姿なき呪い 4
「マリア殿じゃったか。もしかしてわしらを迎えに来てくれたのかの」
「はい、父に屋敷と店を案内するよう言われました。先ほどは父が失礼しました」
ミカエルの態度は礼を欠いていましたが、ロベルトも子ども相手に怒鳴っています。ロベルトも顔を合わせづらいのでしょう。
お互いに頭を冷やすには、時間をあけるのが一番です。
「お嬢さんが謝ることはないぞ」
「ええ、その通りです。ところでマリアさんが持っているのは本ですよね。どんなタイトルですか?」
部屋を訪れた少女は胸に一冊の本を抱いていました。
本に目がないミカエルは、さっそく食いつきました。
「これは母の日記です。父は否定しましたが、可能性があるなら調べていただくべきだと思いました」
「ううむ、故人のプライバシーじゃろ。わしらが読んでもいいのかのう」
調査の一環だからと、遺族が許可していても気がひけます。
「母は常々『商人は、最悪の状況を想定して動くべし』と言っておりました。この日記も、誰かに読まれる可能性を考えて書かれているので大丈夫です」
マリアは遺品の整理をしている時に、日記を見つけたと言いました。
「実は私も気になることがあったので、見つけたときに悪いと思いながら読んでしまったんです。おかげで、お二人に見せても大丈夫な内容だと言い切れるわけですが……」
「なにが気になったんですか?」
「……父とミス・グリーンの関係です。母がどう思っていたのか知りたくて」
「お二人は、前からあの距離感だったんですか?」
ミカエルの問いに、マリアは首を振りました。
「元々彼女は私の家庭教師でした。雇い主は母でしたが、母は外に出ていることが多かったので、日々の報告は父に行っていました」
「元々ということは、今は違うんですね」
「母が亡くなってから、父の秘書になりました」
マリアの母が存命の時は、彼女が商会長で、ロベルトは秘書のように働いていました。
ロベルトが繰り上がりで商会長になったことにより、補佐をする人間――元よりロベルトは事務仕事に長けていたので、おもに私生活を支えてくれる人材を求めて、気心の知れたミス・グリーンを採用したとのことです。
「そんな理由で周囲は納得したんですか?」
「ミス・グリーンは薬師でもあるのです」
秘書になってからは、薬師としての知識を活かしてロベルトの食生活を管理するようになりました。
病で先代が亡くなったばかりなので、健康管理を理由にされると表立っては誰も反対できませんでした。
「実家の薬屋はお兄様が継がれたので、ミス・グリーンは家庭教師になられたそうです。うちのように爵位はないけれど、それなりに社交が求められる家は、斡旋所に家庭教師を派遣してもらってマナーを学ぶのですよ」
今は斡旋所との関係は解消して、直接雇用しているとマリアは語りました。
「……ミカエルじゃないがモヤモヤするのう」
寄り添う二人を見た後だと、取り繕っている感じが否めません。
「先代の日記には何と書いてあったんですか?」
「母が病に倒れる前から、男女の仲だったようです」
マリアは栞を挟んでいた頁を二人に見せました。
【ミス・グリーンの雇用主は私だ。
私は商談で外に出ることが多いが、ずっと家を空けているわけではない。もしロベルトに迫られたのであれば、私に相談すべきだ。彼女がロベルトを誘惑したのであれば論外だ。
どちらにせよ娘の家庭教師としては、判断力・倫理観のいずれかが欠如していると判断せざるをえない。
今は別件で手が離せないが、時間ができ次第斡旋所に報告して、解雇するつもりだ】
「……なんというか、女性の日記という感じがせんのう」
たった一頁読んだだけで、生前どんな人物だったのかヒシヒシと伝わってきます。
先代は商会のトップとして、力強く部下を引っぱっていくタイプの女傑だったのでしょう。
「裏切った夫との離婚は考えていなかったんですか?」
ミカエルは首を傾げました。
この頁では、ミス・グリーンへの対応だけで、夫については触れていません。
ロベルトは婿養子なので、立場は先代の方が上となります。
「娘の私がいうのもなんですが、両親はビジネスライクな夫婦でした。母は子ども――後継者を産むために結婚し、父のことは『夫という肩書きの事務長』のように考えていました」
「夫婦の形はそれぞれじゃが、それにしても随分割り切っておるのう」
