第十七話 魔教の秘法
残骸の下に埋もれたフォンを、レイが掘り起こすところから始まる。
冷たい埃が舞い、岩の破片がまだ時折ぽろぽろと落ちてくる底の闇。その中にフォンはいる
轟音の残響が耳の奥に残ったまま、世界は一度、完全に沈黙した。
その沈黙を破ったのは、軽い足音だった。
「……フォン、フォン!返事しろ!」
レイの声が、穴の底に反響する。
彼はすでにワイヤーの切れ端を頼りに、壁を駆け下りてきていた。
強者の象徴たる真紅の虎豹の血が微かに残る匂いを頼りに、すぐに現場へ辿り着く。
目の前には、まるで隕石が落ちた跡のような巨大な空洞。
その中心に、コブラの残骸がぐしゃぐしゃに潰れている。改造された金属と骨と毒液で出来た肉体が破裂して混じり合い、地面を溶かしかけるような蒸気を上げていた。
その残骸の下にフォンはいる
そう思いレイは迷わず両手で岩と鉄屑を掻き分けた。
ピシャ
指先が血に濡れ、毒の残り香が鼻を突く。それでも止まらない。
「出てこい……お前が死ぬ場所は、こんな底じゃねえだろ」
ガリガリ、ガリッ。
岩をどかす。鉄片を剥がす。
そして━━
大男だ、大男にぴっちりしたこのズボンは間違いない
フォンだ。
全身が毒液と煤で真っ黒に汚れ、服は焼けただれ、腕にはいくつもの裂傷。
酷い有様だが、まだ胸がわずかながら上下している。
「……生きてる」
レイは安堵の息を吐き、すぐにフォンを抱き起こした。
「くっ、二人は動きにくいな」
ヤマだった。
全身に無数の傷を負い、本当に皮がついているだけで粉砕している。
「ヤマも……っ、くそ、二人ともとんでもねえな」
レイはフォンを片腕で支え、もう片方の手でヤマの首筋に手を当て、起こした。
最善の体制を取るために
そのときだった。
頭上から、低い唸り声が降りてきた。
ブォォォォォン……
暗闇を切り裂くように、巨大な影が穴の口を覆う。
それは飛空挺だ。
どう見ても覇大王直属の。
飛空挺の外装は黒い装甲に、毒緑の紋章。
甲板から一斉に砲口がこちらを向く。
「発見した、標的は三名。全員懺悔して詫びりやがれー」
(速い、コブラが読んできた...?いや別勢力だ)
無感情な声が拡声器から落ちてくる。
次の瞬間、砲弾の雨が降った。
ドドドドドドドッ!!
火線が夜空を赤く染め、地面を抉る。岩が弾け、毒煙が舞い上がる。
普通なら、この瞬間に三人とも肉片になって終わるはずだった。
━━だが
レイは立ち上がった。
フォンを背中に背負い、ヤマを片腕で抱え上げたまま、静かに両の手を前に差し出す。
「……毒王...のほかといえば」
彼の瞳が、冷たく光る。
両手の指が、まるで琴を弾くように微かに動く。
空気が歪んだ。
双手・絶天壁
その技は、レイが師ザイライ・トゥより引き継ぎし防御の極意。
“手”の一字に、すべての意味を込めた。
掴むのさ
両手で空間そのものを掴むように広げ、指先から不可視の衝撃波を放射状に放つ。
それは壁ではない。網でもない。
手そのものが、空中に無数に展開するのだ。
筋肉と異なる流派、気の放出。
砲弾が近づく。
レイの両手が、まるで踊るように動いた。
パァン! パァン! パァン! パァン!
