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就活から逃げた先で腹黒男子に釣られました  作者: 宮川 葉月


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8/8

第8話 腹黒男子、釣りをする

 後ろ壁ドン事件以来、俊さんが本を開いたまま石化することもなくなっていた。夕ご飯を終えた今も、リビングのソファで本のページを定期的にめくっているのが見える。

「俊さん、あれから考え事は解決したんですか」

 私がソファに座って声をかけると、すぐに俊さんが顔を上げた。

「はい……真優さんのおかげです」

「私の? それってどういう意味ですか?」

 自分が何をしでかしたのか思い当たる節がないので聞いてみると、俊さんはおもむろに口を開いた。

「それは、そのうち、わかると思います」

 含みのある言い方をした俊さんは、目を細めて私を見ながら、口の端にうっすらと微笑を浮かべた。

 ほう? なんだか意味深? でもこれ以上は聞けなさそうだし、私の用事を言うとするか。

「あの、ご興味あればでいいんですが、映画のチケットを貰ってくれませんか。アニメ映画のペアチケットで、今週末までなんですけど」

 チケットを差し出すと、俊さんはチケットから私へと目を移した。

「どうして僕に?」

「あ、えと、この前兄から貰ったものなんですけど、奏ちゃん……友達は都合がつかなかったので、俊さんに使ってもらえたらありがたいなと。どなたか誘って行ってください」

 私の説明が下手だったのか、それともどうするか考えていたのか、短い沈黙のあと俊さんが口を開いた。

「それはお兄さんが真優さんのために買ったものだったりしますか」

「うーんと、私と観に行こうと思って勝手に前売りで買ってたみたいで。でも結局、先週は映画の時間と夕ご飯の時間が合わなくて、行けなかったんですけどね」

 私がそう言うと、事前に言うことを決めていたんじゃないかと疑うくらいの速さで、俊さんから反応があった。

「だったら、僕と一緒に行きませんか。お兄さんの気持ちを汲めば、僕が貰うわけにもいかないですし、お兄さんも真優さんに観てもらえたほうが嬉しいと思うので」

 え、当の本人からは「くれぐれも女子と行くんだぞ」って念押しされたけど。

 上品な微笑みを向けられ、なんと答えたものか迷っていると、俊さんはこちらを窺うように首を傾けた。

「それとも、僕と一緒は嫌でしたか?」

 澄んだ瞳にじっと見つめられ、私はうろたえた。

「え、いや、そういうわけじゃ」

 私の曖昧な返事に、俊さんはにっこりとした笑みを作る。

「じゃあ、決まりですね。せっかくですし、その日は恋人としてデートすることにしませんか。おじいさまに聞かれたときに、デートのエピソードを話せないと困りますし」

 ええっ⁉ それって恋人たちがキャッキャッウフフする、あの⁉

 デートという言葉に、脳内で中学生男子みたいな過剰反応を起こしかけて、自分の役割を思い出した。

「わかりました。します、デート」

 言い慣れない言葉に恥ずかしさを覚えて、声が小さくなる。そんな私を、俊さんは満足そうに眺めていた。

 恋人役を引き受けたからには責任をもってやりきろうと決心し、私は漫画でデートの予習をしながら週末を待った。



「すみません、お待たせしました」

 リビングのソファでスマホを見ていた、俊さんに声をかける。

「ううん。じゃあ行こうか、真優」

 うおっ、家なのにもう名前呼びっ。それに、俊さんの微笑みがいつにも増して眩しいっ。

 映画館デートの日の今日は、俊さんからの提案で、車ではなく電車で向かうことになった。駅への道を歩き始めてすぐに、俊さんがこちらを向いた。

「真優、手、繋いでもいい?」

 まるで天気の話をするかのように難なくそう言った俊さんに、私は目を見開く。

「えっ、う、はい」

 恋人だったら、それが普通だよね。

