第7話 腹黒男子が釣られる
あの日以来、俊さんはというと、残念ながら元に戻っていなかった。ただの屍から見事復活を果たしたものの、時折、動作不良を起こして固まっている様子を目にする。
やっぱり、私があの時「どうして」って聞いたのがよくなかったんだろうけど、あの質問のどこに悩む要素があるのか全然わかんないんだよね。現在進行形で、リビングのソファで本を開いて固まってるし。
「俊さん、そんなに難しい本なんですか」
声をかけると、数秒経ってから俊さんが顔を上げた。
「ん? いや、ちょっと考え事を」
心ここにあらずな様子でそう答えた俊さんは、すぐに本に目を落とそうとする。その前に、私は急いで本来の用事を口にした。
「あの、今日は夕ご飯を食べて帰る予定なので、私の分はなくて大丈夫です」
「わかりました。楽しんできてくださいね」
俊さんから明るく送り出され、リビングを出た私の足取りは重かった。
残念ながら、今日はどれだけHPを残して帰ってこれるかのミッションだと思ってるから。
昼間の照りつける太陽に、すでに任務を放棄したい衝動に駆られながらも、電車に乗って待ち合わせ場所まで向かった。駅前の広場に到着すると、私の名前を呼んでいる声が聞こえてきた。
「おーい、真優! こっちこっち!」
うわっ。探す手間は省けるけど、そういうのやめてほしい。個人情報だから。
手を振っている人物のもとに、私は急いで駆け寄る。
「そんなに大声で呼ばなくていいから。周りの人もびっくりするでしょ」
「おお、それは悪かった。それにしても久しぶりだな! 正月ぶりじゃないか? 元気だったか? お兄ちゃんは元気だったぞ!」
別に聞いてないし、お兄ちゃんに会うまでは、まだ元気だったよ。
「そうだ、真優にお土産があるんだ」
お兄ちゃんは私の返事も聞かずにそう言うと、持っていた紙袋を差し出してきた。中には、関西のご当地お菓子がパンパンに入っているのが見えた。
「こんなに食べれないよ。私、実家出たって言ったと思うけど」
「ん? これが真優用だぞ。それに、お兄ちゃんのことを思い出してもらえるように、賞味期限が長いのを選んだから、安心してゆっくり食べてくれ。あ、でも、今渡したら真優の手が塞がるし重いだろうから、帰りに渡すな。じゃあ、早速行くかっ」
ブレーキを忘れた快速お兄ちゃん号は私を乗せ、今日の第一の目的地である、駅近くのショッピングモールへと出発した。
「真優が欲しいものなら、何個でもいいぞ」
「いや、一個だけでいいから。何ならお祝いもしなくていいから」
「そんな寂しいこと言わずに祝わせてくれ。大学卒業という大イベントをみすみす見逃すなんて、お兄ちゃんにはできん。真優のためにお金を使いたいんだ!」
お兄ちゃんにとって、私は推しか何かなんだろうか。断ってもしつこいだけだから来たけど、今日はファンミーティングのつもりなのかな。
「忘れたままでよかったのに」
私の発言に、お兄ちゃんは、とんでもないという顔をした。
「片時も真優のことを忘れたことなんてないぞ。ずっと真優に会いたくて会いたくて震えていたんだ」
え、急にどうした。
「すぐに祝いたかったんだが、転勤したから引継ぎやらなんやらで、五月までずっとバタバタしててな。やっと会える時間ができたんだ」
それからお兄ちゃんの謝罪もとい、言い訳という名の会社への愚痴を聞いていたら、目的地に到着していた。
