第017話 光り輝く世界に
扉の向こうに、世界があった。
少なくとも、ハトにはそう見えた。
公開会議場は思っていたよりずっと広い。左右に並ぶ議席。その後ろまで続く観客席。高い天井から降る光が、壇上を白く照らしていた。
「……うっわ」
思わず漏れた声が、やたらよく響いた。
これから話すのは、魔王城で働く一人の人間としての日常だ。弁当を詰め、花を載せ、時々叱られる。話す中身は決まっている。
問題は、目の前にいる人数だけでは終わらないことだった。
壇上の脇に据えられた魔水晶が淡く光っている。これがハトの声も姿も遠くの国々へ送る。昨日シェリザからそう聞かされ、散々驚いた。
今日になっても、別に慣れてはいない。
「佐伯ハト様、こちらでございますわ」
シェリザ・ドレフが銀縁眼鏡の奥から席を示した。
机の上には『魔王城勤務 人間従業員 佐伯ハト』と記された札。間違いなく自分の名前だ。名前の間違いは今さらとして、肩書きはまともで助かった。
「シェリザさん、あの魔水晶って、ほんとに今から全世界なんですよね」
「はい。どうぞ、落ち着いて普段の言葉でお話しくださいませ」
「俺の普段の言葉、ほぼツッコミなんですけど」
「……適度にお願いいたしますわ」
彼女が書類を揃える。その手が一瞬止まった。
視線が、なぜかハトの頭へ上がる。
「何です?」
「い、いえ。お席はこちらですわ」
ハトは席へ向かいながら、横手の控え場所を見た。
ナユエがいた。濃紺のジャージの袖を両手でつかみ、こちらを見つめている。その隣のリッカはいつもの軽口もなく、口をへの字に結んでいた。
少し離れて、赤髪の護衛隊長ネサルが会場を見渡している。さっきまで何か言いたそうだったが、今は警備の仕事に戻っていた。
そしてベルダク。
魔王はハトを見つけると、満面の笑みで大きく頷いた。
あの王様に「似合っておる」と言ってもらえたのだ。リッカの道具も効いたし、見た目の準備はきっとうまくいった。
あとは口を開くだけ。
……それが一番難しいのだが。
◇
公開会議が始まった。
人間と魔族の代表が順に言葉を交わす。儀礼的な挨拶が続き、ハトは自分の順番を待った。
魔水晶は壇上の斜め前にあった。そちらを見ても、映っているのは淡い光だけだ。自分がどう映っているかは分からない。
実は、額から頭頂までが広く禿げ、髪は横と後ろにだけ残っていた。
遠くへ送られる姿も、もちろんそのまま。
もっともハトはまだ知らない。そんな状態で堂々と椅子に座っている。
「続きまして、魔王城で働く人間の方から、日々の暮らしについてお話をいただきます」
シェリザの声が通った。
「佐伯ハト様、お願いいたしますわ」
「は、はい!」
椅子が少し鳴った。
立ち上がり、前へ出る。
壇上に一歩踏み出すと、照明が正面から当たり、客席の顔が見えにくくなった。代わりに無数の視線だけが集まってくる。
ハトは席札をちらりと見た。
人間従業員。
そうだ。勇者として強さを見せろと言われたわけじゃない。そっちなら確実に詰んでいた。
「えー……皆さん、こんにちは。佐伯ハトです」
軽い笑い声が起きた。
えっ、最初の挨拶で笑う?
そんなに声が裏返ったか。
「魔王城で、弁当を作る仕事をしています」
客席が、また少しざわついた。
ハトは焦って言葉を継いだ。
「仕事っていっても、俺がすごい料理を作れるとかじゃないんです。担当は、弁当の飾りの花です。花を一個、ちゃんと置くのが仕事で」
ここでも笑いが起きた。
「いや、本当に大事なんですよ! 向きが悪いとおばちゃんに怒られるし、蓋に挟まったらやり直しだし!」
思わず手を動かす。花をつまんで、弁当へ置く、いつもの動作だ。
前列の何人かが笑いながら頷いた。
少しだけ、息が楽になった。
「最初は俺、全然間に合わなくて。隣の人に助けてもらってばっかりでした。でも、何回も教わって、今じゃ俺も新しく来た人に教えることがあるんです」
ハトは客席を見渡した。
「働いてる人には、角がある人もいるし、ない人もいます。人間だろうが魔族だろうが、仕事が遅れると普通に困るんです。お昼の弁当、待ってくれませんから」
今度の笑いは大きくなかった。
けれど、聞いてもらえている感じがした。
「その代わり、誰かが間に合わなかったら、近くの人が手を貸してくれるんですよね。俺も助けられたから、今は助けるほうにも回りたいと思ってます」
ふっと、ナユエの顔が浮かぶ。
彼女は魚型の醤油差しを並べる担当だ。あれだけ張り切って失敗するのに、次の箱が来ればまた真剣な顔で手を伸ばす。
そういえば今朝も、何か頑張ってくれたらしい。
後でちゃんと礼を言おう。
ハトは少し胸を張った。
「それが、俺の知ってる魔王城の毎日です」
客席から拍手が起きた。
いい感じだ。
これなら予定どおり短く終われる。下手な冗談で滑る前に帰ろう。
……と思ったのだが。
ハトは客席の向こう、壇上脇のベルダクと目が合った。
王がこちらへ力強く頷いている。
昨日も今日も、自分を働き手として扱ってくれた相手だ。
その顔を見たら、もう一言だけ言いたくなってしまった。
「俺、最初はこの世界のこと、何にも知らなくて。怖いこともあったし、何が正しいのか分からないこともあります」
会場が静かになった。
言いすぎないよう、言葉を選ぶ。
知らない事情はまだある。話してはいけない事情もある。けれど、弁当の作業場で見てきたことまで嘘にする必要はない。
「でも、毎日一緒に仕事して、笑ったり怒られたりしてると……案外、隣にいる相手のことを知らなかっただけなんだなって思うんです」
ハトは一度、息を吸った。
窓から射す光が、客席の間を照らしている。
「だから俺は、人間も魔族も、同じ場所で働いて、飯を食って、明日のことを話せる——そんな、光り輝く世界にしていけたらいいなって!」
一拍。
会場が静まり返った。
まずかったか?
