姿なき呪い 7
「屋敷の厨房と、商会の給湯室に、ブレンドされた茶葉がありました。あれはあなたのオリジナルレシピですか?」
「……そうですけど」
「リラックス、リフレッシュ、疲労回復、消化促進、集中力アップ……etc.用途に合わせて、安全性と効果に配慮したハーブがブレンドされていました。市販品だと、手っ取り早く効果を実感させるために、覚醒成分を入れたり、即効性があるが根本解決にならないどころか長期服用に向かない余計な混ぜ物をしたり、違法ギリギリの高濃度にすることがありますが、あそこにあったものは違った。体に負担をかけたり、まやかしで症状を和らげるようなものは使わず、シンプルでありながら効果的な組み合わせでした。飲み合わせにも配慮しているので、もし全種類を一日で飲んでも、トラブルは起きないでしょう」
「あ、ありがとうございます」
まさか手放しで賞賛されるとは思わず、ミス・グリーンは困惑しました。
しかもミカエルの褒め言葉は浅いおべっかではなく、知識のある人間による評価です。
ミカエルは夕食までの数時間、マリアと行動を共にして従業員や屋敷の使用人と接しています。ロベルトとミス・グリーンの関係についても聞き及んでいるでしょうに、それはそれと幼い少年がしっかり切り替えているのも驚きです。
「タンポポの根で作ったコーヒーもありましたね。ハーブと違って、市場では手に入らないので作るのは大変だったのでは?」
タンポポそのものは、色々な場所に自生しているので入手難易度はそこまで高くありません。
根を洗って、干して、焙煎して、粉砕して――と。計って混ぜるだけのハーブティーと違って、手間暇がかかるのです。
ミカエルが本で読んだ製法を説明すると、作り方を知らずに飲んでいたロベルトは驚いた顔をしました。
「そんなに面倒な作業をしていたのか?」
「ええ、でも旦那様はコーヒーを愛飲されていたでしょう。せめて味だけでもと」
ミス・グリーンが秘書になる前は、ロベルトの一日はコーヒーで始まり、コーヒーで終わっていました。
目覚めの一杯としてモーニングティーならぬ、モーニングコーヒー。ちなみに朝食はつまむ程度。
仕事中もお茶代わりにコーヒー。
昼食後はデザート代わりにミルクと砂糖を多めに入れたコーヒー。
午後も気分転換したくなったら、ティーブレイクならぬコーヒーブレイク。
夕食はデザートが甘ければコーヒーで中和し、仕事が残っていたらコーヒーをお供に片付ける。
「……最低でも一日五杯は飲んでいますね」
「よくわからんのだが、あまり健康に良くなさそうじゃな」
「立派な依存症ですよ」
「ええ。私は旦那様に健康で長生きしていただきたいので、食生活の改善と共にコーヒー断ちを提案いたしました」
「そういえば、出発前に聞いた朝食の内容はバランスのとれたものでしたね。これもミス・グリーンの提案ですか」
「はい。お仕事柄、夜に会食されることが多く、お腹がすいていないからとコーヒーだけで済まされることもありました。今は帰宅時に消化促進のお茶を飲んでいただき、朝はサラダや野菜を中心にすることで、食事を抜くことが無いようにしていただいております」
「彼女ほど私の健康に気を遣ってくれた女性はいない。うちには二人も女が居たというのに、どちらも気がきかなかったものでね」
当てつけのような言葉に、マリアは俯きました。
「ああ。調査中に先代の逸話をお聞きしました。随分豪快で自立心溢れる女性だったようですね。お会いしたことはありませんが『大人なんだから、自分の面倒は自分でみろ』とでも言いそうです」
ミカエルは素知らぬ顔で、この場に居るマリアではなく、亡くなった先代に話の矛先をずらしました。
「ところで、これだけ優秀なら家庭教師ではなく、自分で店を持ったり、どこかのお抱え薬師になることができたんじゃないですか?」
話を逸らされたことにロベルトは不満そうな顔をしましたが、続く話題がミス・グリーンに関してだったので流れを遮りはしませんでした。
「自分の店を持つには資金が必要です。私の実家にそんな余裕はありませんでした。それにスレイ城の薬師試験に応募したんですが、落ちてしまいました」
「実力があっても、なかなか上手くいかないものなんですね」
「実績のない若い女の扱いなんて、そんなものです。試験では充分手応えを感じたのに、結果は不採用でした。経験を積む機会を与えられないのに、薬師という肩書きにしがみついても無駄だと思ったので、薬とは関係ない仕事として家庭教師になりました。でも薬学の知識で誰かをサポートしたいという願望は残っていたようです。今は旦那様のお役に立てて嬉しく思います」
