第86話 継承の鏡―光莉の外側― 第3話 光莉の核
1. 自分自身への問い
光莉は、自分自身に問いかけた。
(私は、何が怖いのか)
誰かにバカにされること?
それは父も同じだった。
でも、光莉の場合はそれだけじゃなかった。
(私は、誰かの期待に応えられないことが怖い。誰かをがっかりさせることが怖い)
(父は表の自分と裏の自分を分けていた。でも、私は分けられない。いつでも「ちゃんとした自分」でいなければならない)
(それが、私のコンプレックスだ)
では、どうやってそれと向き合えばいいのか。父は裏アカウントという場所を作った。
そこでは表の自分じゃなくていい。
むき出しの自分でいていい。
でも、光莉はそんな場所を持っていなかった。
(じゃあ、どうすればいいのか)
答えは出なかった。
2. 父の言葉、再び
それから数年。
光莉は、これまで考えてきたことを胸に、再び実家に帰った。
夕方、縁側で二人きりになった。
父は庭を見つめていた。
何かを考えているようで、何も考えていないようだった。
「お父さん、今は何を考えてるの?」
拓は少し間を置いて言った。
「何も考えてないよ。ただ、ここにいる」
「それで、いいの?」
「いいんだよ。考えないことも、生きることだから」
その時、光莉の中で何かがつながった。
(お父さんはずっと「わからない」と言い続けてきた。でも、それはわからないから「わからない」と言っているのではなかった)
(わかったことを言葉にするのが怖かったからでもなかった)
(「わからない」と言い続けること自体が、彼の「核」だったのだ)
(彼は、わからないまま、そこにいる。それだけで、十分だと思っている)
(それが、彼の強さだった)
では、私は?
(私は、「わからない」まま、そこにいられるだろうか)
(いや、いられない。私は、わかろうとしなければ、不安で仕方ない)
(それが、私の弱さであり、同時に、私の強さでもあるのかもしれない)
その夜、光莉は布団の中で考えた。
父が小学生の頃にしたように。
答えは出なかった。
でも、それでいいと思えた。
考え続けること自体に、意味があるのだと、その時初めて感じた。
3. 光莉の核
光莉は、その夜、長い間考えた。
(お父さんの核は、決して生まれ持ったものではなかった。小さい頃の傷の積み重ね、その傷に対する内省、その中で芽生えた「比較ではない何か」。それが核の芽生えだった)
(演劇サークルで、核があればどんな自分にもなれることを知った。裏アカウントで、誰にもバカにされたくないというコンプレックスが核を鍛えた)
(そして、炎上してすべてが曝された時、ようやく「これが自分なんだ」と受け入れた)
(それが、お父さんの核だった)
では、私の核は何だろう。
(私は、お父さんから「書くこと」を学んだ。母から「受け入れること」を学んだ。純から「誤解と向き合うこと」を学んだ。康介から「見守ること」を学んだ。沙織から「描き続けること」を学んだ。Eから「普通でいること」を学んだ)
(でも、それらは全部、「私」になるための材料に過ぎなかった)
(私の核は、それらを全部混ぜて、自分なりに発酵させ、時間をかけて熟成させた先に、ようやくできたものだ)
(それは、お父さんの核とも、お母さんの核とも、違う。誰かのものではなく、私だけのもの)
(でも、それでいい)
(「自分らしさ」とは、完成形ではない。生きている限り、変わり続けるものだ。今日の私が、明日の私に「これが私だ」と言えるかどうかは、わからない)
(でも、それでいい)
(お父さんは「わからないまま」を選んだ。でも、私は違う)
(私は、「わからない」ことを「わからない」ままにしない。わからなくても、考え続ける。問い続ける。それが、私の選んだ道だ)
(それもまた、一つの核の形なのかもしれない)
光莉は、その夜、書き始めた。
キーボードを打つ指が、少し震えていた。
『私は、父の核を探す旅を始めた。
でも、その先にあったのは、自分の核だった』