 体が固くなるのを感じつつも承諾すると、俊さんが手を絡めてきた。

 こ、恋人繋ぎとな⁉ それは聞いてないっ。

 驚いて俊さんを見ると、余裕のある笑みを浮かべていた。

「嫌だった?」

「え、い、嫌ではない、ですけど」

 緊張しますっ。指と指が絡まってて、なんだかむず痒いっ。一体、誰がこんな繋ぎ方を恋人繋ぎと命名したんだっ。

「無理しなくていいよ?」

 右手に熱を感じながら、すぐ隣を歩く俊さんを見上げると、その言葉とは裏腹に、どこか楽しそうだった。

「俊さんはこういうの、慣れてるんですか」

「真優が初めてだよ?」

 そう言って向けられた上品な微笑みは、何となくわざとらしく思えた。

「嘘ですよね」

「よくわかったね」

 目を細めニヤリとした笑みを浮かべた俊さんは、通常運転というか、むしろいつもより生き生きしているように見えた。

 そんな俊さんの隣を、私はぎこちない足取りで歩く。先週も通ったはずの道が、今日はやけに長く感じられた。


 終始ふわふわした状態のまま、電車に乗って、この前お兄ちゃんと行ったショッピングモールへと向かった。その中にある映画館に着くと、ポップコーンの甘い匂いが漂ってきた。

 私たちの観る映画は、上映期間の終盤ということもあって、昼前の一回だけの上映になっていた。飲み物を買って中に入り、席に着く。右側から感じていた熱から解放され、久しぶりにすら感じる一人の空間で一息ついていて、ふと思った。

 恋人って、これでいいんだっけ。普通の恋人なら、映画を見るときも手を繋ぐものだっけ。ポップコーンとか買って分け合うものだっけ。肘置きで手が触れてドキッとかやるものだっけ。

 最終的に恋人ってなんだっけ、というところまで行く一歩手前で映画が始まった。初めは映画に集中できるか不安だったものの、序盤から登場したブサカワの猫が終始可愛くて、気づけば物語に入り込んでいた。

 映画を見終わり劇場を出ると、俊さんが話しかけてきた。

「面白かったね」

「はい、ラストがああなるとは思いませんでした。それに、主人公の相棒の猫が特に可愛かったです」

「真優はああいう感じが好きなの?」

「えと、ブサカワも好きですけど、見てて癒されるものが好きですかね。猫に限らず、動物のモフモフしてるのとか、まるっこいのとかが可愛くて!」

 映画の猫を思い出して、少しテンションが高くなっていた私を見て、俊さんの口から笑みが零れる。

「好きなものを語る真優も可愛いね」

 その発言に、私は一瞬フリーズした。ゆっくりと俊さんの方へ首を向けると、平然とした顔が目に入る。

 え、からかって言ったわけじゃないの? え、じゃあなに、恋人の振りをしてると、こんなことも言うの? これになんて答えるのが正解なの? ありがとうございます、だと恋人っぽくないし、俊さんも可愛いですね……いや意味わかんないな。

「にゃ、にゃあ?」

 迷走しすぎて訳わかんないこと口走ったぁっ!

 俯き気味に発したその言葉は、俊さんには聞こえていなかったようで、何も反応がなかった。

 よかった。危うく黒歴史が一つ誕生するところだった。

「真優、このあとお昼食べに行かない?」

「は、はい、たしかにもう十三時回ってましたね」

 顔に熱を感じながら、私は何事もなかったかのように返事をする。

「食べたいものとかある?」

「えと、私はなんでも……」

 いや、こういうときに何でもって答えると相手を困らせるって、漫画で言ってた気がする。

「あ、えーと、やっぱり洋食、が食べたいです」

「じゃあ、近くに美味しいお店を知ってるから、そこに行こうか」

 私のオーダーを聞くと、俊さんはすぐにそう言って、ショッピングモール近くの温かみのあるカフェに案内してくれた。

 注文を終え、映画の雑談をしていると、俊さんが頼んだオムライスと、私が頼んだ明太子パスタが運ばれてきた。店員さんの手から料理が机に置かれるまでをじっと見ていると、俊さんの声が聞こえた。