一発、また一発。
砲弾が、見えない手に弾かれる。
弾かれた弾は、勢いを殺されず、逆に上へ跳ね返り、飛空挺の甲板を直撃する。
「な……何だと!?」
気だ、筋肉を操り戦う存在たちはその体内に無理やり圧力を与えて外に影響するといえば、気は常に外気を取り込んでは放出して循環させる。似て非なる技だ。
操縦士が仲間に救護を叫ぶ間もなく、甲板が爆発した。
「生きていれば伝えておけ飛天人蝠に!お前が上り詰めようとしても無意味だ。お前は我ら!レイ、フォン、ヤマが三人で始末すると!」
そう言ってレイは動かない。
ただ両手を広げたまま、落ちてくるすべての死を、丁寧に、正確に、弾き返す。
弾くのさ。展開した気は
己が肉を使う技と違い自然に満ちる空気を扱う技。
「こっちは今、二人を運ぶだけで手一杯だ。お前らまで相手にしてやる余裕はねぇよ」
さらに砲弾が降る。いや砲弾だけというよりも飛空挺の破片だ
毒の弾に爆裂する弾。
だがすべてが、レイの“双手・絶天壁”に阻まれる。
弾は弾かれ、ガスは渦を巻いて上空へ戻り、爆裂弾は空中で自爆させられる。
「オア〜」
まるで、天空そのものがレイの両手のひらに収まっているかのようだった。
「う……ぁ……」
フォンが、微かに呻いた。
「……レイか……」
「黙ってろ、今は俺がいる」
レイはそう言い捨て、さらに一歩前に出る。
両手を高く掲げた。
「フン!」
レイはゆっくりと両手を下ろし、息を吐いた。
背中のフォンと腕の中のヤマを、改めて抱き直す。
「……ったく、いや、本当に無事で...良かった」
穴の底から這い出すようにして、彼らは斜面を登った。レイの足取りは重い。背中のフォンの体温は低く、腕の中のヤマは意識すら定かでない。皮膚の下で骨が軋む感触が、指先に伝わってくる。
「……ここで一旦、休む」
適当な岩陰を見つけ、レイは二人を下ろした。まずはフォンだ。その黒髪にこびりついた煤と毒液を、服をちぎってた布で拭う。
「うっ」
そういうと見えるその裂傷から滲む血は、すでに黒ずんでいた。当然毒が回っている証拠だ
「我慢しろ」
レイは右手をフォンの胸に当てた。そして指先から、微かな気を流し込む。それは師から学んだ循環の術。外気を取り込み汚れた血を押し流すようにする技。
「……痛ぇだろ。我慢しろ」
(しかしまさか...人の身が毒を生成する技があったとは...ましてや他者にそうさせるなんぞ...)
フォンの眉がひくと動く。
外気を無理矢理に体内に入れているから当然痛いとも
しかしその痛みこそが正常な循環が戻ってきている証拠だ。
「これでいい、もう毒は生まれない。」
次にヤマへ向き直った。
ヤマの体は、文字通り粉々だった。その筋肉のほとんどが断裂し、内臓まで損傷している気配がある。普通なら即死、だがしかしヤマはまだ息をしている。強靭な生命力か、底知れぬ執念が、はたまたは特異体質か。
何かが彼を繋ぎ止めている。
「ヤマ、こいつ……」
レイは両手をヤマの体に重ねた。
(断裂した筋繊維...骨も折れている...いや折れた破片が刺さっているのか...破片が刺さり肉は繋がる...この体質!)
