姿なき呪い 3
ボスコ邸は、近所の家と比べても一際立派な建物でした。
太陽の光で輝く白壁と、テラコッタ色の瓦屋根。汚れやすい白壁を美しい状態で維持するのは難しく、雪の重みで瓦が割れるので壊れる度に張り替えなければいけません。この近辺ではどちらも裕福であることの象徴です。
*
「旦那様、お帰りなさいませ」
「あぁ、ミス・グリーン、出迎えありがとう。マリア、お前またそんな地味な色の服を着て……」
玄関口で一行を迎えたのは、二人の女性でした。
レモンイエローの花柄のドレスのミス・グリーンと、紺色の無地のマリアは対照的でした。
成人を過ぎたくらいの華やかな顔立ちの女性と、大切に育てられたお嬢様といった雰囲気の少女です。
海沿いの町は開放的な雰囲気が影響しているのか、明るい色の服を着ている住民が大半なので、十代半ばで暗い色を纏うマリアはいささか周囲から浮いています。
「娘のマリアと、秘書のミス・グリーンです」
「奥方は不在なのか?」
「妻は先日亡くなりました」
「それはご愁傷様じゃ。世事に疎くてすまんのう」
「お気になさらないでください」
頭上で交わされる大人達の会話を聞いていたミカエルの視界の端で、マリアがスカートを握りしめたのが目に入りました。ミカエルの身長だと、丁度彼女の腹部付近に視線がいくのです。
「旦那様、上着をお預かりします」
秘書として紹介されたミス・グリーンは、当然のようにロベルトに寄り添いました。
ロベルトも彼女の行動を当然のように受けいれています。雇用主と使用人ではなく、夫を迎える妻のような雰囲気です。
「ロベルトさん。奥さんを亡くされたのはいつ頃ですか?」
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
ミカエルの問いに、ロベルトは顔を顰めました。
「ご家族に影響はないとのことでしたが、もしかして奥さんも――」
「妻は肺炎を拗らせたんだ! 今回の件とは関係ない!」
「これ、ミカエル。身内に不幸があったばかりなのじゃから、もうちっと言い方に気をつけんか。すまんのう」
「いえ、こちらこそ感情的になってしまい申し訳ない」
「……お母様が亡くなられたのは先月です。今日で一ヶ月経ちました」
父親の代わりにマリアが淡々と語りました。母親を失った悲しみから抜け出せていないのか、暗い表情です。彼女の暗く飾り気のない恰好は、哀悼のためでしょう。
ロベルトは一瞬口元を歪めましたが、娘を止めはしませんでした。
「ありがとう、お嬢さん。言い難いことを言わせてしまって悪かったのう」
「生前の母は闊達で、とても精力的な人でした。多少の不調は気合いで何とかしてしまうような人だったので、仕事を優先しているうちに重症化してしまったんだと思います」
「お気になさらず」と、マリアはぎこちなく微笑みました。
「仕事とは、ボスコ商会のですか?」
「この商会は、母が祖父から譲り受けたものなのです」
「名義はそうでしたが、彼女は交渉や商品を見る目はそれなりでしたが、いかんせん実務が苦手でした。法律や数字に弱いのは女性にありがちな話です。不安に思った先代が、娘の不足を補う為に選ばれたのが私です。今は名実ともに私が商会長ですよ」
とても若い身空でこの世を去った人物に向ける言葉ではありません。
明らかにロベルトは、亡き妻を下に見ています。
「でも商人の素質として重要なのは、交渉能力と目利きですよね。経理とか法務を実務と言っているなら、できる人に任せればことたります。どちらも専門家が存在する職業ですし」
「商会に必要なのは彼女であって、私の代わりはきくとでも言いたいのか! 働いたことも無い子どもが偉そうに!」
年端もいかない少年の言葉にロベルトは憤慨し、マリアは目を丸くしました。
「ミカエル。いくらなんでも失礼じゃ。おぬしが受けた依頼は呪いの調査であり、それ以上でもそれ以下でもない。己の責務を全うすることだけを考えなさい」
「……はい、師匠」
ラファエロに窘められたミカエルは頭を垂れましたが、ロベルトへの謝罪はさり気なく回避しました。
*
客室に通されたミカエルはむっつりとした顔で呟きました。
「……ぼく、あの人嫌いです。早く終わらせましょう」
実は依頼の手紙を読んだ時から、ミカエルは今回の件に乗り気ではありませんでした。
「ふむ。理由を聞こうか」
ラファエロは赤子の時からミカエルを育ててきました。
確かに慇懃無礼で、こましゃくれた少年ですが、理由もなく他人を嫌ったり攻撃するような子ではありません。
「ぼくは毎日沢山の本を読んでいます」
「そうじゃな」