「ミス・グリーン……」
感極まった表情で、若い女性の手を取ったロベルトに、ミカエルは内心で白けた目をむけました。
マリアに対してはやたら当たりが強くて、ミス・グリーンへの態度は真逆です。
ミカエルは先日読んだ論文を思い出しました。
世の中には、自分が不機嫌であることを態度や口に出して、相手を威圧する人種がいるそうです。不機嫌ハラスメント――略してフキハラと書かれていましたが、ロベルトはまさにそれです。
先代商会長は気が強い女性で、ロベルトを異性として好いていなかったので、彼が不機嫌を露わにしても怯んだりはしなかったでしょう。
しかしマリアには効果があったようです。
現に彼女は喪に服したくても、半端な恰好をするので精一杯なようです。父親の健康を気遣うどころか、対等に会話できていないのではないでしょうか。
先代がこんな関係をよしとするとは思えないので、バレないようにやっていたか、死後に増長したのだとミカエルはあたりをつけました。
「ぼくは、ダルトン医師が書いた『依存に苦しむ人たち』を読んだことがあります。あの本には様々な症例が載っていましたが、どれも大変そうでした。ロベルトさんはどうやって、コーヒー漬けの毎日から脱却したんですか?」
「それこそミス・グリーンの献身の賜物だよ。彼女の努力に応えたいと思って、気合いで断ち切ったんだ」
「コーヒー断ちと並行して旦那様の生活習慣を整えました。睡眠、食事の時間を規則正しくしていただき、メニューも体に良いバランスのとれた食事を。元々は気分転換や、食後に満足感を得るためにコーヒーを飲まれていたので、代用品としてハーブティーをご用意しました。更に覚醒成分を含むものを徹底排除して、味が恋しくなった時はタンポポコーヒーで我慢していただきました」
「これだけしてくれる彼女を裏切ることはできない。止めると決めた時から、わたしは一滴も飲んでいない」
「旦那様の強い意志があってのことです」
妻は裏切ったのにな、とミカエルだけでなくラファエロも白けた顔になりました。
キリッとされたところで、若い愛人に良いところを見せたくて必死な中年にしか見えません。
「この通り、彼女は私を真摯に支えてくれている。今や無くてはならない存在なんだ」
「それはロベルトさん個人に必要という話ですよね」
「商会にとっても必要だ。なにせ彼女のおかげでスレイ城と取引できるようになったんだからな」
「スレイって、ミス・グリーンが試験に落ちた場所ですよね」
「彼女は言ったはずだ。試験には手応えを感じたと。領主の弟君は正当に彼女を評価していたんだ。当時は採用に口出しはできなかったが、今は城で領主代理を務めていらっしゃるので、ミス・グリーンがいるならとうちと契約してくださったんだ」
「もしかして、あのブレンドティーの販売ですか?」
ロベルトは得意げに頷きました。
「へえ。ミス・グリーンにとっては、あまり印象がよろしくない相手でしょうに。随分寛大なんですね」
ハーブをブレンドしただけのお茶なので、実物があれば簡単に分析できてしまいます。大切なレシピを譲り渡したも同然です。
「まあな。女性は感情で動く生き物だが、彼女のように学のある女性は理性的なんだよ。これまでボスコ商会は同族経営でやってきていた。急な代替わりで商会が打撃をうけないよう、貴重な伝手と知識を提供してくれたんだ」
「感情で動くのは性別よりも、性格だと思いますけど」
この場で誰よりも感情的に振る舞っているのはロベルトです。
しかし今の言葉には貴重なヒントが隠れていました。
依頼時にロベルトは『うちの商会は今が正念場』と言っていた理由です。
血族であることに重きを置いていたのなら、次の商会長はマリアです。しかし実際はボスコ家の血が流れていないロベルトが新しい商会長になっています。
しかもロベルトは就任早々、若い女性を側に置いているのです。
長年働いている職員や取引相手にそっぽを向かれてもおかしくありません。急な代替わりを理由にしていましたが、本当は不義理を理由に辞めた職員や、切られた契約があったのかもしれません。
「なるほど。ところで先代は単なる不幸で亡くなったと断言して、自分は呪いの可能性を疑うのは心あたりがあるんですよね。誰にどんな理由で恨まれているんですか?」
