姿なき呪い 11
「ロベルトさんの不調は、コーヒーに含まれる覚醒成分の離脱症状です」
「ええと……」
「急にコーヒーを絶ったのが原因ということです」
「でもそれって、あまり体に良くないものなんですよね?」
「集中力アップや、眠気覚ましになるので一概に悪いものとは言えませんが、ロベルトさんは重度の中毒者だったので止めさせたのは正解です。問題はその方法です」
ミカエルの言葉に、マリアは首を傾げました。
「連日大量に服用していたロベルトさんは、ミス・グリーンに指摘されて飲むのを止めました。止めると決めてからは一滴も飲んでいない、と本人が断言していましたよね」
昨日話題になったばかりです。
マリアが頷くと、ミカエルは説明を続けました。
「加えてミス・グリーンも覚醒成分を含まないハーブティーを用意して徹底除去に努めました」
「ええ、その通りです」
ここまではマリアも聞き及んでいる事実です。
「ロベルトさんの症状は、低血糖、頭痛、悪夢。本人は無自覚でしょうが、抑うつや苛立ちも含まれているかと。悪夢はそちらが原因だと思われます」
妻である先代が亡くなってからロベルトの言動が酷くなったように感じましたが、同時期にミス・グリーンが秘書になり生活改善を開始しています。
タイミングに心当たりのあるマリアは、黙って耳を傾けました。
「覚醒成分には血糖値を上げる効果があります。そんな人か急に飲むのを止めたら、体はどうなるでしょうか?」
「血糖値が下がる……?」
医学の知識がないマリアでも、上げるの反対くらいは予想できます。
「そうです。もしロベルトさんが間食するタイプだったら、頭痛はともかく低血糖は防げたでしょう。でも彼はミス・グリーンの監修で摂生していた」
休憩時間はハーブティーのみ、間食は十五の鐘の後に一握りのナッツと砂糖不使用のドライフルーツだけ。
血糖値は高すぎても、低すぎてもいけません。
高いと神経や血管を傷つけ、低いと体が燃料不足になります
レモネードで回復していたのは蜂蜜が含まれていたからです。砂糖や蜂蜜を直接口に入れた時に比べて、摂取量が少なかったので効果が出るのに時間がかかったのでしょう。
「本人も言っていましたが、ミス・グリーンには知識はあっても経験がない。だから覚醒成分の危険性を知っていても、安全な止め方や副作用に思い至らなかったのでしょう」
「お医者様が気付かなかったのは、どうしてですか?」
「ぼくが気付いたのは長時間一緒に過ごして、雑談に紛れていた情報を拾い集めたからです。今までは普通に受診して、検査を受けただけではありませんか? それでは気付きようがありません」
かつてルカは「患者は悪意なく嘘をつく」と言っていました。
問診票では「副作用歴無し」「併用薬無し」にチェックを入れたのに、診察時には「その薬は気持ち悪くなる」とか、どう見ても薬なのに健康食品だと言い張ったりするとのことです。
書くのが面倒で全部ノーにしているのか、治療内容とは関係ないだろうと自己判断しているのかは定かではありませんが、医師は万能ではありません。
医師は目の前の体の状態を診断するだけです。情報を隠されたら正確な判断はできません。
「そうですね。父は良いことをしていると思っているので、わざわざ申告しなかったと思います」
ミカエルの話を聞いたマリアは同意しました。
「少しずつ段階を踏んで止めれば、ここまで激しい離脱症状は起きなかったと思います」
急に止めるのではなく、まずコーヒーは午前中に限定して、午後はコーヒーに比べると含有量が少ない紅茶に変える。
その際に低血糖予防として、砂糖や蜂蜜で甘みをつける。
慣れてきたら午前中も紅茶にして、コーヒー無しで一日過ごせるようにする。
徐々に紅茶をハーブティーと入れ替えて、生活から覚醒成分を排除する。
時間をかけて一歩ずつ進めていれば、離脱症状は防げます。
「お弟子様。父はこれからもあの状態が続くんでしょうか?」
「コーヒー断ちを始めたのが先月なら、そろそろ大丈夫なはずです」
文献には「止めてから十日もせずに落ち着くが、長引く人は一ヶ月近く続く」とありました。
頭痛も瞬間的なもので、半日症状が出なかったのは収束に向かっている証拠です。
最後まで話を聞いたマリアは、安堵の息を吐きました。
「よかった」
「……ちなみに、この状況を逆手にとることもできますよ」
ミカエルの言葉に、マリアはきょとんとしました。
「覚醒成分が完全に抜けるのには半日程度かかります。形を変えて補充し続ければ、また中毒状態になり、急に断ち切れば離脱症状を繰り返すわけです――何度でも」
少年は天使のような悪魔の笑顔で囁きました。
「そ、それは」
「まだ完全収束してませんからね。少量の覚醒成分を含んだ手作りの甘味――紅茶を使ったお菓子を食べさせれば楽になるでしょう」