掌から伝わる感触は、明確だった。
かの組織は蠢かない。再生でもない。
ならばこの状態でバラバラになって死なないものはなんだろうか。
いいや、明白だ、それはただひとつ、ただ確実に繋がっていく。砕けた骨の破片が筋肉の奥深くに刺さったまま、周囲の肉がそれを包み込むように密着して繋がる。
故に、体はバラバラにならない。出血はある、続いている、当然に痛みもある。だが、それを持ってして肉が萎んでも崩壊はしない。
血がなく萎んだ体の奥で破片が錨のように体内に留まり、全体を繋ぎ止めている。
レイの指先が、わずかに震えた。
この感触を、彼は知っていた。
——遠い記憶が、蘇る。
彼の師ザイライ・トゥは静かに座し、レイがその言葉を待っていた。
「お前は、特殊な体質を持つ者を見たことがあるか」
「いえ」
レイが答えると、師はゆっくりと目を開けた。
「世の中には、稀に、このような体を持つ者がいる。骨が折れ、筋肉が裂け、破片が奥深く刺さっても死なず。」
師は右手を軽く上げ、自分の掌を見つめた。
「普通の人間なら、体に破片が大量刺されば炎症が起きては壊死し、やがて体は機能を失う。だが、その体質は違う。」
「それは……何と呼ばれるのですか」
師は短く、しかし明確に答えた。
「“刺留体質”だ」
名前が、初めて示された。
「もっとも再生しないから、その体を活かせる戦闘法のものでなければ意味はない...そう例えば」
師は一息置いて続けた。
「お前に教えてやろう..そろそろ頃合いだ、魔教が、秘法の一つ....」
「魔教ですと...?」
「 玄骨渡厄経 」
「骨が決して、いかなる技でも消え去る事なく形を保つものだが...それは祝福ではない。破片はいつまでも体内に残り、修練をする存在を刺激し続ける。やがてその動きどころか反応さえも痛みで徐々に鈍くなれば、最後はものを言わぬ存在になる。」
沈黙が落ちた。
師の視線が、レイの目を捉えた。
「この刺留体質を持つ者は大半生き残っていけるのが魔教のもの、そして魔教の教義がために自分の体を道具としてしか見ていないことが多い」
「師父..魔教の教義とは…」
「まだ速い、ただ言えるのは魔教の刺留は壊れることに慣れ、痛みに慣れている。そしてやがて極めに達成した時やつらは“骨魔”と呼ばれる時...生きる意味をも失っていく。」
「師父...そのことを聞くでは...ただ何もない、何もしない存在しか残らないのでは」
「だからこそ危険だ、何も失うものがない強者は危険だ。喜びがなければ、悲しみもない。残されしものはただ己が執念である、魔教の教義に徹する執念のみ。」
「そのような者と対峙した時は……」
「急いで殺そうとするな。ゆっくりと、確実に、機能を奪っていく。繋がる速度を上回る破壊を重ねる。あるいは、繋がるために必要なエネルギーを先に奪い取る。」「...気を使えと」
「迷うな、躊躇うな。相手がどれだけ苦しんでいようと、戦闘においては敵だ」
レイは深く頭を下げた。
「肝に銘じます」
師はそれを聞いて何も返さず、ただ静かに目を閉じた。
(やはり...刺留体質……師が言っていた通りだ)
レイの指が、わずかに力を込めた。
繋がることを止めはしない。そんなことしていれば、ヤマが自分の気のせいで命を落とす可能だってあるからだ。
「……くそ、こんなところで足止めか」
フォンがゆっくりと目を開けこういう「……レイ、ヤマは……」
「生きてる。だが動けねえ、おい!まだだ」
フォンは上体を起こそうとして、顔を歪めた。
「……コブラは倒した。だが、あの飛空挺は……覇大王の直属か」
「ああ。飛天人蝠の名を出したが、こっちが通だって伝わったかどうか...」
「通此比武以集世好手……」
フォンが呟いた。あの標語はこの比武を通じて、世の好手を集める。
覇大王自らが観戦し、勝った者には莫大な恩賞と、直属の地位が約束されるという。
この三人も、その予選に参加する予定だった、だが、終われたは地下に行き、最後にはそこの覇者である猛毒コブラまで遭遇した。
当然今頃、予選はもう始まっているはずだ。
「遅れたな」
レイが短く言った。
フォンは首を振った。
「遅れるなんてない、試合よりも覇大王優先だ、参加できなくてもそれがあり得るだろ。もしかしたら近づきにくいかもだけど、選手じゃないと。」