ミカエルは昼前の会話を、更に踏み込んだ形で口にしました。
「……ボスコの直系ではない私が商会長になったんだ。不満に思う連中は多い」
「ああ、それでマリアさんへの当たりが強いんですね。正当な後継ぎは直系の娘である彼女だから」
「お弟子様!?」
「『大勢の従業員の生活を背負うのは、若い娘にはプレッシャーだろう』とか言って、一時的な措置だとでも主張したんですか?」
「なっ――!」
「その反応。当たらずとも遠からずっぽいですね。それで商会長の座を手に入れた後は、マリアさんを抑圧して、彼女を潰そうとしているんでしょうか。母親である先代は死んでも死にきれないでしょうし、忠誠心の高い人物には恨まれても仕方ないですね」
「失礼すぎる! もう我慢ならん!」
「旦那様!」
ロベルトを追って、ミス・グリーンも食堂から出ていきました。
*
「……ミカエル。晩餐の前にわしが言ったこと覚えとるか」
「覚えています。昼間は『商人に必要な資質とは何か』という、依頼から逸脱した話をしましたが、今のは依頼を達成するのに必要な情報収集です」
「わしが言いたかったのは、相手を怒らせるなということなんじゃが」
「……あの、父が私を潰そうとしているとはどうして?」
「それは『どうしてそう思ったんですか?』ですか、それとも『どうしてわかったんですか?』でしょうか」
ミカエルの言葉に、マリアは拳を握りしめました。彼女の癖――感情を押し殺す時の仕草です。
「……どちらもです」
「マリアさんは、お母様の喪に服そうとしていますよね」
「はい」
「でも装飾が少ないだけで、来ているのは喪服ではない紺色のドレスです。『商売をしているから縁起の悪い服装を避けた』という考え方もできますが、亡くなったのが商会長なら堂々と喪に服しても誰も文句は言いません。というかそれが普通です」
先代の死を悼む姿を見せた方が、周囲の同情や共感を得られます。
「出迎えの時の会話からすると、喪服はロベルトさんに止められたんですよね。亡くなって何年も経ってるならまだしも、先月ですよ。自分が喪服を着ないのは自由ですが、他人に強要するのはいかがなものかと思います」
ロベルトは娘の気持ちに寄り添うどころか、批判していました。
「今日の席順も、母親を失ったばかりの娘を配慮していなかったし、ミス・グリーンを褒めるときに先代とあなたをこき下ろしていました。客人の前で娘を下げてもマイナスしかない――本来であれば」
「……」
「軽い愚痴、ちょっとした不満、単なる謙遜。そう嘯いてマリアさんの評判を落とせば、あなたが父親を引きずり下ろして、商会長になることはないと考えているんじゃないですか。まあ、そこまで深く考えていない可能性もありますが」
これまでのロベルトの言動を顧みると可能性は半々です。
「どうして先々代――マリア殿の祖父は、ロベルト殿を婿にしようと考えたのかのう」
「師匠。人は時間と置かれた環境で変わるものですよ。当時は実直な青年だったんでしょう」
「それ九歳のおぬしが言う!?」
「お弟子様から見ても、私は父に目障りだと思われているのですね。私はどうすべきだと思いますか?」
「ついにマリア殿までわしじゃなくて、ミカエルに相談するようになってしもうた!」
年長者の面目丸つぶれです。
「酷なことを言いますが、ロベルトさんはあなたを娘ではなく、自分の地位を脅かす敵だと思っています。彼がその考えを変えない限り、良好な関係にはなれません。そして他人の考えを変えるのは難しいです」
「私が商会を継がないと宣言したらどうでしょうか。父を安心させることができるのでは」
「不確実です。単にあなたが損をするだけかもしれません。ぼくとしては一度権利を放棄すると、様々な場面で不利になるのでおすすめしません」
オズテリアの法典を読み込んでいるミカエルは、民法、商法の中から、起こりうる問題を掻い摘まんで説明しました。
「昼間、自分が幸せになる道を選ぶと言ったばかりですが、どうしたら幸せになれるのかわからないのです……」
「急いで結論を出す必要はありません。まずは自分にとって何が幸せか。優先順位を見直したり、人生において大切にしたいこと、十年後にどんな姿になっていたいか等、角度を変えて考えてみてはどうでしょうか」
「これガチな人生相談じゃん。わしが口を挟む隙がないんじゃけど」
「師匠。無理に良いこと言おうとする必要はないんですよ」
「挙げ句に弟子にフォローされる始末!」




