第016話 似合っているぞ、ハト
「世界中の人が見るんだぞ。世界中の」
「ハルトさん、昨日からそればっかりです!」
「昨日までは『まさか』だったんだよ! 今日になったら『本当に』になったんだよ!」
公開会議の当日。朝のリッカの修理屋で、ハトは椅子に腰を下ろしていた。
髪を整えて、少し格好をつけて、魔王城で働く人間として短い挨拶をする。それだけの予定だ。
店の姿見は工具棚の向こう側にあった。ハトの椅子は作業台へ向いている。
ただし挨拶は全世界中継。
それだけ、の中身が大きすぎる。
「ポッポ君。頭、動かさない」
「はいっ」
小柄なリッカが、作業台から銀色の丸い器具を持ち上げた。頭をすっぽり覆う大きさで、内側には洗髪用の細い管と、頭皮を揉む柔らかな指、仕上げ用の櫛が収まっている。
「これが全自動美容ヘルメット。洗って、揉んで、乾かして、最後に整える。初号機だけど、動きは全部確かめてあるよ」
「初号機って言い方、妙に勇ましいですね」
「世界中に映るんだろ? 気合い入れて作ったんだよ」
「そこは普通に『きれいに仕上がるよ』って言ってくださいよ!」
リッカは鼻で笑い、留め具をもう一度確かめた。
彼女の作った剣は、何の変哲もないがきちんとした剣だった。仕事となれば手を抜かない。それはハトも知っている。
心配なのは機械より、今日の自分の口のほうである。
「ハルトさん、きっと素敵になりますよ!」
濃紺のジャージ姿のナユエが、なぜか本人以上に張り切っていた。白い羽根のような髪リボンまで弾んでいる。
「お前、そこまで期待されると困るんだけど」
「だって世界中に見てもらえるんでしょう? だったら髪も、疲れも、すっきりして出てほしいじゃないですか!」
「疲れは寝れば取れるって」
「でも、今日は特別です!」
「ポッポ君。こっち向いて。頭の大きさを最後に見るから」
「はいはい。いや、痛っ! 肩! リッカさんの指が!」
「あ、ごめんごめん」
測る手つきは丁寧なのに、肩に置く手はどうしてそんなに強いのか。
「よし、準備できた。ポッポ君、座ったまま」
ヘルメットが頭へ下りてくる。
耳の横まで覆われると、柔らかな音楽が流れ始めた。
「お、音楽つき?」
ハトが喋っても、自分の声はこもって聞こえる。リッカは横の小窓から親指を立てた。声を出しても聞こえないらしい。
リッカは背面の送風管を確かめに回った。ナユエが、ジャージの袖から小さな包みを取り出す。
「ナユエ。頼まれた内部アジャスターは作ったけど、何を付けるんだい?」
「お楽しみです! カチッとな!」
「いや、見せてって昨日——」
リッカが振り向いた時には、ナユエの手がヘルメットの側面から離れていた。ハトは目を閉じ、音楽に合わせて膝を揺らしている。
「ハルトさん、緊張がほぐれるといいなあ」
「……何を付けた?」
「昨日、ハルトさんに寄ってきたカミキリみたいな魔物の触角です! 頭を撫でるとすごく気持ちよかったので!」
「それ、先に言いなよ!」
リッカは停止レバーへ手を伸ばした。だが洗髪用の管がもう動いている。途中で止めれば、ハトの顔へ洗浄液が流れる。洗い終わって水が抜けるまで待つしかない。
「ナユエ、もうどこにも触らないで!」
◇
ふわり。
泡が頭を包み、柔らかな指がこめかみから頭頂へ動く。耳元では穏やかな曲が続いていた。
「……おお」
ハトの口から間の抜けた声が出た。自分にしか聞こえないくらい小さな声だ。
「うわ、何これ。すっげえ気持ちいい!」
返事はない。リッカの姿は見えないが、音楽のせいでこちらの声も届いていないのだろう。
「リッカさん、これ絶対流行りますよ。……聞こえてないか」
いつの間にか、さっきまでの緊張が少し薄れていた。
全世界中継も、これをかぶっている間は遠い話に思える。ハトは目を閉じ、椅子の背にもたれた。
「このまま寝たいな……いや、演説あるんだった」
ヘルメットの外では、別の音がしていた。
ジョリ。
ジョリジョリジョリ。
「何、この音!」
リッカが背面の排水栓をひねる。ナユエは両手を胸の前で組んだ。
「すごい効いてますね!」
「効きすぎてるよ! その触角、縁が刃みたいになってる!」
「えっ? 昨日は撫でてくれたのに!」
触角はマッサージ用の指と一緒に回り、ハトの髪を根元から刈っていた。ハトには音楽しか聞こえない。目を閉じたまま、実に気持ちよさそうである。
水が抜けると、乾燥用の風が吹いた。
ぶわっ。
切れた黒茶の髪が送風に乗って背面の排出口から飛び出し、作業台の向こうへ散った。
「うわっ! 止める、止めるから!」
リッカは乾燥が終わるとすぐに停止レバーを下げた。音楽が止まる。
「ポッポ君。外すよ」
金属の縁が持ち上がり、ハトが目を開ける。頭のてっぺんが、ひどく軽い。
「うっひゃあ。すっきりした! リッカさん、これ最高っす!」
ハトは思いきり伸びをした。
リッカの目はハトの額から頭頂へ釘付けになっていた。地肌が広く見え、髪は両脇と後ろにだけ残る。まるで絵巻から抜け出した落ち武者である。
「ポッポ君、その……」
「ありがとう! 頭がふわっふわで、演説もいけそうです!」
