第014話 勇者と女神の正体
「……あの、魔王様。先に謝っといてもいいですか」
魔王城の執務室で、佐伯ハトはそう切り出した。
机の向こうには魔王ベルダク。横には護衛隊長ネサル。扉は閉じられ、ほかの者はいない。
ここまで案内される間、ハトは言うべきことを何度も考えた。
自分は魔王を倒すために送り込まれた勇者です。
たった一文である。
なのに、その一文を口にする相手から給料をもらい、幕の内弁当に飾りの花を載せ、あまつさえバイトリーダーになってしまった。順番というものが完全におかしい。
「謝罪から始めるのか?」
ベルダクは机に肘を置き、興味深そうに身を乗り出した。
「何だ。昨日の幕の内に入っていた唐揚げが一個少なかった件か?」
「魔王様、まだ数えてたんですか!? あれ試食で食べたの魔王様ですよ!」
「うむ。実にうまかった」
「俺たちを呼び出す前に思い出してくださいよ!」
昨日もこんな調子で話していたのに、今日は本当の用件を切り出さなければならない。
ナユエが隣でジャージの裾を握りしめている。今日は彼女も妙におとなしい。
ネサルが扉へ視線を送り、施錠を確かめてから言った。
「現場の報告は受けています。彼女が擬態を見分けたことも。ですが、お二人にはそれ以外に話があるようですね」
「はい。実は……すごく大事なことを、黙ってました」
口の中が乾いた。
城で働くようになってから、ずっと言えずにいたことだ。仕事仲間の顔が浮かぶ。覆面パイセンも、おばちゃんも、リッカさんも。明日からそこへ戻れないかもしれない。
ナユエが小さく息を吸った。
「ハルトさん。わたしから——」
「いや、俺が言う」
ハトは一歩前に出た。
「俺、勇者なんです」
部屋が静かになった。
「……勇者?」
ベルダクの声が、思った以上に普通だった。
「魔王を倒すために、この世界へ送られました」
言えた。
言った瞬間、ハトは自分の足が逃げ出したがっているのを感じた。
ネサルは姿勢を崩さなかった。ただ、ハトの顔を見据える目が少し鋭くなる。
「それは、冗談ではないのね」
「冗談だったら、こんな場所で言いません。……俺も、できればそういう冗談で済ませたいです」
ベルダクは少しの間ハトを見て、それから真顔で尋ねた。
「では、弁当ラインのバイトリーダーであることは?」
「そっちは本当です!」
「うむ。ならば仕事に偽りはないな」
「判定する場所そこ!?」
ハトは思わず叫んだ。
ネサルが短く咳払いをする。ベルダクも、さすがに笑顔を収めた。
「続けなさい。聞こう」
◇
「わたしは、女神ナユエです」
彼女はぴんと背筋を伸ばした。
そして、伸ばした勢いのまま頭を下げる。
「本当に、本当に申し訳ありませんでした!」
「待て待て、最初から謝るの!?」
「だってハルトさんがこんなことになったの、全部わたしの手続きのせいなんです!」
ナユエの声が震えた。
「勇者として送り出す時に、名前も、能力も、落とす場所も、間違えて……」
「三つだな」
ベルダクが静かに数える。
「そうです! 三つもです!」
「そこ元気に肯定しなくていいから!」
ハトはこめかみを押さえた。
「そなたの元の名は?」
「佐伯晴人です。今は『ハト』で登録されちゃってますけど」
「うむ。城の名簿にもハトとある」
「知ってます! 毎日呼ばれてるんで! そこも女神のミスだって話です!」
「もう慣れたのであろう?」
「慣らされたんです!」
ナユエが、さらに小さくなった。
ネサルが冷静に尋ねる。
「落とす場所を間違えた。だから本来は魔王を倒す側の勇者が、こちらの城へ?」
「はい……」
「能力の方は?」
「物を一センチだけ押せます」
ネサルが瞬きをした。
「……一センチ?」
「そう。一センチです。距離の聞き間違いじゃありません」
「武器の扱いは?」
「アルディオに一撃で負けました」
「それは聞いているわ」
「情報、回るの早っ!」
ベルダクは首を傾げた。
「一センチ押せるのなら、何かに役立つこともあろう」
「ありますよ。水を出すボタンとか」
「便利ではないか!」
「手で押せるんですよ!」
声を張ったあと、ハトは急に恥ずかしくなった。
勇者を名乗って見せられるものが、これだけ。
魔王に向かって剣を構えるどころか、雇用を続けてほしくて必死になっている。
笑われるならまだいい。危険だと判断されて、追い出されるかもしれない。
ベルダクが黙ったことで、部屋の空気が変わった。
「……もうひとつ、あります」
ナユエが顔を上げる。
「ハルトさんに、モテる加護を付けようとして……野生の魔物ばかり寄ってくるようにしてしまいました。しかも、取り消せません」
「アルディオさんが女の人にきゃあきゃあ言われていたので、ハルトさんが『俺もモテたい!』って頼んで。あの勇者の舞は無理だけど、黄色い声だけは欲しいそうです!」
「動機まで報告しなくていい! そこは俺が一番隠したかったとこ!」
ネサルがハトを見た。赤髪の下の切れ長の目は、笑わない。眉ひとつ動かさず、そういう望みもあるのかと真顔で受け止めている。
