっきの救助の時と同じで、軽くも残酷でもなかった。
それが余計に響く。
手加減までされた。
「うそだろ……」
剣を拾いにいく気力も、すぐには湧かなかった。
◇
「ハルトさん!」
駆け寄ったナユエが、ハトの前へしゃがんだ。
「痛いところは? 頭は打ってませんか? 立てます?」
「尻が……主に尻が敗北を訴えてる……」
「よかった、喋れてますね! いえ、よくないです! 手を見せてください!」
握っていた手を確かめられる。痛みはあるが、動かせる。大きな怪我ではなさそうだ。
アルディオはハトの落とした剣を安全な向きにして拾い、近くへ置いた。
「道具は使い方次第だ。君の策には驚いたよ」
「……でも、一回も当てられなかった」
「そうだね。だからこそ、次は自分の身体も鍛えてごらん」
そう言って、穏やかに微笑む。
正しいことを、正しい顔で言われた。
しかもさっきの舞の人だ。
「何であなた、戦う時だけそんなにまともなんですか……」
「ん? ボクはいつだって真剣だよ」
うん。そこは疑っていない。
アルディオが貼りついた靴の始末に目を落としている間に、ハトはナユエに支えられて立ち上がった。
観客がこちらへ戻りかけ、割れた球の臭いが届いてまた距離を取る。
ハトは落とした剣を拾い、割れた球のほうには近づかないことにした。
「帰ろう、ナユエ」
「はい。まずハルトさん、手を洗いましょうね」
「……はい」
◇
広場を離れ、城のほうへ続く通りを歩く頃には、尻の痛みより別のものがじわじわ効いてきた。
アルディオは強かった。
それは認める。認めざるを得ない。
ただ、あんな恥ずかしい踊りをしていた男の周りに、救助の後とはいえ女性たちが集まっていたことが、どうしても気に入らない。
「ハルトさん、まだ痛みます?」
「痛い。いや、尻じゃなくて、気持ちの方」
「……わたし、止めたんですけど」
「知ってる」
「それに、あのネバネバした球も、臭い球も。ちょっと卑怯だったと思います」
「ちょっと?」
ナユエは真顔で見上げた。
「かなりです」
「はい。ごもっともです」
ハトは降参した。
でも、納得できないものは残る。
「なあ、ナユエ。ああいうやつってさ、強い上に、周りからも人気なんだな」
「人を助けましたからね」
「分かってるよ。それは偉い。俺だってそこは認める。でも俺も……せめて、ちょっとくらいモテたってよくない?」
「……モテたいんですか?」
「言わせんなよ、何度も!」
思いきり情けない本音だった。
勇者らしく戦って勝ちたい。そう思って剣を手に入れた。けれど今は、どうにもならない実力差を見せつけられたばかり。
なら、せめて別のところで勝ちたい。
「お前、女神だろ? そういう、人気が出るような付与ってできないの?」
ナユエが足を止める。
「ハルトさんを、モテるように……?」
「できれば、あいつに負けないくらい」
「……分かりました!」
ぱっと顔が明るくなった。
「わたし、ハルトさんの力になりたいです!」
「おおっ、頼もしい! 今回はちゃんと頼むぞ!」
「はい! きっと喜んでもらえるように頑張ります!」
その言葉は、どこまでも本気だった。
ナユエは両手を前に出す。
ハトの足が、ぴたりと止まった。
「……え。ここでやるの?」
「大丈夫です、ハルトさん。今度こそ!」
ナユエの手元に、魔法の光が集まり始めた。




