姿なき呪い 2
「ほほいほいほい」
ラファエロが軽く指を振るうと、明らかに指の動きに連動していない複雑な魔法陣が宙に浮かび上がりました。
「ほれ。やってみい」
「その間抜けなかけ声も再現しないといけませんか?」
「言葉に悪意を感じる!」
「すみません。クソダサいかけ声に訂正します」
「言い直した方が悪化しとる!」
いつもの軽口ではなく本当に嫌だったようで、ミカエルは無言で魔法を展開しました。
「ううむ。修行の時は素直に魔法を使うのにのう」
高い魔力以外にもミカエルには魔法使いとしてのセンスがあります。
こまっしゃくれていますが根は勤勉なので、このまま成長すれば一流の魔法使いになるでしょう。
「どうして依頼時には、魔法を使おうとせんのじゃろうなあ」
「……必要ないからです」
「ぬお!? 聞こえとったんか」
「むしろこの距離で聞こえないはすがないでしょう。若作りを解除した師匠じゃあるまいし」
「のう、ミカエルさんや。今日はちょいと火力高くない? どうしたんじゃ。話聞くぞ」
いつもより言葉に棘がある気がします。
「気のせいです。被害妄想は認知症の始まりらしいですよ」
「いや、気のせいじゃない! 今ので確信したわい!」
修行そっちのけで二人が言い合っていると、玄関に取り付けた呼び鈴が鳴りました。
*
訪問者は立派な出で立ちの紳士でした。三十代後半ということですが、もっと若く見えます。
普段は上等なソファに座っているのでしょう。木枠にクッションを敷きつめただけのソファの座り心地が悪かったのか、僅かに顔を顰めると浅く腰掛け直しました。
「先日手紙を送ったロベルト・ボスコです。海辺の町で商会を営んでいます」
商売をしているだけあり、人前で喋るのに慣れている様子です。
「もしかしてボスコ商会の会長かの?」
「ええ、そうです! 我が国が誇る【不滅】の魔法使い様に存じていただいていたなんて、大変光栄です!」
ラファエロが商会の名を知っていたことに、ロベルトは大袈裟なくらい喜びました。
彼の依頼は、自分に呪いがかけられているか調べて欲しいとのことでした。
「地元の魔法使いにも依頼しましたが、なんの成果も出しませんでした。なので、ご高名なラファエロ様ならばと。どうかわたしをお救いください」
「困ったのう」
他の魔法使いが失敗しているのであれば、半人前のミカエルでは荷が重いかもしれません。
とはいえ最初からラファエロが依頼を請けてしまうのは得策ではありません。あくまで依頼は弟子の修行の一環、ラファエロはフォローするというスタンスが揺らいでしまいます。
一度例外ができれば、なし崩し的に本来であれば冒険者ギルドや国に陳情を出すべき難しい依頼を持ち込まれかねません。
「命が掛かっておりますので、報酬は惜しみません」
「そういう問題じゃないんじゃ。既にわしは引退した身、依頼をこなすのはあくまでこの子じゃ。それで構わんのなら引きうけよう」
商人相手に隙を見せると、簡単に丸め込まれてしまうのがわかっているので、ラファエロはいつもより強固な態度をとりました。
「いざとなったら、わしが代わりに」だの「弟子が主体じゃが、わしもサポートに入る」なんて言おうものなら、いいようにされてしまうでしょう。
「……ラファエロ様が同行されるのでしたら是非」
案の定ロベルトは条件を出してきました。
「話がまとまったようなので、状況を確認させてください。手紙に書かれていない内容や、手紙を出した後に変わったことはありましたか?」
なりゆきを見守っていたミカエルですが、ロベルトの同意を得たので、請負人として動き出しました。
「書いたとおりです。急に体調が悪くなるのに、魔法医も医師も健康だと診断する。恨み妬みを持たれやすい職業なので、呪詛の可能性も疑いましたが、鑑定魔法の結果は異常なし。教会で浄化の儀式をしてもらっても状況はかわら――」
話しているうちに腹が立ってきたのか、苛ついたような口調になっていたロベルトが急に黙り込んだと思うと、ソファに身を沈めました。