「父の方も、母のような女性はタイプではなかったようで、出世目的で結婚したようです」
「ミス・グリーンの解雇は、嫉妬ではなく娘の教育者として不適格だからという理由ですね」
「ええ。でも病気になってからは、二人の関係に変化があったみたいです」
マリアはパラパラと頁をめくると、テーブルの上に日記を置きました。
【「料理長に教わったんだけど、いかんせん料理なんてしたことがないから、美味しくないかもしれない」
そう言ったロベルトは、ミルク粥が乗った皿を持っていた。火加減をミスしたのか、表面に白いモロモロとしたものが浮いている。おそらく牛乳が変質したのだろう。
「こんな見た目じゃ食べたくないよな。厨房に行って作り直してもらうよ」
私が無言で皿を見つめているのを勘違いしたのか、ロベルトは慌てて懐から錠剤の入った瓶を取り出した。
「冷えは万病の元と言うだろう。それって血行不良が原因らしい。女性は貧血になりがちだと聞いたから、うちの販路を使って栄養剤を取り寄せたんだ。手料理がダメでも、こっちは飲んでくれると嬉しい。……お互い納得ずくだったとはいえ、私は良い夫じゃなかった。反省してる」
ロベルトが渡してきたのは、私も知っているメディル製薬の貧血治療薬だ。若い頃に飲んでいたことがある。落ち着きなく私の反応を伺う夫を見て、まさかそんな昔のことを覚えていたのかと内心で驚いた。
お互いに異性として魅力を感じたことはない。それでも家庭を、商会を共に経営する相棒としてやり直せるのでは――このタイミングで病にかかったのは、神がチャンスを与えたのかもしれない。】
この先は白紙でした。
症状が悪化して日記を書けなくなった先代は、この日記を書いた数日後に息を引き取ったのです。
*
「――私は、父のことがわかりません」
目を伏せたマリアは、膝に乗せた拳に力を入れました。
「心を入れ替えた父は、積極的に母の看病していました。その姿は私だけではなく、他の従業員も見ています。なのに母が亡くなるなりミス・グリーンを側に置いて、商会でも母の痕跡を消そうと躍起になっているような振る舞いばかりして……」
「悲しんでいるように見えないからといって、悲しんでいないと判断するのは早計じゃよ。悲しみが深すぎると、現実逃避したり、別のものにのめり込んで気を紛らわそうとする者もおるんじゃ」
「ラファエロ様は、父もそうだと?」
「わからん。だから大切なのは、おぬし自身じゃ。他人の反応に振り回されず、おぬしが幸せになれる道を選ぶんじゃ」
「……そう、ですよね。ありがとうございます」
「なあに人生の先輩からの、ちょっとしたアドバイスじゃよ」
「師匠の場合、人間関係については経験浅そうですが」
「それなりに色々経験しとるわい! あっ、いいこと思いついた!」
「却下で」
「せめて聞いてから否定して!」
「仕方ないので聞いてあげましょう。どんな世迷い言ですか」
「なんで上から!? 火力が下がってない! これまでの流れで、強火のままとかどういうこと!?」
二人のやり取りに、マリアは思わずくすりと笑いました。
「ほら、嗤われてますよ」
「言葉に悪意を感じる……。おほん、これは犯罪捜査でも使われている、歴とした方法じゃ」
「もうこの時点で嫌な予感しかしませんが、続けてください」
ミカエルに促されたラファエロは「精神を同調させるんじゃ」と、胸を張りました。
「……師匠。お出口はあちらです」
「強制退場ってこと!?」
「違います。森にお帰りください」
「間違えて召喚しちゃった系にする対応!」
「なんてことを提案するんですか。字面からして危険な魔法の臭いがプンプンしますよ」
「これは対象者と感情を共有する魔法じゃ。裁判や尋問時に嘘がないか確認するのに使われている信頼できる方法じゃぞ。ロベルト殿の精神に、マリア殿が接続して、先代の思い出話をすれば、亡き妻に対する感情を嘘偽りなく知ることができるじゃろう」
「その魔法にリスクはないんですか?」
「長時間繋がっていると自他の境界が消失してしまうからの。一回十五分まで、一度やったら二日以上間をあければ大丈夫じゃ」
「こんなこと言ってますが、どうしますか?」
ミカエルの問われたマリアは、冷や汗をかきながら拒否しました。
「ええと。私は母のような強い女じゃないので無理はしないでおきます。父ではなく、自分の気持ちに向き合います」




