姿なき呪い 8
翌朝。
昨日の怒りが冷めやらないようで、ミス・グリーンと一緒に食堂に現れたロベルトは不機嫌丸出しでした。
ミス・グリーン自身は、昨日は褒められただけなので、ミカエルに悪感情は無いようです。ただ困ったように微笑むのみでした。
*
昨日と同じ席順で、五人が席につくと朝食が運ばれてきました。
大人にはバゲットが二切れ入った籠。皿にのったオムレツ、グリーンサラダ、ソーセージ。小さな器に入ったヨーグルトにはジャムがかけられています。飲み物はミルク、オレンジジュース、ハーブティーの中から好きな物を選ぶスタイルです。
ラファエロとマリアはオレンジジュースを、ロベルトとミス・グリーンはハーブティーを選びました。
厨房で昨日リクエストした通り、ミカエルの皿だけ特別仕様でした。
二段重ねになったきつね色のパンケーキは迫力満点です。真ん中にバターの固まりが乗っており、添えられた容器には蜂蜜が入っていました。
皿にはパンケーキ以外ものっていました。炙ったベーコンと、大人達に比べると少なめのサラダです。
飲み物を聞かれたミカエルは、迷わずオレンジジュースを頼みました。
「マリアさん。これは二枚重なっていますが、上から一枚ずつ食べるんでしょうか?」
「食べ方は自由ですが、私は上から蜂蜜をかけて、重ねた状態で切って食べていますね」
食べ慣れている人の意見を聞くのが一番、とミカエルは蜂蜜を丸いパンケーキにまわしかけました。
「バターが溶けるのを待った方がいいですか?」
「どちらでも大丈夫です。暖かいので広げたらすぐに溶けますよ。あと甘い状態も美味しいですが、ベーコンと一緒に食べるとクセになる甘塩っぱさが味わえるのでオススメです」
目を輝かせたミカエルがパンケーキの上でバターをクルクルしていると、ロベルトが鼻で嗤いました。
「いい気なものだな」
「はい。美味しそうなものを前にして、とても気分が良いです」
即答されてロベルトは鼻白みました。
今のミカエルはパンケーキに夢中なただのお子様です。
昨日の無礼について物申したところで、大人げないと周囲に呆れられるだけです。
苛立ちが収まらないロベルトは、代わりにマリアに一言言ってやろうと思いましたが、寸前で言葉を飲み込みました。
昨日の今日で娘に当たるようなことをすれば、ミカエルの推理を肯定することになってしまいます。
鬱憤を吐き出せなかったロベルトは、ティーカップを乱暴に置きました。ガチャンと音が鳴ります。
普段ならマリアがビクつき、ミス・グリーンが気遣わしげな表情をしたでしょう。
しかし今日は三人だけの食卓ではありませんでした。
マリアはミカエルにパンケーキの食べ方を教えるのに集中していて、ミス・グリーンもそちらに気をとられています。
ラファエロは「あれを家でも食べたいと言われたら困るのう。家政婦を雇うとなるとあの家じゃ住み込み必須じゃし、やはり家事妖精しかないのか……」と難しい顔をして呟いています。
誰も察してちゃんな中年男になど見向きもしませんでした。
*
食事を終えた一行は、ロベルトを先頭にして進みました。
先ず彼は本館にある書斎に入りました。立派な一枚板の机には、今朝届いたばかりの手紙が束の状態で置かれていました。秘書らしくミス・グリーンが手早く仕分けし、ロベルトは黙々と目を通します。
「ミス・グリーン。この五通に代筆で返信しておいてくれ。お断りの定型文で構わない」
「あのっ、お父様。それくらいであれば、私もお手伝いしましょうか」
「これは私個人にきた手紙だ。親の手紙を盗み見するつもりか」
「そんなつもりはありません! お断りするにしても返事は早いにこしたことはありません。ミス・グリーンの負担を減らせないかと……」
仕事をしているロベルトとミス・グリーン。
部屋を調べているミカエルとラファエロ。
彼らと違って、マリアは流れで同行した身なので、手持ち無沙汰でした。ただじっとしていることに居心地の悪さを感じたものの、さりとてやることが無いので部屋に戻りますとも言えずにいました。
そんな時に自分でもできそうなことを見つけたので、深く考えずに提案しただけなのです。