よりによって、こんな美人に一番聞かれたくない理由を聞かれた。
「……何か言ってください。無言で納得されるのが一番きついです」
ネサルの尻尾がぴたりと止まった。
「永久に?」
「はい……」
「……その件は、城の警備にも知らせる必要があるわね」
「ですよねえ!」
ハトは顔を覆った。
まさか、人生を左右する告白の場でケルベロスの話まで出るとは。
だが、ナユエは笑わなかった。
「わたしが失敗しました。ハルトさんは悪くないです。ここから追い出すなら、わたしも一緒に……」
「おい、勝手に追い出される流れにするなって」
ハトはナユエを見た。
彼女は必死な顔をしていた。そうだ。間違えた時はいつも、こうして逃げずに謝ってきた。
「俺も、隠して働いてたのは俺の判断です」
ベルダクへ向き直る。
「魔王を倒すために来たってのは本当です。でも、今ここにいる人たちを倒したいかって言われたら、違います」
うまいことを言おうとしているわけじゃない。
「パイセンにも、おばちゃんにも、リッカさんにも世話になりました。ベルダク王にも給料もらってます。俺、ここで働くのが好きなんです」
そこだけは、きっぱり言えた。
「……弱いままですけど。できる仕事は続けたい。ナユエも、さっきのあいつを見分けたでしょう。ああいう時なら、役に立てると思うんです」
ナユエが驚いたようにハトを見る。
ハトはその目を見ないふりをした。これ以上真面目な顔をされると、こちらまで泣きそうになる。
ベルダクは、しばらく黙って二人を見ていた。
「ハト」
「はい」
「そなたが何者であろうと、城の仕事を投げ出さずに来たことは知っておる」
「……はい」
「勇者としての腕は、まあ、ネサルから報告を聞く限り、期待は難しそうだが」
「そこは濁して! 魔王様!」
「だが、昼の幕の内は百二十食、遅れずに出した」
「勇者の審査に勤務評定が入ってる!」
ベルダクが声を上げて笑った。
ハトはつられて笑いかけ、慌てて口を閉じる。
まだ答えを聞いていない。
「追い出しはせぬ」
ベルダクは、今度ははっきり言った。
「そなたたちには、これまでどおり働いてもらう。それにナユエ。人の姿をしたものを見分けた力は、皆を守る助けになる。必要な時には力を貸してほしい」
「……いいんですか?」
ナユエの声が、かすれた。
「もちろんだ。ただし、無理はするな。できぬことまで背負って倒れられては困る」
ネサルも頷いた。
「私からも頼みたいわ。見分けられた時は報告して。勝手に追いかけないこと。今日みたいに二人で飛び込まれると、こちらの仕事が増えるの」
「ぐっ……返す言葉もございません」
「本当に?」
「一個だけ! あの時は俺、本物の人間を守るつもりだったんです!」
「分かってる。だから今ここで話しているの」
ネサルの声は厳しいままだったが、ハトを見下す響きはなかった。
ベルダクは満足そうに両手を広げた。
「よし! 勇者と女神が我が城で働くとは、なかなか面白いではないか!」
「面白がっていいんですかそれ!?」
「ただし、秘密は秘密だ。事情を知らぬ者たちに、余計な不安を与えるわけにはいかぬ」
その言葉で、ハトは背を正した。
「……はい。誰にも言いません」
「わたしも、約束します!」
ナユエが頭を下げる。
ベルダクは大きく頷いた。
「では、明日からもよろしく頼むぞ。バイトリーダー二名!」
「そこは勇者と女神で呼んでくれても……いや、やっぱりやめてください!」
ベルダクの高笑いが、閉じた執務室に響いた。
◇
翌勤務。
弁当工場のコンベアは、何事もなかったかのように動いていた。
ハトは短い作業上着の袖をまくり、幕の内弁当の焼き鮭と漬物の間に飾りの花を差していく。
隣では、濃紺のジャージ姿のナユエが魚型の醤油差しを詰めていた。胴を軽く押し、中身が八割で止まっているかを確かめてから、蓋のくぼみへ寝かせる。
「ハルトさん。今日のわたし、まだ一匹もこぼしてません!」
「それは普通にすごい。昨日は三匹、鮭の上で泳いでたからな」
「あれは袖が……あっ」
振り向いた拍子にジャージの袖が醤油差しの箱へ引っかかった。魚たちが、箱ごと作業台の端へ滑っていく。
「おい、いきなり集団脱走!」
ハトが両腕で箱を受け止めた。花を挟んでいた指から、鮭の上へ黄色い飾りが落ちる。
「ハト君! 鮭に花、刺さってるよ!」
一本角のおばちゃんである。
「魚のほうが脱走するよりマシです!」
「いいから取んな!」
「はいっ!」
二人が手を動かし始めると、背後から低い声がした。
「相棒。落とす前に受け止めたか。やるな」
パイセンだった。
「パイセン。今のはちょっと、褒めていいやつです」
「うむ。まず袖をまくれ、嬢ちゃん」
「はいぃ……!」
ナユエが袖をまくる。ハトは鮭から花を抜いて置き直した。
昨日、ベルダクは二人を追い出さなかった。今日もおばちゃんは容赦なく次の幕の内を流してくる。
「ハルトさん、次の箱、来ます!」
「分かってる。そっちの魚は俺の鮭に放流すんなよ!」
「しませんよぉ!」
勇者と女神は、それぞれの持ち場へ戻った。