「よーし、案内はお兄ちゃんに任せろ! 昔よく来てたからな」
いや、私のほうが直近で来てるから、お兄ちゃんよりわかると思うけど。ま、いっか。
お兄ちゃんは意気込んでいたものの、「あれっ、この店あったか⁉」とか「あっ、あの店なくなってるっ」とか、プチ浦島太郎状態になっていた。
ふふっ。ショッピングモールってちょっと行かないうちに、お店が替わってることあるよね。
何か所か見て回っていたとき、お兄ちゃんが神妙な面持ちで話しかけてきた。
「真優、あそこの雑貨屋にいる人、知り合いか?」
「ん? どうしたの?」
「さっきから視線を感じるんだ」
お兄ちゃんが見つめる先に目をやると、そこに見慣れた姿を発見した。それは、片手に紙袋を持って雑貨を眺めている、俊さんだった。
こんなところで会うなんて、偶然だなぁ。
説明しようと、お兄ちゃんに顔を向けたところで、私のセンサーが反応する。
なんとなくだけど、黙っておいたほうがいいかも。
「えーと、知らない人だよ」
私が誤魔化すと、お兄ちゃんはすぐに打ち返してきた。
「お兄ちゃんに嘘は通じないぞ。真優は嘘をつくとき、目に出るからな」
え、そうなんだ。全然知らなかった。伊達にお兄ちゃんをやってるわけじゃないんだね。
「そんな真優も、お兄ちゃんは好きだぞ」
ああ、はいはい。
取り繕ってもしょうがないので、私は重い腰を上げて白状する。
「あの人は、職場の人」
「そうか! じゃあ、挨拶しに行かないとな! 真優がいつもお世話になってるからな!」
全てを言い終わる前に、お兄ちゃんはズンズンと俊さんの方へ向かっていく。
わあぁぁぁ! 早まらないでっ!
「ちょ、ちょっと待って! あっちも休日だし、邪魔したら悪いからっ」
私はお兄ちゃんの腕を引っ張り、元いた場所に連れ戻す。
俊さんとお兄ちゃんを会わせたら、非常に面倒くさいことになる気しかしないからっ。深堀りされて、私たちの関係がバレても困るっ。
「ん? そうか? でも、こっちを見てたってことは相手も話したいんじゃないのか?」
「お兄ちゃんの気のせいかもしれないでしょ。それに、話したかったら相手から声かけてくるからっ」
「うーん、しかし、俺の野生の感が声をかけろと言っている!」
やーめーてーーっ!
お兄ちゃんと攻防を繰り広げているうちに、いつの間にか俊さんの姿が見えなくなっていた。
ふう、よかった。あと少し遅かったら、暴走車がぶつかりに行くところだったから。それにしても、俊さんもこういうところに来るんだな。一緒の家に住んでるけど、休日にどこに行くとか全然知らないからなぁ。というか、本が好きってことくらいしか、俊さんのこと知らないかも。
クッションを触りながら、俊さんのことを考えていると、横から声が聞こえた。
「真優、いいのあったか」
「えっ、あ、うん。このクッションがいいな」
私は、持っていたクッションを差し出す。
「アザラシ好きだったのか」
「うん。アザラシの赤ちゃんの写真とか動画とか見漁ってた時期があって」
「じゃあ、買ってくるから、ちょっと待ってて」
わーい、いい子に出会えたなぁ。なんとも言えない肌触りと、もちもち感が病みつきになりそうで。ずっと触っていたい。
嬉しく思っていると、満面の笑顔を浮かべたお兄ちゃんから、ラッピングされた袋を手渡された。
「真優、卒業おめでとう!」
「ん、ありがとう」
「このクッションをお兄ちゃんだと思って、抱きついていいんだぞ!」
