第015話 人間代表ハト
「ハトよ。そなたに、人間代表を頼みたい」
「今なんて?」
昼前の弁当作業場で、佐伯ハトは花をつまんだまま固まった。
コンベアが一箱、また一箱と流れていく。目の前には焼き鮭の入った幕の内。隣ではナユエが魚型の醤油差しを詰め、一本角のおばちゃんが完成品を手際よく運んでいた。
そこへ魔王ベルダクがやって来て、この一言である。
「人間代表だ」
「いや聞こえてました! 聞こえた上で、俺の人生に存在しない役職だったんで!」
「そうか。新しい役目というのは胸が躍るな!」
「俺の胸は今、別の理由で暴れてますよ!」
ベルダクは作業台に並んだ弁当を満足そうに眺めている。昨日、自分が魔王を倒すために来た勇者だと打ち明けた相手である。なのに今日の王は、昨日よりずっと機嫌がいい。
秘密を守ると言ってくれたのはありがたい。
ありがたいが、だからといっていきなり人間代表に昇進させるな。バイトリーダーからの昇格幅が狂っている。
「ハト君! 手ぇ止めるなら場所代わっておくれ!」
「あ、すみません!」
おばちゃんの一喝でハトは現実へ戻った。花を置き、次の箱を流す。ベルダクも邪魔にならないよう、台から一歩離れた。
その肩から垂れた金の房飾りが、流れていく箱へ触れかける。
「王様、服も一歩下がっておくれ!」
「おお、すまぬ」
ベルダクはさらに一歩下がった。豪華な飾りを着けた本人が、飾りの幅をいちばん分かっていない。
「城下で人と魔族が共に暮らしておることを、皆に見せる公開会議がある。そこで実際に働く人間の声を聞きたいのだ」
「え、あの……会議なら、もっとこう、立派な人がいるんじゃ?」
「そなたは、ここで人間も魔族も一緒に働いておるのを、毎日見ておろう」
「見てますけど……それって、俺じゃなくても」
「ならば、そなたが一番よく知る仕事のことを話せばよい」
そう言われると、つい胸を張りたくなる。昨日まで魔王への正体告白で震えていたくせに、仕事を褒められると弱い男だった。
「まあ、弁当の現場についてなら、ちょっとは語れますけどね!」
「うむ。その顔だ」
「いやまだ引き受けてないですからね!?」
ナユエがぱっと顔を上げた。
「ハルトさん、すごいじゃないですか! みんなの前でお話するんですね!」
「まだ決まってない!」
「わたし、応援します! ハルトさんならきっと——」
そこで彼女は、ハトが抱えている弁当箱と魔王を見比べた。
「……何をお話しするんでしょう?」
ハトはナユエのほうを向いた。
「そこから一緒に考えようとしてる!」
ベルダクが豪快に笑う。
おばちゃんは二人の会話など気にも留めず、完成品を一箱持ち上げた。
「ハト君、そこ、出来た箱をこっちに回しておくれ」
「はい! ……って、俺が話してる間も容赦ないっすね!」
「そりゃ仕事中だからね。あんたが人間だろうと誰だろうと、昼の弁当は待ってくれないよ」
「ぐうの音も出ない正論!」
おばちゃんは箱を受け取ると、魔族の作業仲間にも次の箱を渡した。いつもの流れだ。ハトも来たばかりの頃は何度も手間取り、今ではこうして頼まれる側になった。
「……まあ、こんな現場の話なら、俺にもできるか」
次の箱を渡され、ハトは受け取った。
おばちゃんは、もう持ち場へ戻っている。
城には人間も魔族もいて、誰かが失敗すれば叱られ、上達すれば仕事が増える。ハトは毎日それを見てきた。何かを大げさに語らなくても、ここで起きたことなら話せる気がする。
……ただし、「人間代表」の四文字さえ忘れられれば。
「魔王様。午後、詳しい話だけ聞いてもいいですか。引き受けるかは、それからで」
「うむ! では午後に待っておる!」
王はあっさり引き下がった。
ハトはほっとして、弁当へ向き直る。
「ハト君! 口動かす暇があるなら次の箱、頼むよ!」
「はいはいっ!」
人間代表候補だろうが、昼の納品には一切関係ないのであった。
◇
午後の会議準備室には、椅子が数脚と、机の上に置かれた小さな札があった。
『魔王城勤務 人間従業員 佐伯ハト』
ハトは札を持ち上げ、印字された肩書きを目でなぞった。
「……本当に、ただの従業員として出るんですよね? この『人間従業員』ってやつで」
「もちろんでございます。あなたの普段のお仕事をお話しいただくための席ですわ」
返したのは、先日の一件で会った人間側の連絡官、シェリザ・ドレフだった。低く束ねた灰褐色の髪に銀縁眼鏡。青灰の外套と、脇に抱えた四角い書類筒も見覚えがある。
「シェリザさん。会議の準備も担当なんですか?」
「人間側の出席者への連絡と、公開部分の確認を担当しておりますわ。先日は現場で、今日は会議場で。妙な再会ですわね」
「俺のほうは、昨日まで弁当を詰めてたんですけどね」
「今日もお仕事をなさっていましたでしょう」
シェリザは笑いながらも、ベルダクへ回す書類と人間側へ持ち帰る控えを、きっちり別に置いた。
「陛下はお茶を勧めてくださいますけれど、控えを一枚もお渡しにはなりませんわ」
「仲いいのか厳しいのか、どっちなんですか」
「両方でございます」
シェリザは咳払いをし、机に置かれた小さな台を示した。その上には、透き通った魔水晶が据えられている。
「こちらが会議の中継に使う魔水晶の見本でございます。ご発言は、これを通して各地へ届けられます」
