貧乳と暴行事件
激しい頭痛が引くとともに、視界がクリアになっていく。小鳥のさえずりが聞こえてきそうな朝の景色。そう、私はセーブ地点に戻ってきた。今日の昼頃、星野が身代金を取られるらしい。今からでも警察を呼びたいが、私もあまり警察が得意ではない。
さて、私は必要最低限のものを持つと、事務所をあとにした。
ホテルグラリムは、私が事務所を構えている神楽坂市の市内にあるそこそこいいホテルだ。そんなホテルのエントランスに彼女はいた。派手な髪色で、出るとこが出ている彼女に私はそっと近づいて声をかけた。
「こんにちは、星野凪さん」
私がそう声をかけると、彼女は肩をビクッと震わせて振り返った。
「お金は持ってきました!なので本は返してください!」
「落ち着いて、私は古書を盗んだ犯人ではないです。栂野探偵事務所の栂野刻と申します」
そう名刺を差し出すと、彼女は少し目を見開いて、おもむろに体を私から背けると、全力疾走で走り出した。
「はぁ…、はぁ…、な、なんで逃げるんですか…」
私は肩で息をしながら彼女の手首をつかむ。彼女は手首を振りほどこうと、腕をブンブン振り回してもがいている。というか、彼女はあんなに走ったのに息切れなどしてなく、今もこうして元気に腕を上下している。その体力があるなら、私立図書館より向いている職があると思うのだが。
「離して、ください」
腕を激しく振るのをやめた彼女がポツリと呟く。
「す、すまない。だが、君が逃げるのが良くないと私は…」
「あなたも、そうなんですか?」
はて、何の話かさっぱりだが、今の私は完全に彼女と初対面であり、彼女と接触したのは事件解決のためだけだ。変な誤解をされるのは心外だな。
「私は未来…、いえ、正確には別世界線の君から依頼を受けてここにやってきました」
「べ、別世界?それはユニークな言い訳ですね」
そうやってまた逃げようと体勢を整える彼女に私はあるキーワードをお見舞いすることにした。
「君は、貧乳だ」
そういった瞬間、私の顔面に鈍痛が走った。
「何言っとんじゃぼけぇぇぇぇ!」
そう叫ぶ彼女が、私の顔面を手に持ったバッグでフルスイングしたのであろう。バッグはその勢いで少し離れた位置のエントランスの床に転がっている。
「これは別世界線の君が私に教えてくれたキーワードだ。これでも信じられないのであれば、まだまだあるぞ。お前は貧乳に悩んでいて豊胸手術にも手を出そうとしている」
今度は私の背中に衝撃が走ったあと、腹の上に重いものがのしかかり、そこから何回も連続で私の顔面に鈍痛が加わる。
「警察、呼びましょうか?」
そう声を発したのはホテルのスタッフだった。案の定、女が男をタコ殴りにしているという状況は大騒ぎになり、私と星野は今スタッフルームにいる。
「ええ、呼んでください。この変態を逮捕してください!」
「お客様、おそらく逮捕されるのはあなたかと…」
私はスタッフからもらった氷で顔を冷やしながら、パイプ椅子に縮こまるように腰掛けている。
まだ顔がズキズキと痛む中、私はある重大なことに気づいた。
「お前、バッグはどうした?」
そう、彼女が持っていたはずの現金入りのバッグが消えている。
「………」
彼女はうつむいて沈黙した後に、顔を上げて私に見せた顔は、今日の青空よりも真っ青だった。