ちょっと格好つけすぎたか?
次の瞬間、客席の前列から、ぶっと噴き出す音が聞こえた。
続いて、笑い。
そして拍手。
「おおっ!」
「光り輝く!」
「そういうことか!」
何が「そういうこと」なのか、ハトには分からない。
ただ、拍手が後ろの席へ広がっていく。
議席の人まで笑っている。
壇上の魔水晶が、白い光を返していた。あれを通して、今の自分が遠くの国々にも映っている。
落ち武者頭である。
額から頭頂まで、実に見事に光を受けている。
前列の男が自分の頭頂を指でなぞり、隣の女が口元を押さえて吹き出した。ハトの耳には、拍手がいちばん大きく届いた。
……届いた!
おばちゃんにも、パイセンにも、あの弁当ラインのことをちゃんと伝えられた!
ハトの顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
拍手が大きくなった。
よし。最後も、ちゃんと締めよう。
「これからも俺は、あの職場で——」
そこで言葉が詰まった。
何だろう。胸がいっぱいだ。
弱くても、役に立てる場所がある。たった花一個の仕事だって、誰かの昼飯につながっている。
魔王様にも、ナユエにも、ここにいていいと言ってもらえた。
それが嬉しい。
ハトは両手を広げた。
「この……俺がっ!!」
声が思いきり響いた。
「これからも、みんなと一緒に働いていきたいと思いますっ!」
どっと会場が沸いた。
手拍子まで始まった。
ハトは照れくさくなり、深々と頭を下げた。
頭頂の地肌が、壇上の光をきらりと返す。
客席の笑いと拍手が、もうひと波大きくなった。
ハトは、うまく締められたのだと思った。
◇
舞台裏の控室へ戻ると、急に足が軽くなった。
「っはあー! 終わったぁ!」
ハトは肩を回した。
頭の中では、まだ拍手の音が鳴っている。世界中継なんて二度とごめんだが、案外、自分にも人前で話せることがあったらしい。
「ハルトさん……」
ナユエが控室の扉の脇に立っていた。
いつもなら勢いよく飛びついてきそうなところなのに、今日は一歩も動かない。
リッカもいる。小柄な体で腕を組み、こちらを見ては目を逸らしている。
「おっ、二人とも。聞いてた? 結構ウケたろ!」
リッカが眉を引きつらせた。
「……ああ、ウケてたねえ。そりゃもう、ものすごく」
「だろ!? 最後ちょっと熱くなりすぎたかなって思ったけど、拍手すごかったし!」
「ハルトさん、その……」
「ん? 応援ありがとな。おかげで最後まで喋れた!」
ナユエは返事の代わりに、ジャージの袖をぎゅっと握った。
ハトは笑いながら部屋へ入った。壁際に服を整えるための姿見が立てかけられている。
「まあでも、せっかくだし一回くらい自分の姿も見とくか。あの魔水晶、こっちに映像返してくれなかったし」
「ポッポ君!」
リッカが叫んだ。
ハトはすでに鏡の前に立っていた。
「え?」
鏡の中に、知らない男がいる。
細い顔。見覚えのある作業上着。
そこまではいい。
額が広い。
広すぎる。
目線を少し上げても、髪がない。さらに上げても、ない。
頭のてっぺんまで、つるりと地肌が続いている。
両脇と後ろにだけ、黒茶の髪が無事そうに残っていた。
ハトは鏡へ半歩近づいた。
男も半歩近づく。
恐る恐る額へ手を伸ばす。
指が、地肌を滑った。
「…………」
もう一度、触る。
ない。
さっきまであったはずの前髪も、頭頂の髪も。
「……これ、誰?」
返事はない。
鏡の中の男が、口をぱくぱくさせている。
ハトはゆっくり首を横に振った。両脇の髪だけが揺れる。
落ち武者だ。
それも、自分だ。
「……待てよ」
頭の中で、会議場の光景がひっくり返った。
最初の挨拶から笑われた。
花の話でも笑われた。
光り輝く世界、と言ったら大歓声。
ベルダクの「似合っておる」。
リッカの裏返った声。
ナユエの引きつった笑顔。
そして、自分の姿を全世界へ送っていた魔水晶。
「……あ、あの拍手って」
ハトは鏡に映る頭を見つめた。
「俺の話が届いたんじゃ……」
足元から何かが崩れ落ちていくようだった。
全部が全部、そうだったとは思いたくない。
仕事の話を真面目に聞いてくれた人だって、いたはずだ。
でも。
「光り輝いてたの……俺の頭じゃねえかぁぁぁ!」
ナユエがびくりと肩を跳ねさせる。
「ハ、ハルトさん! あの、わたし、よかれと思って——」
その声で、今朝のヘルメットと、ナユエの妙な顔が一気につながった。
ハトは鏡から振り返った。
ナユエがジャージの袖を握りしめている。
リッカは両手で顔を覆っていた。
ハトは息を吸った。
「ナユエェエェエエエエエエ!!!!」




