第5話 一時の休暇
彼これ二十分くらい経って、リンゴの入った木箱は空になった。合計二十六個のリンゴを剥き終えると、それを保冷庫にしまった。
それからダイニングへと戻り、イゼルダさんと一緒にリンゴとコーヒーをいただいた。
「……うまい」
シャキッと心地よい音が響き、甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がった。これは美味い。何個も食べたくなる美味しさだ。
「だろう? だから、こうやって毎年仕入れてるんだ」
コーヒーも淹れたてだからか、香りが豊かでコクがある。こんな美味いものを飲んだのは数年ぶりだ。
「こんな俺に色々と親切にしてくれてありがとうございます」
俺が感謝の言葉を述べると、イゼルダさんは一瞬 キョトンとした顔をしたが、すぐに口元を緩めた。
「青年、お前の過去がどうだったかを私は知らない。でも、今のお前はいい人間だ」
「……」
「このリンゴが美味いのは何十年と変わらない。だが、今年は今までと違ったことがあったんだ」
「違ったこと……ですか?」
違ったこと……何だろう? 手を切ってしまったことだろうか? 首を傾げる俺を見て、イゼルダさんはゆっくりと続けた。
「お前は私が依頼書に依頼完了のサインをした後に
リンゴをどこに運べばいいかを聞いてきたな? 私は何十年とギルドに依頼してリンゴを運んできてもらっているが、こんなことは初めてだった」
「そうなんですか。俺はてっきり手を切ってしまったこととか、だと思ってました」
「ああ……うん。リンゴの皮むきで手を切ったのは初めてだな……。あと、老眼鏡を踏んづけて潰してしまったのも初めてだ……今年は色々あったな」
イゼルダさんは苦笑する。尖った耳がほんのり赤みを帯びる。
「リンゴを運ぼうとしたのは、どうせ荷物を持って降ろすなら、都合のいい場所に置いたほうがいいかなと思っただけなんですけど……」
「他の冒険者はそのまま家の前に置いていく。賃金もそこまで高くない上、依頼はあくまで『この住所まで荷物を届けること』だからな」
なるほど。依頼以上のことはしない……か。確かに冒険者には、他に行き場をなくした、金銭的にも精神的にも追い詰められた者たちが多い。だから報酬以上のことなんて誰もやりたがらないのだろう。
だが、ほんの十分程度、階段を何往復かするくらいで終わるのに……。同じ冒険者として少し恥ずかしい気分だ。
「他の冒険者がケチすぎるだけなんじゃないですかね?」
「ははっ。そうか? まあ、だが、それでいい。真の善人とは自分が善人だと気づかないものだからな」
そうやって何気ない会話をしながらリンゴを頬張る、落ち着いた時間がゆっくりと流れていく。
「もうそろそろ、御暇します」
「急ぐのか?」
リンゴを食べ終え、しばらくして俺は席を立った。イゼルダさんがそこに声を掛ける。
「いえ、夕方、ここの城門が閉まる時間までに出れれば大丈夫なので時間的にはまだ余裕があります」
「そうか、じゃあ、これをやる。デレツィアが初めてなら、少し見ていくといい」
イゼルダさんは、折りたたまれた紙を机の上に広げる。大きな地図だ。
「少し古いものだが、使えるはずだ」
イゼルダさんは他にも、帰りのお供にとリンゴを二十個ほど持たせてくれた。久々にゆっくりできる時間を過ごすことができた。イゼルダさんには何から何まで感謝しかない。
丁重にお礼を言って、玄関を出る。すると、階段を降りる背中に、イゼルダさんの声が掛けられた。
「青年。私は見ての通り、エルフだ。それもかなりの長命のな。人間の何倍、いや十数倍もの時を生き、数え切れないほどの人間と出会い、関わりを持ってきた」
唐突に放たれた言葉に少し困惑する。
「……青年。お前は良い奴だ」
「ありがとうございます」
「おい、さらっと流すな。……私は人を見る目には自信がある。これから先も他人はお前を蔑み拒むかもしれない。だが、お前のことを認める者もいる。それだけは覚えておいてほしい」
イゼルダさんは組んでいた腕を解いて、俺の方を指差す。
「人は否定され続けると、次第にそれを受け入れるようになる」
「……」
「そして、自分というものは間違っている、否定されるべきものだと、いつしか思い込むようになる。それがどれだけ理不尽で、道理に合わないものだったとしても」
イゼルダさんの美しい碧眼が俺の目を見つめる。
