私は悪くない
窓辺に立ったロベルトは、魔法使いの師弟が屋敷を出ていくのを見て舌打ちをしました。
二人の退去を確認し終えたので、窓から離れて椅子に座った瞬間ズキリと頭が痛みました。
「ああ、クソッ。あの女が死ぬ前に何かしたに違いないのに、無能どもめ――!」
*
若く美しい家庭教師と深い仲になった時のことは、今でも鮮明に覚えています。
あれは雨の日のことでした。
出勤途中で雨に降られたミス・グリーンはしとどに濡れてしまいました。
いつもきっちり結っている髪をほどき、滴る雨水を拭う姿には妻にはない色気がありました。
「体が冷えてしまったでしょう。この部屋で温まってから授業を開始していただいて構いませんよ」
ロベルトは応接間の暖炉に火をいれ、ミス・グリーンが休めるように部屋を整えました。
「傘を持っていなかったのは私の落ち度なのに、ご迷惑をおかけして申し訳ないですわ」
「私だって傘を忘れて雨に降られることくらいあります」
「まあ、旦那様が?」
ふふと口元に手を当てて笑う姿が、いつもと印象が違いロベルトはドキリとしました。
旦那様という響きが、別の意味に聞こえてしまいそうです。
「ありがとうございます。実は冷え性で、ほらこんなに冷たいんですのよ――」
そう言ってミス・グリーンはロベルトの手を握りました。
手の冷たさと、急な接触に男の心臓が跳ねました。
握手なんて商談の場では日常茶飯事、今回は相手が違うと言っても思春期の少年でもあるまいし手に触れられたくらいで動揺するなんて。
どう切り返したものか迷っていると、ミス・グリーンは「旦那様の手はとても温かいですね」と微笑みました。
いつの間にかロベルトの手は彼女の頬に添えられていました。
「旦那様と一緒ならすぐに温まりそう――」
*
「旦那様。奥様がお呼びです」
遡ること1ヶ月前。使用人を介して呼び出されたロベルトは、特に警戒することなく彼女の寝室に行きました。
「よりによって娘の家庭教師に手を出すなんて見下げた男だな」
熱で瞳を潤ませながらも、眼光鋭く睨まれてロベルトは一瞬固まりました。
「どうしたんだ。藪から棒に」
「今までは上手く遊んでいたから見逃していたが、今回の相手はダメだ」
「――なんのことだか」
「鎌をかけられていると思っているなら甘いぞ。ちゃんと証拠も確保している。倫理観に欠けている人間は、いくら勉学に優れていようと教育者の資格はない」
とぼけようとするロベルトを制し「派遣元にも報告済みだ」と告げました。
「さて君の年下の愛人は間もなくこの屋敷を去ることになるだろう。君の浅はかな行いの所為で、この先家庭教師として働くのは難しいだろうな。誰も家人をたぶらかす女を雇おうとは思うまい」
「彼女の人生を滅茶苦茶にするつもりか!」
「滅茶苦茶にしたのは君だろう。男として責任を取ってもいいんだぞ」
「なに――」
「私が欲しかったのは、自分が不在の間に、商会本部を支えてくれる忠実で優秀な事務官だ。籍を入れれば法的に一蓮托生になるから、信頼できると思ったんだが、私も年相応に未熟だったということだな」
ベッドに横になったまま、ロベルトを婿に選んだかつての自分を嘲笑いました。
女傑と名高い彼女ですが、年相応に甘い小娘だった時もあります。
当時は家族なら絶対に裏切らないだろうと、根拠もなく信じたのです。
「もしかして、私を商会から追い出す気か?」
「というか離婚だ。退職を強制しないが、別れた妻の下で働くなんて居心地が悪いだろう」
「私は仕事に誠心誠意取り組んでいるし、成果も出している! 何よりマリアの父親なんだぞ!」
「父親だからこそ引き離さなければいけないんだ。悪影響だし、あの子が自分で父親を切り捨てるのは難しいだろうから、母親である私が行う」
商会の仕事は結局は人と人との関係がものを言います。従業員も人、取引相手も人、客も人。
マリアは気立てが良く、責任感のある娘に育ちました。
親としては喜ばしいのですが、経営者としての非情さが足りないのは心配です。
