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第23話 過去

「それってあの男が使った……」


 ダランが木箱を持ってくると、ミュールが目を少し見開いた。

 

「ああ。道化師ナルに一本やったな」

「まさか、"依頼"ってのはこれのことかい?」

「ああ。これを使って暴れて、情報局がどう動くかを見たいらしい。まったく、あいつは何を考えているのやら」

「それで、あの男に好き放題やらせてたって事さね……」

「お前も使うか?」


 ダランは木箱の蓋を開けて、ミュールに中を見せる。中には真っ赤な液体が入ったガラス製の注射器が二本入っている。元は三本あったが、一本は道化師ナルが使った。

 

「アタイは遠慮しておくよ。副作用がなくはないんだろ?」

「人格や人体に悪影響が出ることもある、とは言っていたな」


 だが、ダラン自身もあまり詳しいことは知らなかった。切り札となりうる強力な力――そう説明されただけだった。ミュールは副作用を恐れて使おうとしないが、実際に使用した道化師ナルにはそういった悪影響は見られなかった。人格に問題があるのは元からだし、むしろ『手から力がみなぎってくる』とはしゃいでいた。

 何らかの力が得られるのは確かだ。ダランも最終作戦の際に使用するつもりでいた。

 

「それに、使った所で情報局の奴らと正面から殺り合っても勝てないって証明されたようなものさね」

「……だが、人によって現れる効果は大きく異なるらしい。俺は最後の賭けとして取っておくとしよう」


 ダランはゆっくりと木箱の蓋を閉め、ロープで巻く。


「……?」


 廊下の方から足音が聞こえる。バタバタと慌ただしい音。刹那、仲間の男がノックもせず、慌てた様子で部屋に入ってきた。


「ボス……! あ、ミュールさんも」

「何があった!」

「し、侵入者です!」

「人数は!?」

「現時点で確認できているのは二名です!」


 ダランの眉の皺が一段と深くなる。


「予想よりも早いね」

「……早く証拠を」


 ダランは、手元の木箱と机上に置かれた数枚の書類に目を遣る。書類にはガリウスから提供された武器のリストが記されている。武器は地下の倉庫に隠してある。

 

(こいつらをどうするか)


 ――処分するか、持ち去るか。しかし、ここで処分してしまえば、これまでの努力が水の泡だ。まだ"復讐"も終わっていない。だが、持ち出すのにはそれ相応に時間がかかる。

 

「ミュール……」


 ダランは言葉を途中で止めた。

 奴らを食い止めろ――その言葉が、彼女に死を命じるに等しいことを理解していたからだ。ダランは別に正義のヒーローではない。仲間の一人や二人を肉壁にして、逃げても問題はない。だが、かつての命の恩人を、何かと世話を焼いてくれていた女を、見殺しにすることに躊躇いが生じた。 

 元々、ミュールの戦闘力は道化師ナルには劣る。エーテルで少なからず強化された道化師ナルが奴らに負けたのだとすると、ミュールが奴らに勝てる可能性はないに等しい。そして彼女自身が最もその事を理解しているはずだ。 

 たった一人で対峙せよ――それがミュールにとってどれほど無謀で、残酷な役目であるか。だから、ダランは言葉を出せなかった。

 ミュールは、葛藤に表情を歪ませるダランを見て一笑した。


「わかってるさね。アタシが足止めをしといてやる。とっととやることやってきな」

「すまない……」


 ダランは奥歯を噛み締める。今は感傷に浸る時間さえ惜しい。ダランは苦い気持ちを押し殺つつ、木箱を手に取り、その場を後にした。


◆◆◆


「……これでここは制圧できましたね」

「ええ。予想以上に順調でございます。ブレイド様の剣技を初めて近くで拝見いたしましたが、やはり素晴らしい。この目で拝見できたこと、誠に嬉しく思います」

「いえいえ。まだまだです。メイゲンさんこそ、お強いんですね。"大尉"ということはやはり軍歴が?」


 ヴェルがメイゲンさんのことを「大尉」と呼んでいたのを思い出し、俺は尋ねた。


「ええ。八年前に退役しましたが、それまでは共和国軍で三十六年間、軍人をやっておりました」

「三十六年もですか!?」


 とんでもない古参兵じゃないか。確かに、あのキレのある体術は数年で身につくものじゃない。厳しい鍛錬を欠かさず繰り返した者の、磨き上げられた技だ。


「はは。もう昔の話です。今は何もない老骨でございます」


 メイゲンさんは微笑して、そのまま歩みを進めた。

 一階の入口から、そのまま廊下を奥へと進む。窓から微かに差し込む月光が、行く先をうっすらと照らす。

 

