第80話 核の窓 ―拓の内側― 第4話 核の再構築
1. 裏アカウントという訓練場
・社会人
拓は「書くこと」をやめた。代わりに始めたのが、裏アカウントだった。
最初は軽い気持ちだった。パンストフェチという性癖を、誰にも知られない場所で発散する。誰にも見られない。それがいい――そう思っていた。
でも、すぐに気づいた。「いいね」がついている。誰かが見ている。誰かが、俺の言葉を読んでいる。それは少し怖い。でも――誰かに見られることで、自分がここにいることを確認できる。
ある日、ダイレクトメッセージが来た。
「フェチだけじゃなくて、何か抱えてんじゃない? 文章に出てるよ」
この人たちは俺のことを何も知らない。でも、書いた文章から何かを感じ取っている。表の世界では誰も俺の奥を見ようとしない。でも、ここでは欲望むき出しのままで相手の奥を見ようとする。それが怖い。でも、それがリアルだ。
表の世界は「大人」だった。みんな仮面をかぶり、傷つかないように距離を取る。そこでは拓の核は通用していた。誰も奥を見ようとしないからだ。
しかし、裏アカウントの世界は違った。そこには小学生の頃の原風景があった。嘘もあれば、汚い言葉もある。欲望丸出しの人間が仮面を外してぶつかってくる。ここで勝てなければ、俺の核は意味がない。
裏アカウントは、拓にとって「核の訓練場」だった。
表の世界では試せなかった自分の核を、欲望むき出しの相手にぶつける。
誰にもバカにされたくない。そのコンプレックスが俺を動かしていた。
表の世界でバカにされるのはまだ耐えられる。でも、ここでバカにされたら、それは本当の自分がバカにされることだ。
だから、ここでは絶対にバカにされない。自分の核を誰にも触れさせない
でも――それでいいのか?
ここで強くなったと思っている核は、本当に自分の核なのか? それとも、また別の仮面を被っているだけなのか?
裏の世界で剥き出しの欲望と対峙しても、結局ここは「裏」だ。表ではない。自分の内を隠していることに変わりはない
強くなった気がする。でも――どこか、物足りない
このモヤモヤは、何なんだ
その違和感を、後に純が嗅ぎつけることになる。拓はまだ気づいていなかった。でも、確かにそこに「何か」があった。
・純という視線
純に裏アカウントのIDを見せたあの日、拓は一瞬、彼女の目が画面の隅に止まるのを見た。
(見られた)
その瞬間、恐怖と、それ以上の何かが胸をよぎった。
(この人は、俺のことを見ている。これからも、見続けるかもしれない)
(でも、それでいい。見られることを、受け入れよう)
(これまで鍛えた核があれば、大丈夫だ)
拓は、その時初めて、自分の「核」の外側に誰かを招き入れた。完全にではなく、ほんの少しだけ。でも、確かに。
純は、その後5年間、拓のアカウントを見続けた。拓はそれに気づいていた。でも、何も言わなかった。
(彼女は、俺の何を見ているのだろう。俺にはわからない)
(でも、それでいい。わからないまま、見ていてもらえばいい)
(核があれば、それでいい)
――そう思っていた。でも、違った。
(もしかしたら、彼女は俺の「核」を見ていたんじゃないのかもしれない)
(俺が核を覆っている「殻」の、ほんの少しの隙間から漏れ出る「何か」――それを、無意識のうちに感じ取っていたのか?)
(確かではない。でも、そう考えると、彼女のあの目つきが説明できる気がした)
(俺は、ずっと核を隠してきた。誰にも触れさせたくなかった。でも――同時に、誰かに見つけてほしかった)
(その矛盾を、彼女は無意識のうちに感じ取った。だから、追い続けた。5年間も)
(そして、晒した)
(それは、彼女の「業」だったのかもしれない。でも――それだけじゃない)
(俺の「見られたい」という欲求が、彼女を動かした側面もある)
(そう考えると、すべてがつながる)
(俺は、見られることを望んでいた。純は、それに応えた。ただそれだけのことだ)
(でも――その「ただそれだけ」が、俺たちの人生を変えた)
拓は、その夜、久しぶりに自分の裏アカウントの過去の投稿をスクロールした。
そこには、誰かに見てほしくて、でも見られるのが怖くて、その狭間で踠いていた自分の姿があった。
(これが、俺だ)
(恥ずかしい。でも――消せない)
(消したら、あの頃の自分が死ぬ気がする)
(そして――あの頃の自分がいたから、今の自分がいる)