「各地って、城下町の広場とか?」
「城下町はもちろん、遠くの国々にも」
「……遠く?」
「全世界へ中継する予定ですわ」
「ぜ、全世界!?」
ハトの声が裏返った。
全世界。
城下の集まりだと勝手に思っていた。知り合いが何人か見ている程度なら、恥をかいても次の日から顔を合わせなければ済む。いや、仕事仲間とは毎日会うからそれも困るのだが。
しかし全世界となると、逃げ場が大陸ごと消える。
「俺、さっきまで弁当詰めてたんですけど!?」
「そのお仕事のお話をうかがいたいのです」
「なら、全世界で弁当の作り方でも流します!?」
「それはそれで、わしは見たいぞ」
「魔王様! 面白い企画を追加しないでください!」
ナユエが席札の脇に立ち、きらきらした目で魔水晶を見ていた。
「すごい……ハルトさんが世界中に見られるんですね!」
「言い方! なんか俺が晒されるみたいな!」
「格好よくお話しするところ、みんなに見てほしいです!」
「まだ一言も決めてないから!」
シェリザは一枚の紙を机に置いた。
「お話しいただくのは、城下の暮らしと職場のことだけ。難しいことを申し上げる必要はございません。政治上の事情や、外へ出せない情報には触れないでくださいませ」
最後の一言だけ、声が少し硬くなった。
ハトも笑うのをやめた。
人間に見えたあの何か。魔王軍と人間側の秘密の協力。昨日まで知らなかった真実を、自分はもう知っている。
それを言ってはいけない。
でも、だからといって嘘を並べる必要もない。
「……俺が見たまんまを話していいんですね?」
「はい。あなたが普段、どのように働いているかを」
「だったら、言えます。最初は全然仕事ができなかったけど、おばちゃんに叱られて、パイセンに助けられて。今じゃ俺も人に教える側で……」
ハトはそこで言葉を止めた。
別に立派な話じゃない。戦いに勝ったことも、世界を救ったこともない。勇者らしい実績など持ち合わせていない。
でも、弁当が流れてくる速さなら知っている。隣の人が手間取れば、自分の手を伸ばす距離も分かる。
「そういう話で、いいなら」
ベルダクが嬉しそうに頷いた。
「それを聞きたいのだ」
ハトは席札を机へ戻した。
「……分かりました。やります。ただし、短く! 本当に短くしてくださいね!」
「もちろんでございます。発言のお時間はこちらで調整いたしますわ」
シェリザがすぐ書類に記した。
その迷いのない筆運びを見て、ハトは悟った。
もう逃げ道はない。
◇
「ポッポ君が、世界にお披露目?」
夕方、リッカの修理屋へ行くと、彼女は工具を置いて大笑いした。
「ちょっと、笑いすぎじゃないですかリッカさん」
「だってさあ。こないだまで剣の調子を気にしてた子が、今度は顔を整えたいって? 忙しいねえ!」
「顔は大事なんです! 全世界ですから!」
自分で口にして、また胃が縮んだ。
店の作業台には、金属の部品と道具が整然と並んでいる。リッカは小柄な身体を乗り出し、ハトの短い黒茶の髪を一瞥した。
「ちょうどいい。前から考えてたやつ、試してみない?」
「前から考えてたやつって、何ですか?」
「全自動美容ヘルメット。シャンプー、頭皮のマッサージ、乾燥、最後に髪を整えるところまで一台でやる。構想は前からあったんだ」
「それ、まだ誰も使ってないやつでは?」
「さすがポッポ君。初めてのテスターになってよ」
「全世界中継の朝に初号機を!?」
リッカは引き出しから、何度も書き直した跡のある図面を広げた。洗う部分、温風の通り道、櫛の動く位置を順に指でたどる。思いつきで今から作る話ではないらしい。
さっき笑っていた人と同一人物とは思えない精密さだ。
「怖くないやつですよね?」
「ポッポ君、私が仕事で作るものに何か文句ある?」
「ないです! 剣もちゃんとしてました! 疑ってすみません!」
リッカは満足そうに鼻を鳴らした。
「組み立ては今夜やる。明日の朝にはちゃんと動かすよ」
「明日か。分かりました」
ナユエが横から図を覗き込む。白い髪リボンが小さく揺れた。
「すごいです、リッカさん。これならハルトさん、きっと格好よくなりますね!」
「元の素材も悪くないよ?」
「おっ」
ハトは即座に反応した。
「そこ、詳しくお願いします!」
「調子に乗るの早いなあ、ポッポ君」
「世界中に見られるんで、褒め言葉はいくらあっても困りません!」
「じゃあ俺、寮で発言のメモをまとめます。明日の朝、お願いします!」
「寝坊しないでよ」
「そこ一番怖い!」
ハトは笑って工房を出た。ナユエはリッカの図面をもう少し見たいと言い、店に残った。
扉が閉まる。足音が遠ざかってから、ナユエが作業台へ身を寄せた。
「リッカさん。中にもう一つ、部品を付けられる場所ってありますか?」
「内部アジャスターなら作れるけど。何を付けるの?」
「ハルトさん、ずっと緊張してるでしょう? 頭もほぐしてあげたくて!」
「だから、何を付けるのかって聞いてるんだけど」
「えへへ。見つけたら持ってきます!」
リッカは図面の余白にアジャスターの寸法を書き足した。
「付ける前に、現物を見せてよ。私の道具なんだから」
「はいっ! ハルトさん、きっと喜びますよね!」
リッカは図面の「追加部品」の欄に大きな疑問符を書いた。ナユエは見ていない。