「真優、一口食べる?」

 驚いて料理から目を上げると、俊さんがこちらを見ていた。

「え、いや、そんな、悪いです」

「食べたいって顔に書いてあるよ?」

「ええっ、そんなつもりは。オムライスと迷ってたので、やっぱり美味しそうだなと思ってただけで」

 店員さんが運んでるとき、オムライスについ目が向いてたのを見られてたのかな。なんだか子どもみたいで恥ずかしいな。

「はい、あーん」

 オムライスを乗せたスプーンを私に向け、いつになく甘い声でそう言った俊さんに、私は目を丸くする。

 あーんだってっ⁉ なにゆえっ⁉ 明らかにわざとやってる感じはあるけど、私、試されてるんだろうかっ。

 ほとんど混乱状態で、私はスプーンに口をつけた。

「おいしいです。ありがとうございます」

 緊張で味、全然わからんっ。

 俊さんに目をやると、何故か仕掛けた本人が驚いていた。

 え、どういう驚き? もしかして、やらなくてよかったのかな。そう思ったら、急に恥ずかしくなってきたっ。

「えと、俊さんも一口、食べますか?」

 恥ずかしさを隠そうとしてか、恋人役を全うしようとしてか、どういうわけか、思ってもいないことが口から出ていた。

 オムライスを掬おうとしていた手を止めて顔を上げた、俊さんと目が合う。

「ありがとう。でも俺は、真優が美味しそうに食べてるところを見れたら、それで十分だから」

 俊さんから向けられた優しい微笑みとその言葉に、私は胸を撫で下ろした。

 よかった。私が言ったこととはいえ自分から「あーん」なんて、できない気しかしないから。

 それ以降は、映画や動物の話を俊さんが振ってくれて、初めのくだりは時空の狭間で起こったことかと錯覚してしまいそうになるほど、穏やかな時間が流れた。

 私が最後の一口を食べ終えると、食後のコーヒーを飲んでいた俊さんに尋ねられた。

「真優はこれから、どうしたい?」

 その質問の意味を、私はすぐには理解できなかった。

 てっきり、今日の目的は達成したから、もう帰るものだと思ってたっ。だけど、デートならこんな日が高いうちから帰らないよね、普通。どうしようっ。世の中の恋人たちはどこに行くんだろう。漫画でよく見るやつで、今からでも間に合うところは、えーと、えーと、……あっ!

