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第26話 隠し事

「ぐわっ!」


 剣先が男の背中を撫でる。

 メイゲンさんと別れた後、地下へと俺は向かった。

 窓から差し込む月光もなくなり、ただ廊下に一定間隔に吊り下げられたランプだけが、頼りない光を供している。


「これは……」


 廊下の突き当りに頑丈そうな鉄扉があった。他は木製の扉であるから、ここだけが異様な雰囲気を放っている。


「ッ……」


 鉄扉に耳を当てると微かに奥からすすり泣くような声が聞こえた。間違いない。ブルージュはここにいる。


爆火の斬撃(ディナ グランバー)!」


 剣先で扉の錠鍵を叩く。高温の炎と爆発で、金属製の錠鍵はパキンという音を立てて砕けた。

 扉を蹴破って、ネズミが跋扈ばっこする薄汚い廊下を進む。


「これは……」


 暗い廊下の両側には鉄格子で区画された牢屋が連なっていた。

 すすり泣く声のする牢を見ると、青髪の少女が膝をついていた。見覚えのあるその風貌。


「ブルージュ!」


 俺の声に反応して、少女はゆっくりとこちらを見る。昨日見た元気な笑顔はそこにはなく、ただ怯えた顔で瞳を震わせている。


「……ブレイド兄ちゃん?」

「そうだ。ブレイドだ! 今出してあげるから、少し下っているんだ」


 ブルージュが、こくっと頷いて退いたのを確認して、炎魔法で再び鍵を破壊した。


「もう大丈夫だ。……ッ!」

「なに……?」


 大きな音と共に、振動が走った。天井から埃がこぼれ落ちる。このまま地下に留まるのは危険かもしれない。


「早くここから逃げよう」


 


 

 ブレイドは、ブルージュを背負って、来た道を戻る。階段を駆け上がり、暗がりの廊下を突き進む。

 

 もうすぐ出口――その時だった。


「何だ!?」


 またしても大きな振動が建物を揺らした。だが、先程のものとは様子が違う。


「近い……っ!!」


 咆哮と共に"何か"が壁を破壊して飛び出し、そのままブレイドたちを吹き飛ばした。ブレイドは咄嗟にブルージュを庇い、手の中に抱きかかえたが、そのまま壁を突き破って、外へと放り出された。

 見ると五メートルを超える巨体。人型ではあるが、皮膚は赤黒く変色し、目は真っ赤で、その屈強な巨体も相まって怪物のようだ。

 

 怪物の真紅の目がブレイドを捉えた。


「……見ツケタァァァ! 死ネェ!!」


 怪物は狂気的な笑みを浮かべ、ブレイドの方へと一直線に向かってきた。


「ッ!」


 ブレイドは即座に剣を抜き放ち、怪物の拳を受ける。


「ブルージュ! 逃げろ!!」


 しかし、ブルージュは腰を抜かしてしまったのか、その場に座り込み、ただ目の前の化け物に怯えて身体を震わせている。

 ブレイドが身体全身で押しても、怪物の拳はビクともしない。それどころか、ブレイドの方が押されている。相手の攻撃を跳ね返し、体勢を立て直すこともできない。炎魔法も使えない――ブルージュが近すぎるのだ。


(このままじゃあ、押し切られる……!)

 

 ブレイドの額に焦燥の汗が垂れる。


「フハ! フハハッ!! コレガ俺ノ力ダ! 俺ヲシイタゲタ奴ラヲ誅スル鉄槌ダ!!」


 激情に歪んだ顔に不気味な笑みが浮かぶ。ブレイドの剣先はもう眼前にまで押されていた。


(もうこれ以上は……!)

  

「っ!?」

 

 刹那、不意に風が頬をなでた。

 上を見上げると、建物の屋上からヴェルが顔を覗かせていた。

 

 一瞬、ブレイドと目が合う。

 すると、ヴェルは口元を引き結び、そのまま柵を蹴った。

 頭から真っ逆さまに落ちながら、ヴェルは両手を広げる――獲物を狙う鷹のように、一直線に怪物の頭上目掛けて降下する。


「ブレイド、伏せて!」

 

 ヴェルはそう言うと、そっと目を閉じた。

 叫ぼうとしたブレイドの目の前で、ヴェルの姿がふっと掻き消える。彼女を包み込んだ黒霧は、そのまま怪物の頭上へと流れ込み――次の瞬間、跡形もなく霧散した。

 

「グワアアア! ヤメロ! ヤメロオオオ!! バケモノガ、ヤメロ! コ、コンナトコロデ……!!」


 次の瞬間、怪物は何かに藻掻き苦しむように悲鳴を上げた。背後からはヴェルを飲み込んだものと同じ黒い霧が――まるで怪物の身体を蝕むかのように――蠢いている。


「まずいっ!」


 ブレイドが危険は察知して、ブルージュを抱き込む。

 地面に伏せた瞬間、爆鳴が響いた。血袋が弾け飛ぶ生々しい音と共に、怪物の身体だったものが辺り一面にぶちまけられる。

 

 地面には大きな血だまりができ、ブレイドの足元まで及んだ。


「な、なんだ……?」


 ブレイドが事態を把握するために立ち上がり、辺りを見回すと、ヴェルが血溜まりの中に一人立っていた。血に塗れた姿で視線を落とすその顔は、氷のように冷たく、それでいてひどく物憂げだった。


「……」


 その姿を見て、ブレイドは息を呑んだまま絶句した。この惨状を今、目の前にいる少女が作り出したということへの驚きと、彼女の力に対する疑念がブレイドの声を奪った。


(あれは……)


 青い双眸がブレイドを一瞥した。


「……だ、大丈夫か?」


 ブレイドは動揺する自分を律し、声を絞り出す。毅然きぜんを装ったつもりだったが、その声は震えていた。


「私はまだやらなきゃいけないことがあるから。……ブルージュのことはよろしくね」


 ブレイドの問いかけに答えることもなく、ヴェルは血なまぐさい空気の中に姿を消した。

 ブレイドはブルージュの方へと目を遣る。ぐったりとして、反応はない。気絶しているようだった。だが、この惨状と鼻につく血肉の臭いは子供には酷だ。気絶していてくれて、よかったのかもしれない、とブレイドは思った。


「ヴェル……」


 ブレイドは再びヴェルが去った方を見て、低く声を震わせた。

 黒い霧、突如姿を消したヴェル、一瞬の内に弾け飛んだ怪物――その全てにおいて、魔力を感じ取れなかった。

 ブレイドはほとんど確信に近い疑念を抱き、拳をギュッと握りしめた。

ヴェルは屋上から飛び降り、怪物を瞬殺した。しかし、その体からは魔力を感じられなかった。ブレイドは自らを助けてくれたヴェルに複雑な感情を抱く。


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