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追放清掃係の復讐譚――魔王城に残された呪いは、全部俺の武器になった  作者: ビッグサム


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第2話 聖女の浄化は、床の汚れ一つ落とせない

 白い光が、黒く腐った。


 聖女ミリアの指先からこぼれた浄化の光は、床に触れた瞬間、音もなく濁った。


 白ではない。


 銀でもない。


 泥水みたいな灰色になり、それから黒い血の中へ溶けていった。


「……え?」


 ミリアの声が震えた。


 その声を聞いた瞬間、アレクが振り向く。


「ミリア?」


「い、今のは……」


 ミリアは自分の手を見た。


 白い指。


 白い法衣。


 白い聖印。


 いつも通りの聖女の姿。


 だが、足元だけが違っていた。


 白い靴の先に、黒い血が絡みついている。


 床の溝から、じわじわと湧き出していた。


 魔王の血ではない。


 もっと古い。


 もっと濃い。


 腐った死体と、呪いと、誰かが隠した罪が混ざったような血。


「何をしている、ミリア」


 アレクの声が低くなる。


「早く浄化しろ」


「しているわ」


「なら、なぜ広がっている」


 ミリアの肩が小さく跳ねた。


 彼女は黒い血よりも、アレクの視線を怖がっていた。


 呪いが怖いのではない。


 浄化できない姿を見られたことが、怖い。


「少し、性質が違うだけよ。魔王の残滓が濃いのかもしれないわ」


 彼女は無理に笑った。


 いつもの慈愛の笑み。


 王都の民衆に向ける顔。


 負傷兵の前で、手をかざす時の顔。


 誰かが苦しんでいても、自分が美しく見える角度だけは崩さない顔。


「大丈夫。私が浄化するわ」


 ミリアは両手を広げた。


 聖印が光る。


 白い円環が足元に生まれる。


「神よ、闇を祓い――」


 その言葉の途中で、黒い血が跳ねた。


 ぴしゃり、と。


 ミリアの白い法衣の裾に、小さな黒点がつく。


「ひっ」


 短い悲鳴。


 聖女らしくない声だった。


 黒い点は、布の上でじわりと広がった。


 染みではない。


 文字だ。


 黒い血が、法衣の上で細い線を作っていく。


【偽装浄化】


「な……に、これ」


 ミリアは慌てて裾を掴んだ。


 その文字を隠そうとする。


 隠す。


 まず、それだった。


 呪いを祓うより先に。


 仲間を守るより先に。


 自分の法衣に浮かんだ文字を、アレクたちから隠そうとした。


「ミリア」


 ロギアの声が静かに落ちる。


「その文字を見せろ」


「嫌よ」


 即答だった。


 言ってから、ミリア自身が青ざめた。


「違う、今のは……これは呪いの干渉よ。私の意思じゃないわ」


「見せろと言っている」


「嫌!」


 聖女の声が、宝物庫前に響いた。


 ガルドが舌打ちする。


「何を揉めてんだよ。たかが床の血だろうが」


 彼は大股で前に出た。


 黒い血を踏みつける。


「こんなもん、避けて進めばいい」


 その瞬間、床が笑った。


 いや。


 血が笑った。


 ぐぶ、と濡れた音がして、ガルドの足首に黒い血が絡みついた。


「あ?」


 ガルドが眉をひそめる。


 足を引こうとする。


 動かない。


「何だ、これ」


 もう一度、力を込める。


 床石が軋んだ。


 剣聖の脚力なら、普通の鎖くらい引きちぎれる。


 だが、黒い血は千切れない。


 むしろ、彼の足首から膝へ、膝から太腿へ、ぬるりと這い上がっていく。


「鬱陶しい!」


 ガルドは腰の大剣を抜いた。


 床ごと斬り払うつもりだった。


 だが、剣を握った右腕が動かなかった。


「……っ?」