ただ背もたれに体を預けただけでなく、徐々に体が傾き最後には横になってしまいました。
「ロベルト殿? どうしたんじゃ?」
訝しんだラファエロに、ロベルトは欠伸で応えました。
「早起きして眠気が限界にきたのかのう」
「そんなわけないでしょう。その年齢でボケられると、リアクションに困るのでやめてください。どうみても不自然です」
「一言余計じゃ。これが噂に聞く反抗期かのう」
「ぼくは世界一師匠想いの弟子ですよ。酸素不足や脳の血流が低下した時にも欠伸が出ます。クペルティノ著『家庭の医学。何気ない行動に潜む危険』に書かれていました」
目を閉じたロベルトは苦しそうに顔を歪めています。汗で額に髪が張り付き、呼吸は正常ですが、脈が速くなっています。
「……この間のお肉屋さんに似ていますね」
ミカエルはテーブルに置かれていたお茶に砂糖壷の中身をぶちまけると、解けきれずドロドロになった砂糖をスプーンに掬い、ロベルトの口に突っ込みました。
一口、二口と続けるうちに、ぐったりしていた紳士は回復していきました。
*
「……うぅ、口の中が甘い。普通のお茶をいただいても?」
「構いませんが、ご自分がどんな状態だったか覚えていますか?」
「急に気持ち悪くなって……ああ、また汗でびっしょりだ。いつもこうなんだ」
ロベルトはうんざりした表情で、ハンカチで顔を拭きました。
「砂糖で回復したところをみると、低血糖だと思われますが、持病は無いんですよね」
「もちろん! 商人は健康第一だ。徹底的に検査したし、最近は食生活も気を遣っている」
「健康のために飲んでいる薬や、栄養剤はありますか?」
「そういうのは嫌いなので、余計なことはしていない」
「体に合わない薬や、食べ物は?」
「そんなものはない。やはり呪いだろうか?」
「この家に入れた時点で、現在身につけている物および、あなたを標的にした呪いはかけられていません」
結界が張られているので、呪詛を持ち込もうとしたら弾かれるのです。
「今日食べた物と、何時に食べたかを教えてください」
現在の時刻は昼前です。
たとえば日の出頃に朝ご飯を食べて、以降何も口にしていなければ健康体でも低血糖になる可能性は充分にあります。
「出発前――七の鐘が鳴る頃に、パンとサラダとフルーツとヨーグルト。ああ、ハーブティーも飲んだかな。道中に立ち寄った町で、御者と馬を休ませている間に十の鐘が鳴ったな。あの時、私も屋台で果実水と、ホロホロ鳥の串焼きを買って食べたんだ。一本のつもりで一人前を頼んだら、五本も渡されて驚いたよ」
ぼったくりではなく、この辺りではセット売りが基本です。肉は一口サイズですが、五本あればそれなりに腹が膨れます。
「残さず食べたんですよね」
「御者とは別行動していたし、まさか通りすがりの人間に押しつけるわけにはいかないからな」
森の中にある小屋に、時刻を知らせる教会の鐘の音は届きません。
ミカエルが、部屋に置かれている時計を確認すると針は正午を指していました。きっと麓の村では十二の鐘が鳴り響いていることでしょう。
「絶食状態で低血糖になったわけでもなさそうですね」
「低血糖とやらには、頭痛や悪夢も含まれているのか?」
「頭痛はありますが、悪夢はどうでしょう。不安になることがあるらしいので、その影響かもしれませんね」
口ではそう言ったものの、ミカエルは内心その可能性は低いと考えました。
「家や店に何か仕掛けられている可能性は?」
「否定できませんが、症状が出ているのはロベルトさんだけなんですよね」
「ああ。同居している家族も、店で働いている従業員にも影響はない」
「現場を見ないとなんとも言えませんが、たとえばロベルトさんだけが接触するようなものが呪物になっていたり、ロベルトさんだけが発動条件を満たしている可能性はあると思います」
「なんてことだ……うちの商会は今が正念場なんだ。どうか徹底的に調べてくれ」
ロベルトに懇願され、師弟はボスコ商会の本拠地がある港町へ向かうことになりました。
「ちちんぷいぷい」のノリ