「ゲームセンターとか、どうですか」

 長考の末、絞り出した答えに、俊さんの眉が若干上に動いたのが見えた。

「ゲームセンターなんて意外だけど、真優はよく行くの?」

「え、いや、そういうわけじゃ」

 行ったこともないけど。

「真優はそこに行きたい?」

 柔らかい声と澄んだ瞳に見つめられ、思わず本音を言ってしまいそうになる。

「え、っと」

 吸い込まれそうな瞳から目を逸らして、恋人としての正解を探していると、穏やかな声が耳に届いた。

「俺の行きたいところに付き合ってくれる?」



 朝と同じ道をただひたすらに歩く。唯一違っているのは、右手に熱を感じないことくらい。

「あの、この先は住宅街しかないと思うんですが、俊さんの行きたいところって、どこなんですか」

「真優もよく知ってる場所だよ」

 そう言われた数分後には、家に到着していた。

 よく知ってるというか、そりゃあ家だもの。

「帰ってきちゃいましたけど」

 意図がわからないまま、門の中に入る俊さんについていく。

「ん。真優と家でのんびりしたいと思って。おやつでも食べようか」

 えっ、それだと、いつもと変わらないけど。もしかして私がちゃんと答えられなかったから、デートに乗り気じゃないって思われたのかな。

 玄関を上がりリビングへ向かう俊さんに、私はその場で声をかけた。

「あの、私がゲームセンターって言ったのは、恋人たちが行きそうな場所かなと思ったからで、デートが嫌でそう言ったわけじゃないんです」

 誤解を解こうと思って言うと、俊さんは玄関まで戻ってきて、わかってるよ、とでも言うように微笑んだ。

「うん。でも俺は、真優がしたいことをしたかったから。真優には行きたいところ、なかったんじゃない?」

 え、バレてる。

「それに今日は無理させたから」

 え、それもバレてる。

「その、無理してたというか、普通の恋人を演じるのが、難しくて」

 隠しても意味がない気がしたので正直に白状すると、俊さんの落ち着いた声が聞こえてきた。

「恋人の振りはお願いしたけど、普通の恋人なんて演じなくていいんだよ」

 言われた言葉の意味がわからなくて、私は首を傾げる。

「でも、俊さんはそうしてたんじゃないんですか」

「俺は好きでやってただけだから」

 サラッと言われたその一言に、思考が宇宙へ飛びかけて思いとどまった。

 ああ、私の反応を見て楽しんでたって意味か、びっくりしたぁ。 俊さんはドSだからね。

「真優は俺に合わせなくていいし、やりたくないことをする必要もないよ。真優がやりたいと思ったことを一緒にできるのが、恋人だと思うから。世の中の普通じゃなくて、真優が思ってることを知れたら、俺は嬉しいな」

 俊さんに真っ直ぐに見つめられ、私は言われた言葉を反芻する。

「真優はこれから、どうしたい?」

 何を言っても受け入れてくれそうな雰囲気に少し安心して、私は口を開いた。

「えと、夕ご飯の買い物に、行きたい、です」

「じゃあ、俺も一緒に行っていい?」

 俊さんのふわっとした柔らかな微笑みが眩しくて、私は顔を逸らすように頷いていた。

 玄関を出てスーパーへの道を歩く。ただ並んで歩いているだけなのに、俊さんは朝と同じくらいごきげんだった。私の視線に気づいたのか、俊さんの端正な横顔がこちらを向いた。

「今日は何にするの?」

「えと、俊さんは何が食べたいですか」

「そうだな、真優の作るものなら何でもおいしいから好きだけど」

「何でもは、困ります」

 取るに足らないような私の発言に、何故か俊さんは口角を上げていた。

「じゃあ、餃子がいいな。俺も手伝っていい?」

「え、はい。私はありがたいですけど、今日は俊さんの食事当番の日じゃないのにいいんですか」

「うん。真優ともっと一緒にいたいから」

 淀みなく発せられたそれに、目が点になる。

 今日の俊さんは、聞いてて恥ずかしくなるセリフを平気で言うなぁ。少女漫画のヒロインの相手役ができるよ。

「あの、家でまで恋人の振りを続けなくてもいいんじゃ」

 私がやんわりと言うと、俊さんは前を向いたまま独り言のように呟いた。

「んー、これからはずっとしようかと思って」

「そうなんですね……ん?」

 今、なんて言った?

 さりげなく言われすぎて、そのまま流してしまいそうになった言葉を慌てて回収して、頭の中で復唱する。俊さんが言ったことをようやく理解して、私は急いで意思表明した。

「それは困りますっ」

「俺が勝手にやるだけだから、真優は気にせずいつも通り過ごして? それが日常になれば、何とも思わなくなるから」

 ええっ⁉ さっきと話が違うよっ。

 上品な微笑みをわざとらしく向けてくる俊さんに、私は抗議する。

「さっきの、私に合わせてくれるって意味じゃなかったんですか!?」

「そんなこと一言も言ってないよ?」

 そう言ってにんまりとした笑みを浮かべる俊さんを、私はただただ呆然と見ているほかなかった。

読んでくださってありがとうございましたらこと餅のピザを考えた人にお礼を言いたい、今日この頃です



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