「……絶対、嫌」
私が涼しげな目を向けると、なぜか逆にニコニコしていた。
この人もよくわかんないんだよね。
目的の買い物を終え、本屋で新刊の漫画を買ったり、アニメショップに行ったりした後、今日の第二の目的の、夕ご飯を食べに来ていた。そこは、お兄ちゃんが予約したとは思えないくらいお洒落な、フレンチ料理店だった。
どこにこんな感性を隠してたんだろう。って、それより、聞かれるであろう俊さん関連の話題を、どう上手くかわすかを考えないと。
そう思っていたら、料理を注文し終えるやいなや、お兄ちゃんが質問してきた。
「さっきの人は職場の人だと言ってたが、真優と同じ職場なんて羨ましい、じゃなかった、あの人とはどういう関係なんだ⁉」
「職場の上司だよ」
私が感情を入れずに答えると、お兄ちゃんは少し冷静になったのか、こちらを窺うように口を開いた。
「上司といっても若そうな雰囲気だったが、何歳なんだ? ちゃんとした人なのか?」
「二十九歳で」
私が言い終わる前に、お兄ちゃんがカッと目を見開く。
「なに⁉ 全然、恋愛対象圏内じゃないかっ」
「あのー、お兄ちゃんが想像してることにはならないから」
恋人役ではあるけど、振りってだけだし。それに、わざわざ恋人役を立てるってことは、俊さんは本当の恋人は欲しくないんじゃないかな。
「いーや、予想もしなかったことが起きるのが人生だぞ。お兄ちゃん、転勤なんて目から鱗で」
いや、それは十分、予想範囲内だよ。
「いいか、真優。顔に騙されたらダメだぞ。人間、顔より中身なんだ。お兄ちゃんみたいな庶民的な顔の奴のほうが、中身がよかったりするんだぞ」
残念だけど、お兄ちゃんは中身すらも敗北してるから。
「それよりお兄ちゃんのほうはどうなの。仕事、忙しいんでしょ」
この話題を早く切り上げたいがために、お兄ちゃんに質問を投げた。すると、お兄ちゃんは目を丸くして、嬉しそうな声を上げた。
「お兄ちゃんのこと、知りたいと思ってくれるのか⁉」
え、なんでそうなるの。頭に昔の翻訳機でも入ってるの。
私が呆気に取られていると、お兄ちゃんは嬉々とした表情を浮かべ、間髪を入れずに話し出した。
「そうか、嬉しいなぁ。真優がそんなこと言ってくれるなんて。何が知りたい? 何でも話すぞ!」
その後は、私が質問されることはなくなったけど、やたらお兄ちゃんへの質問を求められて、それはそれで面倒くさかった。
そんなこんなで夕ご飯を終え、私にお土産を持たせると、お兄ちゃんは後ろ髪を引かれながら駅の方へ姿を消していった。
はあ、やっと帰ったよ。今日は疲れた。私も早く家に帰ろう。
「ただいま帰りました」
リビングのドアを開けると、ソファで本を読んでいる俊さんが目に入った。
ああ、いつもの光景になんだかほっとするな。今までが濃かったから、余計。
「おかえりなさい。楽しめましたか」
俊さんは本から顔を上げ、こちらを向いた。
「あ、まあ、久しぶりに会えたので、それなりに」
疲労のほうが大きいですけど……。
「そうですか。それはよかったですね」
その言葉通り、上品な微笑みを浮かべる俊さんからは、いつもの輝きは感じられず、どことなく暗い印象を受けた。
「そういえば、俊さんもショッピングモールに行ってましたか?」
雑談くらいの軽い気持ちで聞くと、俊さんは目を見開いた。
え、聞いたらまずかったのかな。職場の人からの発見報告とか嫌なタイプだった?
