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第98話 彼女の継承者 ―光莉の選択― 第5話 沙織

―「傷つけない」から「描く」へ、そして「裁き」との向き合い―


5-1. 沙織というイラストレーター


純の紹介で、光莉は沙織にも会うことができた。


沙織――純の親友であり、かつて『裁かれる人々』という連載で話題を呼んだイラストレーター。


今は第一線からは退いたが、時々作品を発表している。


カフェで沙織と再会したとき、沙織は優しく言った。


「光莉ちゃん、ご無沙汰ぶりね。すっかり立派になって。」


光莉は照れながら答えた。


「沙織さん、変わらずおきれいです。あの無料似顔絵のお話、今でも心に残っています。」


5-2. 「傷つけない」という選択


沙織は、柔らかい雰囲気でありながら、その目はしっかりと光莉を見据えている。


「純から聞いたよ。原稿仕上がってきたんだね。」


「はい。もうあと少しです。書いてたら、急にみんなに感謝を伝えたくなってきて。」


沙織はコーヒーを注文し、ゆっくりと話し始めた。


「私はね、ずっと『傷つけない絵』を描いてきたんだ。」


「傷つけない絵?」


「誰の心も傷つけない、優しい絵。それが、私の信条だった。でも、あの連載で変わった。」


『裁かれる人々』――社会の中で「裁かれる側」に立つ人々を描いた連載。いわゆる加害者と呼ばれる人たちの表情をありのままに描いた。大きな反響を呼んだが、同時に多くの批判も受けた。


「あの連載で、私は人を傷つけることを経験した。でも、それで終わりじゃなかった。傷つけた後に、どう向き合うかを学んだんだ。」


5-3. 「裁き」との向き合い


「今でも、抗議のメールは来るんですか?」


沙織は、静かにうなずいた。


「まだ来るよ。『あなたのせいで人生が壊れた』って。そのたびに思う。私は、この人たちと一生向き合うんだって。」


「それは……辛くないですか?」


「辛いよ。でも、それが私の選んだ道だから。」


5-4. 批判者からの手紙


沙織は、話を聞かせてくれた。


先月のことだった。


一通のメールが届いた。差出人は、見覚えのない名前。でも、本文を読んだ瞬間、沙織はそれが誰かを理解した。


『あなたの連載作品で、私の姉が取り上げられました。姉はその後、亡くなりました。私はあなたを恨んでいます。でも、なぜかあなたのことが気になって、今もSNSをチェックしています。今日、公園で無料似顔絵を描いているのを見ました。一時間、眺めていました。そして、思いました。この人は、この先もずっと描き続けるんだろうな、と。恨みは消えません。でも、一つだけ言いたかった。あなたの絵を見て、少しだけ、姉のことを話したくなりました。それだけです。』


沙織はそのメールを何度も読み返した。


返信しなかった。返信すべき言葉が見つからなかった。


でも、次の週末も、公園に椅子を置いた。


「それが、私の答えだから。」


5-5. 描く快感の一瞬


光莉は聞いた。


「沙織さんは、描いてて気持ちいいと思う瞬間はあるんですか?」


沙織は少し間を置いた。


「あるよ。でも、それは『快感』とはちょっと違うかも。」


「どういうことですか?」


「描いてる間、自分が消えるんだ。悩みも、後悔も、罪悪感も――全部消えて、ただ線だけが残る。その瞬間は、すごく……なんていうか、自由。」


沙織の目が、少しだけ遠くを見た。


「でも、描き終わったら、また戻ってくる。全部、戻ってくる。でも、その一瞬の自由があるから、描き続けられるんだと思う。」


5-6. 光莉の気づき


沙織と別れた後、光莉は公園のベンチに座ってしばらく考え込んだ。


(沙織さんはずっと「裁き」と向き合ってる。終わらないかもしれない。でも、向き合い続けることが、彼女の生き方なんだ。)


(それに、あの無料似顔絵――あれは、ただの善意じゃない。自分が傷つけたかもしれない誰かに、どこかで繋がりたいという気持ちの現れなんだ。)


(お母さんが「受け入れる」ことを選び、お父さんが「書く」ことを選び、純さんが「誤解と共生」することを選んだように、沙織さんは「向き合い続ける」ことを選んだ。)


光莉は空を見上げた。


(みんな、それぞれのやり方で、前に進んでるんだ。)


5-7. カフェを後にした夜


沙織さんには、似顔絵に添えるような短い手紙をシンプルに。


沙織さんへ


今日はお会いできて、本当にありがとうございました。


沙織さんが描き続ける姿から、私は「向き合う勇気」を学びました。結果がどうなるかわからない。明るい答えが見えるかどうかもわからない。それでも、向き合い続けること、続ける努力を惜しまないこと。そのこと自体に、意味があるんだと教えてもらいました。


沙織さんの線は、時に鋭く、時に優しい。それは、傷つけたかもしれない誰かと、それでも向き合い続けるという沙織さんの生き方そのものなんですね。


まだ私には、何かを「描く」勇気はありません。でも、いつか、沙織さんのように、誰かの心に届く線を引ける日を目指したいと思います。


本当に、ありがとうございました。


光莉


(沙織からは、後日一枚の小さな似顔絵が届いた。光莉がカフェでコーヒーカップを持っている絵だった。)


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