第92話 彼女の読者 第3話 決断
1.純の迷い
純は、一週間、眠れない日々を過ごした。
(私は、何をすればいいのか)
(公に何かを発信するべきなのか。それとも――沈黙を守るべきなのか)
(『彼女の計画』を書いたのは、私だ。あの投稿は、私の作品を下敷きにしている。責任は、私にもある)
(でも――)
(あの投稿は、私の作品とは違う。誰かを傷つけるために書かれている)
(私は、そんなものを書いていない)
結局、彼女は一つの決断をした。
公には何も発信しない。その代わり、関係者にだけ手紙を書く。
謝罪ではない。弁解でもない。ただ、自分の思いを綴る。それだけだ。
2.純の手紙
純は、机に向かった。
宛先は、拓、瞳、康介、E、光莉。
それぞれに、違う言葉を選んだ。拓には「あなたの在り方を、私はずっと見てきました」と。瞳には「あなたの『受け入れるふり』を、私は書きました。それが私の見た真実です」と。康介には「あなたが『見ているだけ』を選んだこと。それは弱さではなかったと思います」と。Eには「あなたが置いた一枚のメモ。それがなければ、私は書かなかったかもしれません」と。光莉には「あなたが書くなら、私は応援する。私は沈黙を選ぶ。それが私の答えです」と。
手紙は、それぞれ郵送された。
純は、それで終わりにした。公には何も言わなかった。
3.拓と純の対面
数日後、純の元に拓から連絡があった。「会いたい」と。
待ち合わせは、あのカフェ「あおい」。二人とも、もう若くはない。
純は、コーヒーカップを両手で包みながら、拓の言葉を待っていた。
拓は、窓の外を見ていた。長い沈黙の後、ようやく口を開いた。
「……あの投稿、読んだ」
「はい」
「どうすればいいか、考えた」
「……」
「でも、わからなかった。だから、何もしないことにした」
純は、何も言わなかった。
拓は、それだけ言うと、立ち上がった。
「もう、いいか」
「……それで、いいんですか?」
「それは、“見なかったことにする”ってことですか?」
純の問いに、拓は振り返らずに言った。
「わからない。でも、それでいいんだ」
そう言って、拓はカフェを出た。
純は、その後ろ姿を、いつもの「観察者」の目で見送った。
4.瞳と拓
その夜、瞳は拓に尋ねた。
「純に会ったんでしょ?」
「……読んだか?」
「うん。何て言ってた?」
拓は、瞳の手を握った。
「何も言わなかった。ただ、聞いてただけだ」
「それで?」
「俺が『何もしない』って言ったら、それでいいって」
瞳は、少し間を置いて、言った。
「いいんじゃない。それで」
「お前は、それでいいのか?」
「もう、何も隠すことなんてないし。光莉だって大人だし。それに……」
瞳は、窓の外を見た。
「誰かに知られても、私たちは私たちだから」
5.光莉と拓
光莉は、久しぶりに拓の家を訪れた。インターホンを押すと、拓が出てきた。
「光莉、どうしたんだ、急に」
「ちょっと話があって。お父さん、あの投稿、読んだ?」
リビングに通される。瞳がお茶を入れてくれた。
拓は、少し間を置いてから答えた。
「……読んだよ。お前は?」
「私も。それで、気になって。誰が書いたのか、何か知らないかなって」
拓は首を振った。
「わからない。でも、あの投稿には、俺が誰にも言ってないことが書いてあった。例えば、あのドタキャンの日、二階から誰かに見られていたこと。あれは、直感的にそう感じただけで、確証はなかったんだ。でも、投稿には『二階から見下ろす男』って、はっきり書いてあった」
光莉は、考え込んだ。
「それって、康介……お父さんじゃなくて、お母さんの元旦那のこと?」
「そうかもしれない。でも、事実は、確かめようがない。今さらどうでもいいか。あの投稿が何であれ、俺たちは俺たちだ」
光莉は、その言葉を聞いて、少し安心した。
「お父さんとお母さんが、あの頃のことを乗り越えて、今ここにいるってことだけで、私は十分だよ」
拓は、光莉の手を握った。
「ありがとう。あの投稿のことで、俺たちのこと気遣ってくれたんだね。」
光莉はうなずいた。
6.純と康介のSNS
その夜、純はスマホを手に取った。久しぶりに康介からDMが届いていた。
康介(@kosuke_obser):
「あの投稿、読んだか?」
純(@jun_writer):
「読んだ。あなたも?」
康介:
「読んだよ。驚いた。あの呼び出しのことが、詳細に書かれていた。俺しか知らないはずなのに」
純:
「手紙を書いた。あなたにも送った。届いた?」
康介:
「ああ、読んだ。ありがとう」
純:
「私は、これ以上何もするつもりはない。公には何も言わない。沈黙を守る」
康介:
「それが、君の答えか」
純:
「うん。それが、私の答えだ」
康介:
「わかった。俺も、何も言わない。見守るだけだ」
純は、そのメッセージを見て、少しだけ微笑んだ。