実際に効果が出たら「お父様への愛情を込めました」とでも嘯けばいいのです。
「……知らなかったとはいえ、ミス・グリーンは父の健康の為に尽力してくれています。せっかくのご提案ですが、努力を無に帰す行為はしたくありません」
「それですが、マリアさんは、ミス・グリーンが純粋にロベルトさんのために行動していると思っているんですか? それともこれ以上傷付きたくなくて、目を背けているんでしょうか?」
「何を言って――」
「これから話すことは契約には含まれていないので、単なる雑談。ぼくの推測だと思って聞いてくださいね」
前置きしたミカエルは、マリアの様子を観察しました。
ここで聞きたくないと拒否されたら、止めるつもりでしたが、マリアは真っ直ぐミカエルを見つめていました。心の準備はできているようです。
*
「ミス・グリーンがロベルトさんの健康状態に敏感なのは、さっさと死なれると困るからです」
身も蓋もない言い方に、マリアは目を丸くしました。
「店を持とうにも資金がなかった。城で働こうにも不採用だった。だから家庭教師になった――本人がそう言っていましたよね」
「はい。私もそう記憶しています」
「城の薬師としては不採用になりましたが、領主の弟さんへの伝手があります。単なる顔見知りではなく、契約の橋渡しをできるほどの強力なものが」
「……」
「当時は無理だったとしても、今ならボスコ商会を介してレシピを売れば、店の開業資金くらいは稼げたはずです。でもしなかった」
「父の側を離れたくなかったからでしょうか……?」
「ええ。だってまだなにも手に入れていません。今、辞職したら損するだけです」
ミカエルは「愛」ではなく、「損」と言い切りました。
「喪中なので再婚できない。外聞を気にして一介の従業員扱いなので愛人手当はなく、秘書としての給料しかもらえない。籍を入れて遺産を相続する権利を手に入れるか、商会の跡取りを身ごもるまで、ロベルトさんには元気でいてもらわないと困るんですよ」
「跡取りって、この商会は私の母方の――」
「でも現に、婿養子のロベルトさんが商会を継いでいますよね。逆にマリアさんは正式な肩書きをお持ちでない」
後継ぎと見なされていただけで、役職に就いていなかったマリアは、立場の弱さを今更ながらに自覚しました。
「ロベルトさんが商会長として君臨し続ければ、商会の雰囲気も変わっていくでしょう。彼の力は増し、愛する女性との子どもができれば、そちらに後を継がせたいと思うのでは」
「いくら父でも、そこまでは!」
「ロベルトさんに『商会のために嫁いでくれ』と言われない自信がありますか?」
むしろありありと想像できてしまい、マリアは唇をかみました。
ロベルトがミス・グリーンとの子どもを愛するかはわかりませんが、マリアよりもミス・グリーンを大切にしているのは確実です。
彼女が望めば、跡取りを変えるくらいしそうです。
「ミス・グリーンがハーブティーで商会に貢献したのは、再婚時の反発を抑えるためと、商会の業績が悪化するのを防ぐためです。嫁ぐ頃には火の車なんて笑えないですからね」
浮かない顔をするマリアに、ミカエルの胸はチクリと痛みました。
「手に入れた情報をどう扱うかは、マリアさん次第です。短い間でしたが、ぼく達によくしてくれたあなたには幸せになってほしいと思っています」
「……ありがとうございます」
間もなくロベルトの不調は治り、喪も明けます。
すぐにでも決断しなければいけません。
後手にまわることがどれだけ不利なのか、商人の娘であるマリアはよく理解しています。逆に先手の有利も同様です。
それでもこの場で結論を出すことができず、彼女はスカートを握りしめることしかできませんでした。
*
「師匠。マリアさんに言っていたのは、ご自分の経験ですか?」
ボスコ邸を出たミカエルは、隣を歩くラファエロを見上げました。
「なんじゃ藪から棒に。彼女には色々と言ったからのう。どの発言を指しとるんじゃ?」
「……情が深すぎると、心ない輩に利用されるという話です」
「わしはめちゃんこ凄い魔法使いじゃから、頼られることはあっても、虐げられることはなかったぞ」
「無自覚なんですね」
ミカエルの呟きは小さすぎて、いかに若い体を保っているラファエロでも聞き取れませんでした。
「何を言ったのか聞こえなかったんじゃが。もう一回言ってくれんかのう」
「その肉体年齢で聴力が急に落ちるなんて、突発性難聴かもしれません。急いでルカ医師に診てもらわないと」
「ちちちち違うわい! 身長差があるから、ちょっと聞き取りづらかっただけじゃ! 受診の必要は無い!」
慌てたラファエロは、誤魔化すように転移魔法を発動させたのでした。
お次はロベルト視点です。
作者はざまぁの申し子なので、悪い奴にはちゃんと制裁が下ります。