「このヤマを連れてか?無理だ死ぬぞ……」
「……だ」
二人は顔を見合わせた。そして、頷いた。
レイはヤマを再び抱き上げ、フォンを支える。三人で、ゆっくりと少し久々な気のする地下を目指して歩き始めた。
奇妙なことに、追手は来なかった。
飛空艇を落としたにもかかわらず、覇大王の手下の気配は一切ない。
いや、もしかしたら地下奥深くでこれ以上飛空艇を送りにくいからかもしれない。
レイは違和感を覚えつつも、足を止めなかった。今は前に進むしかない。
「いや、しかしレイ上まで登るだけで災難だな、幸い今回敵影なしで良かったけど、なんかひと月以上地下に埋もれてた気分だわ」
「おい、あ、兄貴、あの歓声会場じゃねぇ」
ヤマの言うように予選会場に近づくにつれ、風景が変わった。整備された闘技場などではなく、広大な荒野が広がっている。
岩が点在し、枯れ木が不気味に立ち、砂埃が風に乗って舞い上がる。地面は赤茶けた土と砂で覆われ、ところどころに古い血痕が染み付いている。
ここが“通此比武以集世好手”の予選の場だった。
少なくとも彼らをすんなり通した門番からそう言われた。
しかし、問題なのは歓声などなく、観客もいない
上空には、無数のドローンが浮かんでいるだけの、歓声と思ったものも参加者の悲鳴だ。
小さなプロペラの音が低く響き、赤く光るカメラのレンズが下を向いている。
観客たちはここから遠く離れた場所でドローンの映像を通じてこの荒野を眺めているのだ。
ならば当然覇大王もいない。
ただ、ドローンの群れが時折方向を変え、興味深い光景にカメラを向けるだけだった。
「歓声じゃない!?あ、兄貴!?」
ヤマが指差して驚く先を見ると、異様な光景が広がっていた。
銀髪の老人が、土に倒れ伏している。
髪型が剣のように鋭く立った、異様な老人だ。
「あのジジイ、俺らがきた時の!下水道に入る前の奴らの一人じゃ」
強者の雰囲気を出していたその老人は死んでいた。
その首は真下に長い槍の矛先が深々と突き刺さり、血が赤茶けた土に染み込んでいる。
槍で頭を抉り取られて高く上げられていた。
その体まだ微かに動いていたが、もはや立ち上がれないだろう。
おそらくは高速で首を取られてその体すら反応していない。
そしてその周囲には、同様に倒れた挑戦者たちが何人も転がっていた。
そんな中央に、一人の男が立っていた。
まず目を奪うのは、凄まじい肩幅だった。
肩の筋肉が隆起し、まるで岩を削り出したかのような厚みと広がりを持っている。
一人で三人ほどじゃないかと疑うほどの広さ。
男はゆっくりと周囲を見渡し、口を開いた。
ドローンを見つけ出しては荒野全体に響き渡るほどの声量で叫び出す。
「我こそは最上不滅、最強不敵、貴様らの足掻きなんぞ無意味!我こそは無敗北だ!」
その瞬間ドローンの群れが一斉に方向を変えた。
男の姿を捉えた遠隔の観客たちが、今この宣言を聞いているのだろう。
(……門番の連中は、俺たちを入れたのはどうせここで死ぬと思ったからか)
レイは思った。
散々暴れた三人衆が来た時、厚みのある壁入り口で覇大王の手下たちに止められなかった理由が、やっと腑に落ちた。
彼らは、三人がこの男に殺れると判断したのだ
「次はお前らか。三人まとめて来い」
そう言い終わる前に、男は動いた。
凄まじい肩幅の筋肉が収縮し、裸一貫の上半身が爆発的に加速する。
槍を低く構えたまま、一直線に突進してきた。
散ッ!
砂煙が巻き上がり、地面が彼の足音で微かに震える。距離を詰める速度が異常だった。
もはやその勢いだけでわかる、やつの目的は予選の通過だけなどではなく、本気で殺しに来ていること。
おそらくは目指すのは全滅。
レイはヤマを慎重に下ろし、フォンと並んで立った。傷はまだ癒えていない、体力も万全ではない、だが、ここまで来た以上、引き下がる理由はない。
「敵として不足なし!」
「……殺す!」
ドローンのカメラが、四人の男を同時に捉えていた。
この場で、何を選ぶか。
覇大王が見ているというこの比武で、この地区での残された生存者たちは何を示すのか。
殺伐としていく場合わせるように荒野の風が赤茶けた土を巻き上げていく。
血の匂いと、砂埃と、そして、次の戦いの気配だけがそこにあった。
轟ッ!