 右腕の皮膚が、内側から盛り上がっている。


 血管が黒く浮く。


 筋肉が不自然に痙攣する。


 肘から手首にかけて、赤黒い線がいくつも走った。


 傷ではない。


 古い血痕だった。


 乾いているはずの血。


 もうこの世にいない者たちの血。


 それが、ガルドの腕に浮かび上がっていた。


「何だよ、これは……」


 ガルドの声に、初めて焦りが混じった。


 黒い血が囁く。


 声は小さい。


 だが、宝物庫前にいる全員に聞こえた。


 ――やめてください。


 ――降参します。


 ――俺は兵士じゃない。


 ――まだ子供が。


 ――痛い。


 ――殴らないで。


 ――剣聖様。


 ――どうか。


「黙れ!」


 ガルドが怒鳴った。


 腕を振るう。


 だが、大剣は振れない。


 右手の指が開かない。


 柄を握ったまま、固まっている。


 握っているのではない。


 掴まれていた。


 剣の柄から滲み出した黒い血が、ガルドの指に絡みついている。


「ふざけるな!」


 ガルドが左手で右腕を掴んだ。


 その瞬間、右腕に浮いた血痕が一斉に脈打つ。


「ぐ、ああああっ!」


 ガルドが膝をついた。


 剣聖が。


 勇者パーティの前衛。


 魔王の近衛を斬り伏せた男。


 弱者を見下し、殴り、踏み、笑ってきた男。


 その男が、床の血に膝をついた。


「ガルド!」


 アレクが叫ぶ。


「何をしている! 立て!」


「立てねえんだよ!」


 ガルドは怒鳴り返した。


 だが、その声は強くない。


 痛みに潰れていた。


「この血が……この腕が、勝手に……!」


「ミリア、浄化しろ!」


 アレクが怒鳴る。


 ミリアは肩を震わせる。


「分かっているわ!」


 彼女は再び聖印を掲げた。


 今度はガルドの腕へ向ける。


「神の光よ、穢れを――」


 白い光が伸びた。


 だが、ガルドの腕に触れた瞬間、光は黒い煙を上げて腐った。


 じゅう、と嫌な音。


 肉が焼ける音に似ていた。


「ぎゃああああっ!」


 ガルドが悲鳴を上げた。


「ミリア! てめえ、何しやがる!」


「違う、私は浄化を――」


「痛えんだよ!」


「そんなはずないわ! 私の浄化は聖なる光で――」


 ミリアの言葉を、黒い血が遮った。


 床の上に、文字が浮かぶ。


【浄化記録照合中】


【対象:聖女ミリア】


【判定:不一致】


【実処理者:記録復元中】


「やめて……」


 ミリアの唇から、細い声が漏れた。


「やめて。表示しないで」


 彼女は黒い床へ手を伸ばし、必死に文字を擦ろうとした。


 聖女が。


 床を。


 自分の手で。


 だが、消えない。


 黒い血で書かれた文字は、彼女の白い指の下からさらに濃く浮かび上がる。


【実処理者:レ――】


「やめてよ!」


 ミリアが叫んだ。


 その声は、もう聖女のものではなかった。


 自分の嘘が暴かれかけた女の声だった。


「こんなの、嘘よ! 呪いが見せているだけ! 私が浄化したの! 私が、私が聖女なの!」


 アレクは黙っていた。


 ガルドは腕を押さえて呻いている。


 ロギアは、床の文字を見ていた。


 ひどく静かな目で。


 恐怖ではない。


 興奮でもない。


 計算だ。


「……ありえない」


 ロギアが呟く。


「記録ではない。穢れそのものに刻まれた痕跡を、表層化しているのか」


「ロギア!」


 アレクが苛立った声を出す。


「分析は後だ。脱出方法を探せ」


「分かっている」


 ロギアは杖を構えた。


 黒い血を避けるように、床へ魔法陣を描く。


 細い青い線が石畳の上を走った。


 幾何学模様。


 転移準備式。


 さすがに速い。


 ロギアは危険な男だ。


 この中で一番、状況を正しく見ようとしている。


