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第84話 継承の鏡―光莉の外側― 第1話「後半」 わからなかったもの

8. 考える――康介の「なぜ」


康介さんは、なぜ見ているだけだったのか。


母の元夫。父を呼び出した男。書店の二階から見下ろしていた。母が弁護士事務所ビルに入るのを見ていた。でも、何もしなかった。


(それは、弱さなのか)


(それとも――)


光莉は、康介に会った時の言葉を思い出した。


「動くことが、正しいわけじゃない。動かないことが、間違いでもない」


(康介さんは、「見守る」という選択をした)


(それは、受け身ではない。むしろ、強い意志が必要なことだ)


(自分の妻が他の男と関係を持っている。それを知りながら、何もしない。それは、簡単なことじゃない)


(壊すのは簡単だ。怒るのも簡単だ。でも、見守るのは難しい)


(相手を思いやることができなければ、見守ることはできない)


(康介さんは、母を思いやっていた。そして、父も)


(「守る」というと、何かを積極的にすることのようにみえないかもしれない。でも、守り抜くことの責任は、決して生易しいものではない)


(康介さんは、その責任を一人で背負った)


(誰にも見られずに。誰にも理解されずに)


(それは、父の「わからない」とは違う)


(父は、熟考の末に「わからない」という選択肢を選んだ。それは自分自身との対話の結果だ)


(でも、康介さんは違う。彼の「見守る」は、相手への思いやりから生まれている)


(自分が傷つくことを選んだ。相手を壊さないために)


(それは、ある種の愛情かもしれない)


(もちろん、それでよかったのかどうかはわからない。でも――康介さんは、その選択を貫いた)


光莉は、そのことをノートに書き留めた。


(父は「わからない」と言うことで、相手に考える余地を残した)


(康介さんは「見守る」ことで、相手を壊さないようにした)


(どちらも「動かない」という選択。でも、その根底にあるものは、まったく違う)


(それが、二人の違いなのだ)


9. 考える――Eの「なぜ」


Eさんは、なぜメモを置いたのか。


AIレポートには「中途半端な関与」と書かれていた。でも、光莉はそうは思えなかった。


(Eさんは、自分自身と戦っていたのではないか)


(中学の時、親友を助けられなかった自分。大学の時、輪の中に入れなかった自分。社会に出てからも、何も言えなかった自分)


(あのメモは、父のためでも、母のためでもなかったのかもしれない)


(自分のこれまでの人生との戦い。その一歩だったのではないか)


(「見ていただけ」の人から、「行動した」人になるための)


(たとえそれが匿名のメモでも。たとえ誰にも届かなくても)


(自分自身にとって、それが重要な一歩だった)


(そして、その一歩が、彼女を変えた)


(Eさんは、特別なことをしたわけじゃない。ただ、一枚のメモを置いただけだ)


(でも、その「ただそれだけ」が、彼女の人生を変えた)


(行動することの意味は、結果だけではない。その行為自体に、自分を変える力がある)


光莉は、そのことをノートに書き留めた。


(Eさんは、私に教えてくれた。小さな一歩でも、踏み出すことが大事だと。結果がどうであれ、踏み出したこと自体に意味があるのだと。


10. 考える――沙織の「なぜ」


沙織さんは、なぜ描き続けるのか。


(沙織さんは、描くことで向き合っている。自分が傷つけたかもしれない人たちと。自分の中の罪悪感と)


(「描かない」という選択もあったはずだ。でも、彼女は描くことを選んだ)


(描くことでしか、自分を保てない。描くことでしか、前に進めない)


(純さんが「書かずにいられなかった」ように、沙織さんは「描かずにいられない」)


光莉は、そのことをノートに書き留めた。


11. 考える――母の「なぜ」


では、母は――なぜ「受け入れるふり」を続けたのか。


光莉は、母のノートをもう一度読み返した。嫉妬。疑念。醜い感情。それらは赤裸々に、容赦なく綴られていた。


(母は、なぜ父に本当の気持ちを言えなかったのか)


(なぜ一人で抱え込んだのか)


光莉は、母に会った時の言葉を思い出した。


「晒されたことで、初めて自分を受け入れられた」


(母は、「ふり」をすることで、自分を守っていたんだ)


(本当の気持ちを言ったら、何かが壊れると思っていた。自分の中の何かが、家族の中の何かが)


(でも、その「ふり」は、同時に自分を苦しめていた)


(「ふり」を続けることは、決して楽なことじゃない)


(母は、その苦しみを一人で背負っていた)


(父の「わからない」は、自分自身との対話の末に生まれた)


(康介さんの「見守る」は、相手への思いやりから生まれた)


(では、母の「受け入れるふり」は、何から生まれたのか)


(それは――「壊したくない」という願いだったのかもしれない)


(自分が本音を言ったら、家族が壊れる。関係が壊れる。それが怖かった)


(だから、自分を殺してでも、「ふり」を続けた)


(それが、母の強さであり、同時に母の弱さでもあった)


(そして――晒されたことで、その「ふり」は終わった)


(隠すものがなくなった時、初めて母は自分を受け入れられた)


(「これが私なんだ」と)


光莉は、そのことをノートに書き留めた。


(母は、「ふり」をしていたのではなかった。自分を守るために、そして家族を守るために、「ふり」を選び続けていたんだ)


(それが、母の生き方だった)


(そして今、母は「見られる側」に立っている。それを受け入れている)


(それは、「ふり」の先にある、本当の強さなんだ)


12. 考える――父の「なぜ」


そして、父は――なぜ「わからない」と言い続けるのか。


光莉は、これまでのすべての「考える」を踏まえて、もう一度父の言葉に向き合った。


(父は、逃げているのではない)


(「決めない」という選択をしているのだ)


(それは、弱さではない。むしろ、強い意志が必要なことだ)


(「わからない」と言うことは、相手に委ねることでもある)


(「これが正しい」と押し付けない。相手が自分で答えを見つけるのを待つ)


(それが、父の在り方なのだ)


(そして――父は、それを言葉で説明しない)


(説明したら、それが「答え」になってしまうから)


(「わからない」と言い続けること自体が、彼の「核」なのだ)


(康介さんの「見守る」とは、ここが違う)


(康介さんは、相手を思うから見守った。それは他者への愛情だ)


(でも、父の「わからない」は、自分自身との対話の末に生まれた。それは自己への誠実さだ)


(どちらが正しいわけじゃない。ただ、違うだけだ)


(その違いを理解できたことが、私にとっての大きな収穫だった)


光莉は、そのことをノートに書き留めた。


(父は、教えてくれなかった。でも、考えさせてくれた)


(それが、父から私への「継承」だったのかもしれない)


(私は、父の「わからない」を受け継いだのではない)


(父が「わからない」と向き合ったように、私も自分の「わからない」と向き合うことを選んだ)


(それが、私なりの継承の形だ)




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