第025話 なんだあれは
城下の坂を、ハトは早足で下っていた。
左に毛玉が二匹。右にも一匹。後ろには耳の大きな小型魔物が三匹と、寝起きのようにあくびをする長いトカゲがいる。どいつも人へ噛みつく様子はないが、数が増えるたび道行く人が避けていく。
「はいはい、散って散って。俺、餌なんか持ってねえから」
毛玉が靴へ頬をこすりつけた。ハトが足を上げれば、全員が顔を上げる。下ろせば、一緒に一歩進む。
「……俺の散歩じゃん」
角を曲がると、犬ほどの大きさの魔物が二匹加わった。ハトは思わず立ち止まる。二匹も止まる。背後のトカゲが追突し、ハトの脇で押さえていたマントがほどけた。
「あっ、ちょ、これだけは――」
坂を吹き上げる風が、布をばさりと広げた。
褌一丁のベルダクが、街の空へ拳を掲げた。
「しまええええええ!」
ハトは端をつかみ、畳もうとした。毛玉が裾を踏んでいる。別の一匹が留め具に鼻を入れる。引けば引くほど肖像が伸び、金糸の腹筋が陽にきらめいた。
「なんだあれは!!」
魚屋の主人が二階の窓から叫んだ。向かいの人間の子が「王様だ!」と笑い、角のある母親に手を引かれて脇へ下がる。誰もハトの名など呼ばない。ただ、見たこともない行列の先頭と、その背中だけを見ていた。
「違う! 俺は先頭になりたくて歩いてんじゃない!」
急いで進むと魔物も進む。止まると止まる。方向を変えれば、列が蛇のように曲がった。マントだけは風を受けて、まともな旗よりよくなびく。
ハトが裏通りへ逃げると、道幅いっぱいに魔物たちが続いた。先頭の毛玉は胸を張り、トカゲはいつの間にか空き箱を頭にかぶっている。三匹の小型魔物が足並みをそろえたところで、窓から子どもが手を振った。
「違う違う! これパレードじゃないから! 箱のやつも脱げ、それ!」
箱を外してやろうとしゃがむと列も一斉にしゃがみ、後ろの店から拍手が起きた。ハトは立つ。全員が立つ。もう指揮者である。
窓辺に座っていた老人が、布を見て手を打った。
「王様が走ってくるみたいだねえ」
「走ってるのは俺です!」
「だが似ている」
「本人だよ! 似せすぎなんだよ!」
頬が熱い。通りの者はそれぞれの仕事をやめて笑っている。ハトは肖像の端を押さえたまま、少し離れたところに立つ人間の店員へ頭を下げた。店先に積んだ椅子をどかしてもらい、魔物の列を狭い軒下から広い道へ通す。騒ぎを起こしたうえ、椅子を倒すわけにもいかない。
「あんた、次は鐘を鳴らしてから来なよ!」
「次があったら俺がいちばん困ります!」
通りの端で靴屋が店先の商品を抱えた。
「祭りの先触れかい?」
「先触れなら先に俺へ知らせてください!」
魔物を踏まないよう大股で進んだ先、仕立て屋の小さな看板が見えた。ハトは扉へ駆け込む。
「すみません! マントの背中にいる人を、どうにかしてほしくて!」
店内で布を裁っていた女が、鋏を止めた。紺の髪を一本の三つ編みにし、黄色い作業前掛けを着けている。指先と頬に、白い仕立て用の粉がついていた。
「怪我人は?」
「いません!」
「背中に人がいるって言っただろ」
「いや人はいるんですけど、糸で!」
「順に話して。針は逃げないから」
女はハトの肩をくるりと回した。マントの肖像を見て、鋏を机へ置く。
「ああ、王様」
「ああ、で済むの!?」
「顔は知ってる。そんな格好は知らない」
「俺も今日知った」
彼女はサイネと名乗った。城下で服を直し、人間にも魔族にも、まず肩幅を測らせる仕立て屋だという。ハトが人間だと分かっても、次の質問は「走る仕事?」だった。
「最近、走る羽目にはなってます」
「じゃあ裾が長い。さっきの外、踏まれたでしょ」
「見てたのか」
「店の前を半裸の王様が三往復したら見るよ」
「一往復しかしてない! ……え、三往復してた?」