 だが。


 今の魔王城で、床に線を引く意味を、まだ分かっていない。


 床はもう、レイヴのものだ。


 魔法陣の線へ、黒い手が伸びた。


 血の中から生えた、小さな手。


 人間の手ではない。


 死者の指。


 怨念の爪。


 それが、ロギアの描いた青い線を、そっと撫でた。


 拭き取るように。


 雑巾で汚れを消すように。


 青い線が消えた。


「……っ!」


 ロギアの顔色が変わった。


 もう一度描く。


 別の式。


 今度は立体展開。


 杖の先に浮かぶ魔法陣。


 黒い手は床から伸び、空中に届いた。


 そして、また線を拭った。


 消える。


 ロギアの術式が、構築される前に消える。


「術式干渉ではない」


 ロギアが低く言う。


「分解でもない。これは……消去だ。いや、清掃か」


 その言葉に、アレクが反応した。


「清掃?」


 ロギアは答えない。


 代わりに、床の黒い血を見た。


 それから、廃棄口を見た。


 レイヴを落とした穴を。


「まさか」


 その一言は、小さかった。


 だが、アレクには届いた。


「何だ、ロギア。何がまさかだ」


「アレク」


 ロギアの声は、いつもよりわずかに硬かった。


「我々は、あの男の能力を見誤っていた可能性がある」


「あの男?」


「レイヴ・クロウリーだ」


 その名が出た瞬間、ミリアが顔を上げた。


 ガルドが歯を食いしばる。


 アレクの眉間に皺が寄った。


「死んだだろう」


「落としただけだ」


「聖剣で刺した」


「即死は確認していない」


「ロギア」


 アレクの声が冷える。


「くだらないことを言うな。あいつは清掃係だぞ」


 その言葉に、床が震えた。


 黒い血が一斉に泡立つ。


 まるで、その言葉を聞いて笑ったように。


「清掃係だ」


 アレクは聖剣を握り直した。


「床を拭くしか能のない雑用だ。魔王を討った俺たちが、あんな男のせいで足止めされるはずがない」


 彼は宝物庫の扉へ向かった。


 黒金の巨大な扉。


 魔王の紋章。


 アレクは聖剣を構える。


「どけ」


 聖剣が白く輝く。


 勇者の証。


 王国神殿が授けた聖なる刃。


 魔王を討った剣。


 その輝きだけは、確かに強かった。


 アレクは床を蹴る。


 一閃。


 聖剣が扉に叩きつけられた。


 金属音。


 火花。


 白い光。


 だが、扉は開かなかった。


 傷一つ、ついていない。


「……は?」


 アレクの顔から笑みが消えた。


 もう一度斬る。


 二度。


 三度。


 聖剣の光が宝物庫前を照らす。


 だが、扉はそこにある。


 冷たく。


 重く。


 まるで、勇者など最初から相手にしていないように。


「なぜだ!」


 アレクが叫んだ。


「俺は魔王を斬ったんだぞ!」


 聖剣が震えた。


 刃の白光の奥に、細い黒筋が走る。


 傷にも、汚れにも見えた。


 一瞬だけだ。


 だがロギアだけが、それを見た。


「……聖剣まで」


「何か言ったか!」


「いや」


 ロギアは口を閉じた。


 黒い血が扉を這う。


 魔王の紋章の下に、新しい文字が浮かんだ。


【管理者権限により封鎖】


【対象者:勇者アレク】


【状態:清掃対象】


「清掃……対象?」


 アレクが呟く。


 その横で、床の別の場所にも文字が浮かぶ。


【対象者:聖女ミリア】


【状態:清掃対象】


【対象者:剣聖ガルド】


【状態:清掃対象】


【対象者:賢者ロギア】


【状態:清掃対象】


 四人分。


 黒い文字が、床に並ぶ。


 ミリアの唇が震えた。


「いや……いやよ。清掃対象って何。私は聖女よ。汚れてなんか……」


 彼女の法衣の裾で、さっきの文字がまた滲む。


【偽装浄化】