満面の笑みを向けられ、リッカが息を飲む。隣ではナユエの目が泳いでいた。
「ハルトさん、気持ちよかったですか……?」
「最高! ナユエも付き合ってくれてありがとな」
「あ、あははー……」
笑顔が引きつる。ハトは時計を見た。
「時間、大丈夫かな」
リッカは工具棚の奥の姿見へ手を伸ばした。
「ポッポ君、出る前に鏡を——」
店の外から慌ただしい足音。開け放した入口に、会議場からの迎えが顔を出す。
「ハト様! そろそろお時間です! お迎えに上がりました!」
狭い通路を塞ぐように立たれ、リッカは棚の前で足を止めた。迎えが時刻を告げる声で、彼女の語尾はかき消された。
「うわ、もう!?」
時計を見れば、出発の刻限だった。
ハトは立ち上がる。
「やっべ! リッカさん、ありがとう。これで堂々と行けます!」
リッカが迎えの向こうから声を張った。
「ポッポ君、ちょっと待っ——」
「帰ったら感想、たっぷり言いますから!」
迎えが出発を促し、ハトは椅子を離れて入口へ向かう。鏡のある壁には背を向けたままだった。
ナユエは泣きそうな顔でハトを見つめていた。ハトは緊張しているのだと思い、手を振った。
「そんな顔すんなって。お前もありがとうな!」
「……はい」
リッカはヘルメットを作業台へ置いた。棚の奥の鏡を持って追うには、迎えの足が速すぎる。
「……私も行くよ。会場まで」
「え、リッカさんも? ありがとうございます!」
ハトは礼を言った。
リッカもナユエも、自分以上に本番を心配してくれているらしい。ハトは胸が温かくなった。
◇
会議場へ続く控え通路には、分厚い扉が並んでいた。
その奥から、人のざわめきが聞こえてくる。
ハトは襟元を整えた。髪の具合を確かめようと頭へ触れかけたが、せっかくセットしたのに崩したら困る、と手を下ろす。
リッカの道具は気持ちよかった。ナユエも応援してくれている。あとは、自分が喋るだけだ。
「ハト」
通路の向こうから、ネサルが歩いてきた。
赤い短髪が軍服の青緑に映える。褐色の肌に、切れ長の目。いつものきりっとした護衛隊長の姿である。
「準備は済んだ?」
「はい! ばっちりっす。リッカさんのヘルメット、最高でした!」
ネサルの歩みが止まった。
「……そう」
彼女の視線が、ハトの顔より上へ移る。
戻ってこない。
「ネサルさん?」
「あなた、その……」
「はい?」
ネサルは一度、隣のナユエを見た。
ナユエは首をすくめる。リッカは腕を組んだまま、苦い顔をしている。
「……ハト。それは……いや、なんでもない。」
「……気分は悪くない?」
「緊張はしてますけど、気分は最高っす!」
ネサルが口を閉じた。
いつもなら指示を短く言い切る人が、ひどく言いにくそうにしている。
そんなに緊張を心配されているのだろうか。
「大丈夫ですって。短い挨拶だし。練習もしましたから」
「……ええ」
返事が短い。
ハトはちょっとだけ不安になった。
だが、その向こうから聞き慣れた大きな声が飛んできた。
「おお、ハト! 支度は済んだか!」
ベルダクだ。
魔王は二人の間へ堂々と歩いてきて、ハトを見るなり目を見開いた。
「ほう!」
何だ。
その反応は。
「すばらしいではないか!」
「えっ」
「なんと潔い! 実に堂々として見えるぞ!」
ベルダクは感心したように何度も頷いた。
「似合っておるぞ、ハト!」
「……マジですか!?」
魔王様が褒めてくれた。
この美的感覚を全面的に信頼していいかどうかは、日頃の服装から少々疑問が残る。だが、今日は違う。今日ばかりは、褒められたら素直に嬉しい。
しかもこんな大事な日に、だ。
「ありがとうございます、魔王様! リッカさんのおかげです!」
「よ、よくにあってるぞ! な、なあナユエ!!」
リッカの声が妙に裏返った。ベルダクは真顔でうなずき、ナユエはリッカから目をそらした。
「えっ……あの、はい……!」
ナユエはジャージの袖を握ったまま、小さく頷く。
「ナユエも手伝ってくれたみたいで。な? ありがとな!」
「……ハルトさん」
ナユエが何かを言おうとした。
今にも泣きそうな目だ。ハトは、彼女も本番を前に緊張しているのだと思った。
ハトは彼女へ笑いかけた。
「ありがとな。お前、俺が緊張してるの気にしてくれたんだろ?」
「はい。そう、なんですけど……」
「分かってるよ。大丈夫!」
言うと、彼女はますます言葉を失った。
ネサルが少し前へ出る。
「ハト、あのね——」
その時、通路の奥で扉を開く準備の音がした。
「まもなく開始です。ご登壇を!」
会場から呼び声が響く。
ハトの喉が急に乾いた。
世界中へ届く言葉。
昨日までなら、考えるだけで逃げ出したくなっていた。今も怖い。だが、おばちゃんたちが働くあの城のことを話すと決めたのは自分だ。
「……行ってきます」
ハトは背筋を伸ばした。
ナユエが何かを言おうとして、声にならないまま口を閉じる。
リッカは床を見つめ、ネサルは眉を寄せた。
ベルダクだけが、晴れ晴れとした笑顔で頷いた。
「うむ。胸を張れ!」
ハトはその言葉を受け取った。
前方で、会議場の扉が開いた。