「そういう人間はいざとなった時、何もできなくなる。……否定した他人のことも、否定された自分自身のことも信じられなくなるからだ。だが、青年、少なくとも今のお前はいい人間だ。だから、いざという時は自分を信じてやればいい」
「……どうして、過去の俺を知らないのに、そこまで言えるんですか?」
当然の疑問だった。イゼルダさんと出会ってまだ三時間くらいしか経っていない。そこまで言い切れる理由も、そんな言葉をかけてくれる義理も、イゼルダさんにはない。
「言っているだろう? 私は人を見る目があるんだ。それにお前はかつての友人に目が似ている。信念のある透き通った目だ。だから、私は確信をもって言っている」
ふっと、イゼルダさんは視線を少しだけ遠くに投げた。その横顔には、どこか諦観の混じった色が浮かんでいる。
「それに、お前みたいな人間の未来がくだらない争いによって潰えることもまた多く見てきた。それも大層勿体ないことだと思っているのでな」
「……ははっ。よくわかりません」
「だろうな。お前も長く生きると、そのうち分かるようになるかもな」
「……でも、ありがとうございます。少し気分が晴れたような気がします」
そして、俺は最後にお辞儀をして、イゼルダさんの家を後にした。
「少し、見ていくか」
心なしか、気持ちは晴れやかだった。普段ならそのまま帰るところだが、少しばかり街を見て回ろうという気持ちになった。
観光か。冒険者になってから、西方諸国を中心に色んな町や村へ訪れたが、これまでそんなことをしようだなんて、考えても見なかった。それほど金銭的にも精神的にも余裕がなかったということなんだろう。
気づけば、俺はいつもより軽い足取りでデレツィアの石畳の上を歩いていた。
「いっらっしゃーい」
店先に立つ商売人たちの声が響く。
この通りは西三番通りから一本奥に入った少し小さめな道だが、それでも両脇には色鮮やかな看板を掲げた店がずらりと並び、香ばしい匂いや呼び込みの声があちこちから飛び交わされ、活気に満ちている。
「えーと……」
まあ、こういう所で買い物というのもありなんだろうが、金の無駄遣いはできない。精神的余裕ができても、金銭的余裕は依然としてない。金が掛からず楽しめるものがいいな。
「ここは……」
イゼルダさんの地図によれば、今いる通りから二本奥に入った所に教会があるようだ。建物が一際大きく描かれてるし、この辺りのシンボル的な場所なんだろう。見に行ってみるか。見るだけなら、金は掛からない。
路地を見つけて、教会の方へと向かう。だが、奥へ奥へと進むにつれ、人数は少なくなり、辺りは静けさに包まれていく。
周りの家々もツタが生え、生活感もなくなっていく。
「本当にこっちで合ってるんだよな……」
道を間違えたのではないかと、もう一度地図を開き見る。しかし、イゼルダさんの家とさっきの通りからして、この方向で間違いはなかった。不安になりつつも、自分を信じて歩みを進める。
「おお……」
しばらく歩いて路地を抜けると、空に向かってそびえ立つ尖塔が特徴的な聖堂が姿を現した。しかし、往時は美しかったであろう白壁は長い年月を経てくすみ、ツタで覆われていて、正面の大きな木戸は鉄格子で封鎖されている。
この教会が使われていないということは余所者の俺から見ても、一目瞭然だった。この状態は数年で形成されるものじゃない。何十もの年月を経て至るものだ。
「一体いつの地図なんだよ……これ」
イゼルダさん……『少し古い』なんてレベルじゃないような気がするんですけど。
周りは閑散としていて、人っ子一人の姿もない。先ほど通りの賑わいを見たからか、この静けさが少し不気味に思えた。
「仕方ない……他の場所を探すか……」
俺は落胆しつつ、再び地図を開いて近くに別の名所旧跡がないかを探す。まあ、ここもある意味、"旧跡"なのかもしれないが、期待していたのはこういうのじゃない。
良さげな所はいくつかあるが、どれも少し遠いな……。まあ、でも折角地図も貰ったんだ。少なくとも一箇所くらいは見てから帰りたい。
「ブレイド・ライデンシャフトね」
ふいに背後から俺の名前を呼ぶ声が聞こえたのはまさにそんな時だった。
ここからブレイドの人生の狂った歯車が動き出します!
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