第87話 継承の鏡―光莉の外側― 第4話 光莉の本
1. 書くべきもの
光莉は、十年の旅で出会った人たちのことを書いた。父・拓、母・瞳、純、康介、E、沙織――。
でも、それは「誰かの物語」ではなかった。彼らから学んだことを通して、自分自身の「核」を探す旅の記録だった。
彼女は、最後の章でこう書いた。
父の核について
父は、小さい頃から「なぜ自分だけ」という問いと向き合ってきた。それは傷つくことだった。でも、その傷から何かを学んだ。何かを感じ取った。
「比較」しても答えは出ない。それなら、「比較」をやめればいい。「自分は自分」――それだけ。それが、父の核の始まりだった。
でも、それだけではまだ脆い。父は、その核を育てる方法を探した。演劇サークルで「核があればどんな自分にもなれる」ことを知った。裏アカウントで、「誰にもバカにされたくない」というコンプレックスで核を鍛えた。表の大人の世界とは違う、欲望丸出しの世界で、自分の核を試した。
そして、炎上してすべてが曝された時、父はようやく「これが自分なんだ」と受け入れた。
父の核は、決して生まれ持ったものではなかった。自分を守るために、固い殻を内に作った。それは決して強くはない。でも、考え抜いた深みはある。それは脆さの裏返しであり、優しさの別の形でもあった。
父は、「わからない」と言い続けた。それは逃げではなかった。相手に委ねるための、沈黙だった。何も言わないことで、相手が自分自身で答えを見つけることを信じていた。
私は、父の核を探す旅を始めた。でも、その先にあったのは、自分の核だった。
自分自身の核について
父は「わからないまま」を選んだ。でも、私は違う。
私は、「わからない」ことを「わからない」ままにしない。わからなくても、考え続ける。問い続ける。それが、私の選んだ道だ。
父から「書くこと」を学んだ。母から「受け入れること」を学んだ。純から「誤解と向き合うこと」を学んだ。康介から「見守ること」を学んだ。沙織から「描き続けること」を学んだ。Eから「普通でいること」を学んだ。
でも、それらは全部、「私」になるための材料に過ぎなかった。
私の核は、それらを全部混ぜて、自分なりに発酵させ、時間をかけて熟成させた先に、ようやくできたものだ。
それは、父の核とも、母の核とも、違う。誰かのものではなく、私だけのもの。
でも、それでいい。
「自分らしさ」とは、完成形ではない。生きている限り、変わり続けるものだ。今日の私が、明日の私に「これが私だ」と言えるかどうかは、わからない。
でも、それでいい。
わからないから、考える。考え続ける。それが、私の生き方だ。
光莉はノートを開き、これまで書いてきたことをゆっくりと振り返った。
ただ、自分が感じたことを、見たままの違和感を、そのまま残しておきたいと思った。
出会った人たちに読んでもらえたらいいな――
そんな気持ちで、彼女はページを埋めていった。
特別なものにするつもりはなかった。ただ、感謝の気持ちを形にしてみたかっただけだ。




