第029話 剣を止める声
「アルディオ様だ!」という声で、ハトは出口を振り向いた。人々が道を開ける。駆け込んできたアルディオは、ネサルに押さえられた毛布の男を見た。
アルディオは、先に出口へ進む足の悪い女性を見た。次に衝立からはみ出した、押さえられている男の肩を見る。男が「助けてください」と叫んだ。
「その人を放してください」
声は落ち着いていた。だがアルディオの剣は、もう鞘から半分出ている。
「アルディオ。女性の方は先に出口へ通したわ。こちらの男だけ確認中よ」
「確認のために、腕をねじり上げるのですか」
「逃げようとしたから」
ネサルは男の手を放さない。男は痛みを訴えながら、わざと衝立の外へ膝を出した。出口側の人々からも、魔王軍に押さえられた人間の姿が見える。ハトだって数日前なら同じ側へ走った。
「アルディオ!」
ハトが声を張る。上着の内側の結晶が胸に当たった。
「あの人、ただの避難者じゃない。ナユエが見た。俺も、顔が変わるのを見た」
「ハト君。君の言葉は聞きます。ですが、人間を守ると言っていた君が、顔が変に見えたからと――」
「俺一人の見間違いで決めてねえよ!」
シェリザが署名入りの紙をアルディオへ差し出した。
「アルディオ様。この男が名乗った方は、既にご家族と出口を通過しております。同じ名で二人目が列に並びました。わたくしの係が出口で本人を確認済みでございます」
アルディオは紙を見た。ネサルを見た。ネサルの背後で、毛布の男が弱々しく首を振る。
「名を借りた理由は聞きましょう。まず、剣を下ろしてくださいますか」
「分かっています。でも、この方を解放するまでは」
彼は言い終えなかった。広場の奥から、子どもの泣く声がした。ミロが椅子を並べた場所だ。アルディオは子どもの方へ向かおうとして、衝立の脇の狭い通路を走った。
城の方からベルダクが来た。子どもの方へ走るアルディオと、正面で鉢合わせになる。ハトの目にも、二人が互いを避ける気はないと分かった。
「人のいる所へ剣を向けるな」
「魔王ベルダク。あなたの兵が人を捕まえています」
「一人を押さえておる。列は出しておる。見よ」
ベルダクが出口を示した。足を引きずった女性は、もう角の外へ出る。ほかの住民も続いていた。
「出しているから、残る一人を連れて行っていいとは――」
アルディオが剣を抜き切った。銀の刃が一息でベルダクの胸の高さへ来る。ベルダクは後ろの子どもを見ずに半歩だけ立ち位置を変え、掌を開いた。剣先の進む先へ、半透明の盾が寸分違わず立つ。速い。どちらも相手の初動を読んでいた。
アルディオはそこで刃を止め、ベルダクも盾を前へ押さない。剣と盾の間は、指二本ぶんだった。出口を見張るネサルだけが二人へ割り込まず、住民を一歩ずつ横へ逃がす。
剣先と盾は、まだ触れていない。なのにハトの足元で石畳が白く光り、紙コップが風に転がった。あの二人が本気でぶつかったら、ここにいる人たちはどうなる。
「待て! 今、足元が割れた!」
「境が開く」とベルダク。「この広場では、大きな力を正面からぶつけられぬ」
「後ろの子を通してからだ」とベルダクは続けた。盾の位置は変えず、空いた手だけで出口を示す。アルディオも刃を押し込まない。二人とも、そこに人がいることは見えていた。
「人がまだいる! 剣を下げてくれ!」
ハトはアルディオへ向かって走った。二歩目でネサルに襟を引かれる。剣と盾の間に入れば、サイネの結晶ごと挟まれる。
「近すぎる。そこから言って」
「この距離、声は届くな」
「届く」
ハトはネサルに襟をつかまれたままアルディオを見た。剣の先はまだベルダクの胸の高さにある。ハトの声が届くのは、剣が盾にぶつかる前の今だけだ。
「俺が持ってるの、見えるか」
上着から琥珀色の宝石を出した。藍色の細い筋が光る。サイネの姿はどこにも見えない。だから、見ていたことを言葉にするしかない。
「昼に服を直してくれたサイネだ。ミロが光を当てたら、この石になった。俺は目の前で見た」
アルディオの眉が寄る。
「ミロが? 彼は人々を救って――」
「俺も見たよ。前に人を助けた。だから分かんなくなった。でも、サイネに『戻せ』って言ったら、『変わるから戻せない』って。あいつはこれを助けたと思ってる」
アルディオは宝石を見つめた。剣先がベルダクの胸から肩の下へ下がる。それでも柄から手は離れない。
「アルディオ様!」
シェリザが衝立の脇から呼ぶ。その瞬間、男が毛布をネサルの顔へ投げた。ネサルは首を引いて避け、男とアルディオの間へ身体を滑り込ませる。男は衝立の脚を蹴り、奥の椅子へ逃げようとした。
横顔が、崩れた。
頬から鼻の輪郭まで、濡れた紙を引き伸ばしたように歪む。指の本数まで変わりかけた手を、石畳へ突く。隣の女性を支えていた腕と、同じ腕だ。
アルディオはその場で見た。剣を向ける先を失い、息をのむ。
ネサルの部下が男を再び押さえ、衝立の裏へ引いた。出口の住民からは見えない。シェリザが立て直した衝立の前で、ナユエが頷く。
「わたしが見たのは、あの人だけです。出口へ行った人たちは違います」
アルディオの視線が、崩れた男の顔から、ハトの手の中のサイネへ移った。
「……ボクが、あの人たちをここへ案内した」
独り言のようだった。
「急げと言われて、確認を後にした。ボクなら守れると思って」
ハトは何も言わない。アルディオは剣を鞘へ戻した。
「魔王ベルダク。防御を下げてください。ボクも、剣を向けません」
ベルダクが盾を消す。白い線は石畳の継ぎ目へ沈み、紙コップを揺らしていた風も止まった。
アルディオは、さっき自分が守ろうとした列へ向き直る。
「人々はボクが出口へ連れていきます。ここへ集めたのはボクですから」
誰も拍手しなかった。今はその方がよかった。アルディオは剣を抜かず、人の方へ歩いた。