答える代わりにサイネはマントを裏返し、縫い目を指でたどった。
「刺繍は取らない方がいい。きれいな仕事だし、贈った人もいる。背の上から同じ色の布を重ねて、留め具で開け閉めできるようにする。普段は隠せるよ」
「それ! 俺が欲しかったの、それです!」
「最初からそう言って」
「背中に人がいる、で伝わるかと」
「伝わってたら『怪我人は?』って聞かないよ」
サイネは裾に糸で印をつけた。ハトが動くたび、見ずに手で押さえて止める。数歩離れ、今度はしゃがんだ時の長さを測った。机の脇には、町の子どもの外套が二着掛かっている。袖丈は違うのに、同じ色の糸で名前が縫ってあった。
「これ、兄弟の?」
「姉妹。妹が姉のを着たがるから、今日中に袖を詰める。明日の朝、学校へ着ていくんだって」
「朝までに二着? 俺のマント、先でよかったのか」
「急ぎの分だけ終わらせた。ほら、手動かして。次を縫う時間がなくなる」
「ちょっと腕上げて」
ハトが上げると、サイネは「そこで止めて」と言い、袖の内側へ布を当てた。仕立て用の白い粉がハトの手首につく。
「この留め具、肩から外さずに背中の覆いだけ開けられるようにする。王様の顔を見せたい日が来ても困らない」
「そんな日が来る前提で話進めないで」
「来ないなら縫い目が長持ちする。どっちでも得」
「仕事できる人、逃げ道の作り方までうまいな」
「逃げ道? 服の話してるんだけど」
サイネは針に糸を通した。ふだんは率直なのに、針の穴へ向ける目だけはじっと静かになる。ハトはもう一度店の外へ目をやった。動き回ったあとも列は崩れず、魔物たちは彼の帰りを待っている。
「王様がどう見えるかより、あんたが転ばないかが先。大事な服なんだろ」
「……まあ、もらったばっかですし」
「ならちゃんと着な。嫌なら隠していい。贈り物って、着る本人の身体につけるもんだから」
布を切る間、ハトは外を覗いた。魔物たちは店の敷居を越えず、日なたに座っている。大きな犬型が小さな毛玉の耳を舐めていた。騒ぎはまだ遠くで続いているが、店内では針を通す音がした。
その頃、城の物見台に報せが届いていた。
「陛下。城下で、マントを掲げた魔物の列が」
「ハトか。受け入れられたようだな」
ベルダクは嬉しそうに頷いた。
「まだデザインが地味であったか」
報告の兵は、次の服を想像しないことにした。
サイネが最後の一針を通し、布をハトの背へ当てた。正面からは普通のマント。背の肖像は、同じ濃紺の布の下に隠れている。サイネは糸を切ると、もう姉妹の外套の袖へ手を伸ばした。
「いい! めちゃくちゃいい! 仕事が早い!」
「動いてみて。あんた、喜ぶと急に跳ねるから」
ハトはその場で二歩踏んだ。布は開かない。自分の背を見ようとくるくる回り、サイネに肩を押さえられた。
「犬みたいになってる」
「外で犬に好かれすぎたせいかな」
「靴に糸屑つけてるよ」
サイネがしゃがんでそれを取る。ハトも膝を曲げ、布が引っかからないのを確かめた。
「これなら走っても平気だ」
「走らないで済む日が来るといいね。まあ、走るなら転ばないで」
彼女は糸屑を小皿へ払った。笑ってから、次の仕事へ手を戻す。話しかけられれば答えるが、客を送り出すために仕事を止めることはしない人だった。
店の鈴が鳴った。
白い外套の男が、入り口に立っている。淡い茶の髪、深緑の帯。昨日、友好区で人を助けたミロだった。
「あ。昨日の」
「ハトさん。お元気そうで」
ミロはハトに微笑み、それからサイネの手元を見た。切り落とした糸が小皿に落ちている。サイネはそれを払って、また次の依頼の布へ手を伸ばした。
「お直しですか?」
「いいえ。少し、見事なものを見つけたので」
ミロの目は、マントではなく、サイネの指を追っていた。




