第13話 脱出
それは震えだった。身も心も震えるような感覚。それを目にした時、感じたのはそれだけだった。怒りも悲しみも発する言葉もない、そんな状態だった。
この街の防衛の要が――安全と秩序の象徴が一人の男によって一撃で焼滅したのである。真紅の炎と、周囲の塵を一気に吹き飛ばすほどの衝撃波によって。
数秒経って、心の奥底で、感情が芽生えた。怒りという感情。ぽっとマッチの火のようについたその感情は瞬く間に増長した。まるで紙や木材に引火した火のように留まることなく、広がり続ける。
――感情がコントロールできない。
小さい頃から苦労や研鑽を重ね、若くしてデレツィア騎士団警備大隊の長にまで登りつめたエリートである彼女にとって、それは初めての経験だった。
いくら強くても、いくら頭が良くても、感情を抑えられない人間など、騎士団にはいらない。それが騎士養成学校で始めに受ける訓示であり、ラフィア自身もそう強く思っている。いつ何時、何が起ころうとも感情的にならず冷静に物事を判断する能力が騎士には必須だ。
――が。
故郷の、それを守護する騎士団の、象徴を破壊された刹那、彼女は怒りに飲まれてしまった。
「こんな、こんなことが、あってはならない! ふざけるなぁぁぁ!!」
ラフィアは、怒りの感情に任せ、男に斬りかかる。周りには相手の仲間が潜んでいるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。目の前の男を誅すること、その念だけが彼女の意識を支配していた。他のすべては排され、ただ血の色をした殺意だけが彼女を突き動かした。
男は振り向きざまに斬撃を受け止め、剣先が交差する。研ぎ澄まされた白銀の剣身に自らの姿が反射する。見開かれた琥珀色の瞳からは涙が零れ落ち、食いしばった唇からは微かに血が滲んでいる。
「城門を、デレツィアの象徴を、よくも!!」
剣が激しく交わり、火花が散る。剣先が男の頬をかすめる。白銀の刃に血が塗られるのを見て、ラフィアは一瞬、躊躇する。自分の行動を顧みようと理性が働きかけた。
どんな極悪人でも、殺してしまえばそれで終わり。生かして罪を償わせる――それが騎士団の役目だ。
しかし、怒りは一度出たものではない、湯の中から次々と沸き立つ気泡の如く留まることなく沸き続ける。市街地で市民三人を斬り、騎士団を翻弄し、果てはデレツィアの象徴すらも破壊したこの大罪人をここで誅す。ラフィアは再び剣を振るった。
だが、相手は相当な剣術の手練だ。騎士団警備大隊の長であるラフィアですら、苦戦を強いられるほどに。
それにラフィアの強みはその冷静さと俊敏さにあった。常に冷静で物事を達観し、状況を見極めて相手に与えうる最大の攻撃を素早く繰り出す――これが彼女の常套手段だ。
だが、今のラフィアは激情に呑まれ、冷静さを保つことができない。一撃かすめることはできたが、その後の攻撃はただ素早いだけで正確さに欠け、相手の防御が固いのも相まって、火花が虚しく散るばかりである。
相手の顔を見たからか、はたまた自分の至らなさを恨めしく思ったからか、ラフィアの怒りは募りに募る。
「貴様が、すべて、この街の法も、秩序も、象徴をも破壊するのなら、私はこの命に変えてでも貴様をここで討つ!!」
剣を左右に振るい続け、相手を押し切ろうとする。しかし、この攻撃は相手を詰めるのには有効だが、前のめりになるが故に、敵の手中へと入るリスクを伴う。周りの見えなくなった今の彼女にとってはまさに悪手だった。
剣を勢い良く振りかざす。すると男は、それを受けずに回避する。男が視界から外れる。
「ッ!!」
男は回避した足でそのままラフィアの背後に回り込む。
(しまった……!)
今のラフィアには、それに対応できるほどの心的余裕も、この状況を打開できる技も持ち合わせていない。
「くッ! が……」
首元に鈍い痛みが走る。視界が暗くなり、意識が遠のく。意識と共に感情も薄れ、ラフィアは僅かながらの冷静さを取り戻した。
しかし、もう遅い。あるのは感情のままに立ち回った自らの愚行への悔恨のみ。
車の走行音が聞こえ、地面が振動する。サイレンの音がない、ということはあの男の仲間が迎えに来たのだろう。
「乗って!」
まだ若い、自分と近い年頃の少女の声が聞こえる。
暗くボヤケた視界に、そのまま城門を通り過ぎる車が映る。
(奴らに逃げられた)
だが、相手は強い。相手を恨むよりも、己の至らなさを恨むべきだとラフィアは奥歯を噛みしめる。どの道、あの強さなら、水路で正面から対峙したとしても、勝てたか分からない。
(後悔しないように日々生きてきたつもりだったが、最期の最期に……こんな感情を……味わうとは……)
ラフィアは自分の立場を嗤い、そのまま意識を失った。
◆◆◆
ひしゃげた格子を尻目に、俺たちは城塞都市デレツィアを抜け出した。
「しかし、ブレイド様。あの攻撃、実にお見事でした」
「もっと、小さな炎を出して格子を溶かすのかと思ってたら、まさか熱と爆風でそのまま吹き飛ばすとはね」
ヴェルは少し引いているようだ。
「いや、あの状況だぞ!? そんな少し溶かすだなんて無理だぞ!」
「まあ、それはそうだけど、物事には限度ってものがあるのよ。あんなの、周辺諸国にまで噂が広がるわよ」
ヴェルは手を額に当て、首を横に振って、呆れたようにため息を付く。やれと言われてやったら、この様だ。
「城門への攻撃も素晴らしかったですが、あのシェパード大隊長に勝利されたことにも驚いております」
「シェパード?」
「さっきキミが殺した女騎士のことよ」
「いや、殺してないぞ! 人聞き悪いな! 剣の柄頭で突いて気絶させただけだ」
「ラフィア・シェパード。若くしてデレツィア騎士団警備大隊長に抜擢されたエリートです。学才、剣術共に極めた方と聞いております」
「なるほど……」
確かに彼女は強かった。顔に攻撃を食らったのは何年ぶりだろうか。
だが、時間がなかったから、少し卑怯なやり方でケリをつけてしまった。城門を破壊したことをかなり怒っていたし、彼女には悪いことをしてしまった。
「っ痛てて……」
彼女との戦闘を思い出していると、顔に痛みを感じた。手で拭うと、血が付いている。
「それは、その時の傷?」
「ああ、久しぶりに顔を切られたよ」
血の付いた指先を眺めていると、ヴェルが木箱からガーゼのようなものを取り出した。
「はい」
「付けてくれるのか?」
「はあ!? そんなの自分で付けてよッ」
夜も開けつつあった。デレツィアの周囲に広がる平原の地平線から、太陽が顔を出す。陽の光に照らされてか、ガーゼを差し出したままそっぽを向いたヴェルの顔は少し赤くなっていた。
面白いと思っていただけましたら、ブックマーク、感想、評価など、応援のほど、何卒よろしくお願いいたします。