「ああ、そうなんです。本を買いに」
そう言いながら、私に表紙を見せようとしてくれたのか、持っていた本を顔の高さまで掲げた。
わー、重そう。推理漫画の中なら凶器になりそうな分厚さだね。
「あとは夕飯までの間、時間を潰してました」
本を下ろした俊さんの顔には、上品な微笑みが携えられていた。
「そうだったんですね。あの、お土産たくさん貰ったので、俊さんも一緒に食べませんか」
気まずさから逃れようと、ソファの前にある机に、お土産を広げる。
「お友達、関西の方なんですか」
「あ、もともと東京にいたんですけど、今は関西に住んでて」
友達ではないけど、まあ、私が誰と会ってたかなんて、俊さんにはどうでもいいことだよね。
そう思ってスルーしていると、意外にも突っ込まれた。
「大学の卒業式に会っていた方ですか」
ただの雑談にしては硬い声が耳に届く。お土産に目を落としたままの俊さんからは、どんな感情も読み取れなかった。
「いえ、その子は関東にいるので。それと、今日会ってたのは」
そこまで言って、ふと一つの疑問が頭をよぎった。
お兄ちゃんと出かけるのって、世間一般的に普通なのかな。お兄ちゃんがあんなだから、受け入れちゃってたけど、兄弟の距離感ってどんなのが正解なんだろ。
「や、やっぱり何でもないです。私、部屋に荷物を置いてきますね」
変に思われたくない一心で、ドアの方へ早足で向かう。ドアノブに手をかけた瞬間、後ろから伸びてきた大きな手にドアノブごと掴まれた。
ひょわっ! な、なに⁉
「今日会っていたのは、僕に言えないような人なんですか」
顔の近くから、低い声が頭に響く。気づけば、俊さんが私に覆いかぶさるようにして、反対側の手でドアを押さえつけていた。
きゅ、急にどうしたんですかっ⁉ どうしてこんなことに⁉
四方を遮られ、かつてない近さに固まっていると、先ほどの低い声が耳に届いた。
「後ろめたいことでも、あるんですか」
えっ、この体勢のまま続けるの⁉ 近すぎて何も考えれないんですけどっ。えーと、えーと、何の話だったっけ。あ、もしかして、はぐらかしたことに怒ってる? 顔が見えないから、どういう感情かわかんないな。だけど、物理的な圧だけはひしひしと感じるっ。
影が落ち、闇に包まれたドアを見ながら言い訳を考えていると、耳元で小さな声が聞こえた。
「真優さんは、その人のこと、どう思ってるんですか」
零れ落ちるように呟かれたその言葉は、怒りではない別の感情から発せられたようだった。
どう思ってるかなんて、なんでそんなこと、聞くんだろう。だけど、いい加減答えないとっ。
「えとっ、会う度にうるさくて面倒くさいですけど、大切な家族だとは思ってます」
俊さんから、聞こえるか聞こえないかくらいの声が漏れる。しだいに、握っている手が緩み、私の上にできていた影もなくなっていった。緊張から解放され、俊さんの方に体を向けると、顎に手を当てている姿が目に入った。
「兄弟が、いたんですね。なら、誤魔化す必要は、なかったんじゃ」
空中を見ながらゆっくりと言葉にする俊さんは、自分の中で謎解きをしているようだった。
「えと、それは、休日に兄と出かけるって、一般的に考えたら変かもしれないと思いまして。俊さんに引かれないかなと。あっ、でも、いつもはこんなんじゃないんですよ? というか今回が珍しいだけでっ。兄から、どうしても卒業祝いをさせてくれって頼まれたからでっ」
私が必死に弁解していると、俊さんが吹き出した。
あれ、今のどこに面白い要素が?
「あ、あの、引いてないですか」
心配になって聞いてみると、俊さんは、花が咲いたような柔らかな微笑みを浮かべた。
「引きませんよ。家族と仲がよさそうで、何よりです」
ふぅ、よかった。でも、仲がいいっていうのは首肯しかねるけど。
「よかったら、お兄さんとの話を聞かせてくれませんか」
「えっ、あんまり面白くないと思いますけど」
その後は、お兄ちゃんの変人ぶりを薄めてお届けして、自室に戻った。
結局、どうして俊さんは、私が誰と会ってたのかなんて気にしたんだろう。それに、その人のことをどう思ってるか聞くなんて、まるで恋愛漫画でよく見るやつみたいな……いやいや、ありえない、ありえない。
読んでくださってありがとうございましたこ焼きの屋台を見たら、なぜか買いたい衝動に駆られます