「本であればジャンルを問わずに読みますが、何でも楽しめるわけではありません。どうしても合わない作品や作者はいます」
「ストーリーが面白くないとか、作風が合わないってことかの?」
「まあ、そんなものです。特に作者との相性がわるいと、どんなに評価が高くても読むのが苦痛になります」
「そこまで!? あ、でも普通の人は、微妙だと思ったらその場で読むの止めるし、そんなものかのう」
「はい。それでぼくにとって、ロベルトさんが書いた依頼の手紙は、不快に感じる文章でした」
ラファエロは首を傾げました。彼も手紙を読みましたが、特に何も感じませんでした。
「……経験の差か、感性の違いかはわかりませんが。ぼくはあの文面から、傲慢さと狡猾さ――それらを隠せない知能の低さと、器の小ささを感じました」
「ボロクソじゃな」
「ただこれは文面から感じたイメージなので、実際に会えば変わるかと思いましたが、ここに来た時のやり取りが決定打になりました」
「ふむ。手紙の印象で決めつけずに、実物を知ろうとしたんじゃな」
ミカエルは無言で頷きました。
「今では『死後どころか、奥さんの存命中から浮気してたんじゃないかこのクズが。たいして商会に貢献してもいない入り婿の分際で態度がデカいんだよ』と思っています。しかも手紙に奥さんのことは一切書かず、先ほども強く否定していたので、不調の原因に心あたりがあるけれど隠してるんじゃないかと疑ってもいます」
「そこまで!?」
ラファエロの口から、本日2回目の「そこまで!?」が出ました。
「はい。元々良い感情を持っていなかったので」
「ふむ。やたらわしに辛辣だったのも、ロベルト殿が来る前で心が乱れていたからか」
「いえ。師匠弄りは気分です」
「気まぐれでわしで遊ぶでない!」
「嘘です。モヤモヤして師匠にあたってしまいました」
「う、うむ。それなら。わしはおぬしの養父でもあるしの。家族なのだから遠慮することはないが、不安に思うことがあるならまず相談せい」
「家族……?」
ぽかんとした顔で見上げてくるミカエルに、ラファエロは本気で動揺しました。
「え!? 何故そんな顔をするんじゃ。今までわしのことなんだと思っとったの!? ちゃんと養子として届け出しとるじゃろうが!」
「便宜上、養子縁組しているだけかと」
「九年目にして知る、息子に親だと思われていなかったという衝撃の事実」
ラファエロは項垂れました。地味にショックです。
「だって、一貫して師匠と弟子の立場で過ごしているじゃないですか」
「それこそ便宜上、才能ある子どもを弟子にするために養子に迎えたとする方が、面倒がないからじゃ」
「ああ、独身男性が縁もゆかりも無い子どもを引き取ったら、性的虐待目的だと疑われるからですね」
修道女が太鼓判を押したとおり、ミカエルは幼い頃から際だった外見をしていました。
「善意なのに疑いの目を向けられるなんて、世知辛い世の中になったものじゃ」
「保護猫・犬の譲渡会も門前払いくらいましたしね」
二人が住む山岳地帯は僻地ですが、東部にも都会はあります。
先日、パウロが美容師時代に住んでいた町で開催された、譲渡会に足を運んだ師弟ですが、ラファエロが正直に申告書に記入したところ、係員に諦めるよう諭されたのでした。
「何度考えても納得いかん。自然溢れる一軒家なんて、ペットを飼うには理想的な環境じゃろうに」
「その他の条件が、壊滅的に動物を飼うのに不適格だったからですよ」
「なぬ!?」
「過去の飼育経験無し。高齢者。同居人は子どもが一人だけ。住所が田舎過ぎて、付近に獣医師がいない……」
いつものごとく若い姿をしていたラファエロだったので、係員は足腰の悪い本人の代わりに、親族の男性が来たと考えたのでした。
ミカエルに対しても、彼が年齢よりもしっかりしていることは、それなりの時間を共にしないとわかりません。
係員はまともな人物でしたので、会場に来ることすらできないご老人と、年端もいかないミカエルに持病や心に傷のある動物の面倒をみることができるとは考えませんでした。
むしろミカエルをヤングケアラーなのではと心配して、相談窓口を書いたメモを渡してきたくらいです。
「正直に書けと言われたから、そうしただけなのに……! ミカエルよ、この世には建前というものがある、幼いおぬしには欺瞞にみえるかもしれんが、物事を円滑に進めるためには必要な行為なんじゃ。というわけで、次回は外見年齢で申告しようと思う」
「この流れでそうもっていくとは、さすが師匠です。でも建前と虚偽申請は別物ですからね」
「……」
二人が話していると、ノックの音が響きました。