「仕事に口出しするな。たかが数通の手紙が負担になるわけがないだろう。お前は彼女を健康面のサポートしかできないと思っているのか。今の言葉は秘書としてのミス・グリーンを貶めたも同然だ。謝罪しなさい」
「……すみません。出過ぎた真似をしました」
頭を下げながらマリアは考えました。ロベルトは昔からこんな人だったでしょうか。
母が亡くなる前は。祖父が亡くなる前は。マリアが子どもの頃は……
町で見かける親子のように、仲睦まじく出かけた記憶はありません。娘として特別可愛がられた覚えもありませんが、今のように叱られたり、邪険に扱われることもありませんでした。
「――部屋の確認が終わりました。ロベルトさん、普段は何時頃までこの部屋でお仕事されているんですか?」
「ここで行うのは商会とは関係ない仕事だ。私個人に来た招待、融資の依頼などの手紙を処理した後は、家関係の書類があれば片付ける。今は税処理や予算を組む時期じゃないから、今日は手紙を片付けたらこの部屋でやることはない」
親子のやり取りを遮るように報告したミカエルでしたが、二人の会話については口出ししませんでした。部屋に漂う微妙な空気をスルーして、依頼をこなすことを優先します。
力になるどころか場の空気を悪くしそうなので、マリアは別行動することにしました。
彼女が離脱した後、四人は商会に移動しました。
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ロベルトは一日の大半を商会長の執務室で過ごしています。
「現場に出たり、倉庫を見に行ったりはしないんですか?」
「それは私の仕事じゃない」
部屋の確認を終えたラファエロとミカエルは、来客用のソファに座ってロベルトたちの仕事ぶりを眺めていました。
たまに書類にサインが欲しいと職員がやってきましたが、滞在時間はごく短く、ロベルトとは事務的な会話のみ。
険悪な雰囲気ではないものの、お互いに最低限のことしか口にしていませんでした。
*
時刻を知らせる鐘が聞こえる度に、ロベルトは小休憩に入りました。
正確にはミス・グリーンがお茶を淹れてくるので、強制的に手を止めることになるのです。
「定期的に休憩時間を組み込み、作業時間を区切っています。集中力が低下する前に休憩に入ることで、疲労を軽減しつつ、効率よく仕事をこなせるようになります」
「ああ。ぼくもその方法が書かれた本を読んだことがあります」
しかしミカエルが読んだ本とは少し違います。
彼が読んだのはもっと短い時間で作業と小休憩のサイクルを行い、四回繰り返したら一度長めの休憩をとるというものでした。
ミス・グリーンが行っているのは、作業も休憩も記憶にある方法の倍の時間で行っています。
「昨日から思っていましたが、とても博識でいらっしゃいますね。そのくらいのレベルでないと、大魔法使い様の弟子にはなれないのでしょうか」
「ぼくが弟子になったのは単なる運です。師匠がお人好しなだけです」
「そんな言い方をするでない。数えきれんほど弟子入り希望者はおったが、この歳になるまで弟子にしたのはおぬし一人じゃ。運ではなく、縁じゃ」
ラファエロの言葉に照れたのか、ミカエルの薄い耳が桜貝のように色づきました。
*
昼を知らせる鐘が鳴りました。ラファエロの山小屋と違い、町中にある建物なので、鐘の音がよく聞こえます。
「お昼はいつもどうしているんですか?」
「繁忙期はこの部屋に持ってきてもらいますが、今はその時期ではありません。以前は外食されることが多かったようですが、今は取引先と約束があるときだけ外出されています。頻度としては月に二回程度でしょうか」
ミカエルの問いに、本人よりも先んじてミス・グリーンが答えました。
「気分転換を兼ねて外に出ていたんだが、彼女に控えるよう提言されたんだ」
「店で出される料理は万人向けの味付けなので調味料が多く使われていたり、大量に調理するので酸化した油を使っているのです。栄養バランスも偏りますので」
「彼女の意見は、どれも私の体を案じてのものだ。無下にはできない」
(娘の提案は無下にするどころか、怒鳴り散らしていたのにな)と、ミカエルは内心でツッコミました。