「違う!」


 ミリアが叫ぶ。


 ガルドは腕を押さえて立ち上がろうとする。


「ふざけやがって……誰が対象だ。誰が汚れてるだと……!」


 その腕から、また声が漏れた。


 ――痛い。


 ――やめて。


 ――剣聖様。


 ――どうか。


「黙れ!」


 ガルドは自分の腕を床に叩きつけた。


 だが、血の声は消えない。


 ロギアは四人分の文字を見ていた。


 その額に、一筋だけ汗が流れる。


「管理者権限」


 彼は呟いた。


「魔王城が、我々を敵ではなく汚染物として認識している」


「何だと?」


「つまり、戦闘対象ではない」


 ロギアはゆっくりと言った。


「処理対象だ」


 その言葉が落ちた瞬間、宝物庫前の空気が変わった。


 勝者だったはずの四人が、初めて理解した。


 自分たちは魔王城を制圧していない。


 閉じ込められている。


 そして、この城はもう、自分たちを人間として見ていない。


 汚れとして見ている。


 床の黒い血が、廃棄口の方へ流れた。


 あの穴。


 レイヴを落とした穴。


 そこから、音がした。


 ぬちゃり。


 濡れた足音。


 一歩。


 また一歩。


 誰かが、下から上がってくる。


 ミリアが息を止めた。


「嘘……」


 ガルドの顔が引きつる。


「まさか」


 ロギアは杖を握り直した。


 アレクだけが、怒りで顔を歪める。


「出てこい」


 彼は聖剣を構えた。


「何者だ」


 黒い血が盛り上がる。


 廃棄口の縁から、黒い布が伸びた。


 雑巾だった。


 ただし、もう使い古しの灰色ではない。


 夜より黒い。


 血より深い。


 罪を吸った布。


 その布が床を撫でると、黒い血が静かに道を開けた。


 そして、男が現れた。


 背中を刺されたはずの男。


 地下へ捨てられたはずの男。


 死体として扱われたはずの男。


 レイヴ・クロウリー。


 彼は、黒い雑巾を片手に持っていた。


 血で濡れているのに、不思議と雫は落ちない。


 全部、布の中へ吸い込まれている。


 顔色は悪い。


 傷の跡も残っている。


 だが、立っていた。


 目だけが、前とは違っていた。


 低く、冷たく、底のない黒。


「……レイヴ」


 ミリアが名前を呼んだ。


 今度は、恐怖で。


 レイヴは彼女を見なかった。


 アレクが叫ぶ。


「生きていたのか、清掃係!」


 その言葉に、レイヴの口元がわずかに歪んだ。


「今さら、まだその呼び方か」


「貴様、何をした!」


「掃除だよ」


 レイヴは静かに言った。


 声は荒くない。


 だが、玉座の間の叫びより重かった。


「俺がいないと、床も拭けないのか」


 ミリアの顔が歪む。


 ガルドが吠える。


「てめえ……!」


 レイヴはゆっくり視線を動かした。


 アレクではない。


 ミリアでもない。


 ロギアでもない。


 ガルドを見た。


 剣聖ガルド。


 かつて、何度もレイヴを殴った男。


 床に這いつくばる清掃係を笑い、靴の汚れを拭かせた男。


 弱者を斬り、踏み、暴力を鍛錬と呼んだ男。


 その腕には、まだ赤黒い血痕が浮かんでいる。


 レイヴは黒雑巾を軽く握った。


 布が、濡れた獣の舌のように床へ伸びる。


「まずは、お前からだ」


 ガルドの腕に浮いた血痕が、一斉に笑った。



---


現在のステータス

名前レイヴ・クロウリー

立場元・勇者パーティ清掃係/魔王城新管理者

スキル《穢れ喰い》

装備《黒雑巾》

支配権限魔王城の地下廃棄層・宝物庫前結界・血紋罠・封鎖扉・簡易清掃判定

復讐対象勇者アレク、聖女ミリア、剣聖ガルド、賢者ロギア、王国神殿

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