商会長はまだ寿命を気にするような年ではありませんし、持病もありません。
しかし今回倒れたことで、人はいつ何時死ぬかわからないという当たり前のことに気がついたのです。
もしものことを考えて、不安の芽は早めに積んでおくことにしました。
だから今回は、苛烈な母親が浮気者の父親を追い出したことにするのが最善でしょう。
「待ってくれ。マリアは、まだミス・グリーンと私の関係は知らないんだろう?」
「ああ。身近な人物に裏切られていたと知ったら、ショックを受けるだろうからな」
側にいた年上の女性が父親と男女の関係だったなんて、思春期の娘には酷な話です。
知らせずに始末をつけられるなら、それにこしたことはありません。
「チャンスをくれ」
「おや、愛しのミス・グリーンは守ってやらなくていいのか?」
「それは……」
ここで勢いに任せて動いてしまえば、相手の思うつぼです。
ロベルトはぐっと唇をかみしめました。
*
妻の部屋を出たロベルトは、その足で愛する人の元へ向かいました。
「無力な私を許してくれ」
「旦那様の立場を知っていながら、愛する気持ちを止められなかった私も同罪です」
ミス・グリーンは、自分を守れなかった男を責めることなく寄り添いました。
「罪深いのは私だ。ほとぼりが冷めるまで待たせることになるが、必ず君を救うと約束する」
こんなに健気な女性を切り捨てて知らんふりすることなど、ロベルトにはできません。
だからといって二人一緒に追い出されては、苦しい生活を送ることになるでしょう。
今は我慢の時です。
「ならば奥様の信頼を取り戻さなければなりませんね」
「ああ。あの女に傅くのは癪だが、君のためだと思えば耐えられる」
「奥様の容態はいかがですか?」
急に話題が変わったことにロベルトは戸惑いました。
「そんな大したものじゃないよ。単なる風邪さ。もう若くないのに、昔のように徹夜したり予定を詰め込んで働いていたから、いつもより症状が重いだけだ」
「――飲まれている薬はわかりますか?」
どんな薬を処方されたかは、診察の明細書にかかれているので簡単に調べられます。
「君は薬師だったな。やはりそういうことに関心があるのか?」
「私たちの未来のために、できることがないかと思いまして……」
いつもと同じ声、いつもと同じ笑み。
治療の手助けをしてポイントを稼ぐものだと思い込んだロベルトは、ミス・グリーンの言葉に素直に従いました。
*
ロベルトは嫌な記憶を振り払うと、自分に言い聞かせるように呟きました。
「私は悪くない……」
容態が悪化して、妻が亡くなるまではあっという間でした。
後からじわじわと、もしかしてという思いがロベルトを侵食しました。
怖ろしくてミス・グリーンに確認することもできず、ただ彼女がロベルトに対しては献身的に尽くしてくれているのでそれでよしとしました。
仕組みはわかりませんが、もしミス・グリーンの指示が妻の寿命を縮める行為だとしても、そこまで彼女を追い詰めたのは妻です。
相手を排除しようとして返り討ちにあっただけ。自業自得です。
何よりロベルトの行動が原因であれば、自分が実行犯になってしまいます。
ミス・グリーンは「日陰の身で構わない。単なる秘書としてで良いから側にいたい」と、惜しみない愛を捧げてくれています。
ロベルトのことをこんなにも深く愛してくれる女性がいたでしょうか。
彼女を手放してはいけない。守らなくてはいけない。
すべては二人の未来のために――
*
しかし妻の死後、ロベルトの身には異変が起きました。
日中は謎の体調不良、夜は無念の死を迎えた妻に責められる夢。
妻が魔力持ちだったとは聞いていませんが、もしかしたら死の瞬間何らかの能力が発動したのかもしれません。
「お前はもう死んだんだ。とっとと消えてくれ――!」
頭を抱えるロベルトの姿を、扉の隙間から冷ややかに見る人物がいました。
「肝の小さい男だこと」
呟くように吐き捨てたのは、ロベルトの最愛――ミス・グリーンでした。
この二人が破滅するまであと_日