 ふと横に顔を向けると、メイゲンさんが俺の剣をじっと見ていることに気づいた。

 

「どうかしましたか?」

「いえ、炎魔法をお使いにならないのはどうしてかと気になりまして。申し訳ありません。私、魔法には疎くございまして」


 魔力は有限だ。少しずつでも使っていけば、次第に少なくなっていく。使わなくて済む時はなるべく使わずに、使うべき所で最大限に使えるよう温存しておくのが最善だ。

 しかし、魔法を使わない人からしたら、どうして強い技があるのに出し惜しみするのか、と思えてしまうのだろう。

 

「威力の少ない魔法でも、魔力は減ってしまうので、できるだけ使わないようにしているんです」

「魔力というものは、すぐには回復しないのですか?」

「ええ。まあ、何時間も掛かるわけではないんですが、いつ強敵が出てくるか分からないので。言ってしまえば保険ですね」

「いざという時に備えて、ということですか。なるほど。勉強になります」


 メイゲンさんは顎に手を当て、感心したように頷いた。

  

「俺からもいいですか? メイゲンさんは、いつもは裏方をやっていると言ってましたが、なぜ今回は戦闘にも参加を?」

「そうですね。初任務のブレイド様を支える、というのが表向きの理由ですが、少し過去の清算をと思いまして……」


 メイゲンさんはそう言って、視線を落とした。

 常に落ち着きを保っていたその目が一瞬、揺れたような気がした。


「かつての部下が、おそらくここにいるのです」

「……捕まっている、ということですか?」

「いいえ。『革命の闇』の構成員として、です」

「……」


 重苦しい沈黙が、冷たい廊下の空気をさらに冷え込ませる。


「……彼女は誰よりも優秀で、誰よりも正義感の強い人間でした。ゆえに歪んだ現実に耐えられず、曲がってしまった」


 メイゲンさんは独り言のようにそっと呟いた。

 

「……なぜその部下がここにいると?」

義士官ミスクディートという名を使う者がいたことは覚えていますか?」


 義士官ミスクディート……。確か、ヴェルが道化師ナルとかと一緒に名前を出していた。俺はコクリと首を縦に振った。


義士官ミスクディートは、共和国軍の軍服を着た女だということが分かっています」

「ですが、それだけでは……」

「私も最初は疑いました。しかし、奴の過去の犯行履歴を調べたところ、警察や軍に対する襲撃、政府高官の子息の拉致など、その全てが反体制的なものばかりでした。目撃情報などを集めてみても、彼女の特徴と似ていたのです」


 メイゲンさんは眉間にシワを寄せ、重い吐息を漏らした。

 

「それに、殺された軍人や警察官は皆、両目をくり抜かれ、刃物や銃器を喉元に突き立てたような状態で発見されています」


 うっ。想像しただけでも、気分が悪い。猟奇的なようにも思えるが、何かメッセージが込められているような気がする。


「……ただの殺しではないということですか?」

「ええ。まるで『盲目的に上に従い、"正義"を行使する人間を処刑する』と言っているような殺り方です。自らの信じる正義を示すためなら、手段を厭わない、愚直とも言うべき残忍さ……それで私は確信したのです。義士官ミスクディートは"彼女"である、と」


 メイゲンさんの顔は怒っているというよりも、どこか物憂げで、心苦しそうだった。


「……ですが、それはメイゲンさんのせいではないのではないですか?」

「いいえ。私はかつて彼女から抗議を受けたことがありました。しかし、当時の私はかたくなで、彼女の話を無碍むげに切り捨ててしまった。今でも思うのです。あの時、彼女ともう少し真摯に向き合っていれば、何か変わっていたのかも知れないと」

「……」

「と、老人の昔語りはここまでです」


 メイゲンさんが正面を見据える。危険を察知したかのような老いた虎の鋭い眼光。

 その視線の先には、暗がりに浮かび上がった影が二つ。どちらも小柄で、裾の広がったスカートのようなものを身に纏っているようだった。

情報局の襲来に備えるダランたち。一方、ブレイドは地上からの侵入を行う。しかし、ブレイドと行動を共にするメイゲンの顔はどこかもの憂げで……


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