第111話 彼女の傍観者 ―拓の窓― 第9話 見ることと見られることの果てに
「彼女の計画」の仲間たちは、みんな「見る/見られる」の関係の中にいた。
純は見た。そして書いた。
純にとって、「見る」ことは「書く」ための準備であり、その行為そのものだった。
瞳は見た。そして隠した。
見ているのに見ていないふりをする。それが彼女の選択だった。
康介は見た。そして黙った。
彼は「見る」ことだけを選んだ。それが彼の生き方だった。
Eは見た。そしてメモを置いた。彼女の行動は小さかった。でも、それがきっかけで人生が動いた。
光莉は見た。そして理解した。彼女は何かを変えようとしたのではなく、ただ理解しようとした。それが、彼女の「見る」の形だった。
沙織は見た。そして描いた。彼女の見た世界は、筆先を通じて別の形を得て、誰かの手に渡った。
そして俺は――見られた。そして、ようやく書く側になった。
視線とは、記憶の形だ。誰かを見た瞬間、その人は自分の中に住み始める。
すべては、誰かを見て、誰かに見られることから始まった。そして、その視線の先に、それぞれの何かがあった。
見ることと見られることは、対立するようでいて、実は同じものの裏表だ。誰かを見るということは、自分も見られているかもしれないということ。誰かに見られるということは、自分も誰かを見ているということ。
視線の連鎖は終わらない。誰かが見て、誰かに見られる。その循環の中に、俺たちは生きている。




