5-3 その魔女の名は
魔獣の討伐から二日後の朝、ヴァロたちは街道沿いにヒルデと来ていた。
空は晴れていて、これから旅立つにはもってこいの日和だ。
ホーウェンさんは見送りに来てくれた。
ヴァロの服はすっかり直されている。
「これから聖都までか。数日かかるぞ。馬はないが大丈夫か?」
「ええ。心配なく」
問題はフィアだが、魔法もあるし心配はいらないだろう。
そのフィアはというとヴァロの影から出てこない。
昨日からホーウェンさんと目をあわせようともしないのだ。
「ホーウェンさんはこれからどうするんですか?」
「差し当たってはルーランかな。知人に会いに行く。
そのあとはまたこれから大陸中をふらふらするつもりだ」
「最後に一つ質問させて」
フィアがホーウェンの前へ出てくる。
「なんだ?」
「あの怪物が出てきてしまった時点で、どうしてあなたは逃げなかったの?
その選択もあったはずでしょう」
「そう来たか」
フィアの問いにホーウェンは困った表情を浮かべる。
「答えて」
「ここで逃げ出して『狩人』に追われることになるのがいやなだっただけさ」
フィアの問いにホーウェンはそっけなく答えた。
「…嘘ね。あなたほどの魔法使いならば、大概の相手からあなたは逃げおおせられる。
そうでしょう?カーナ四大高弟の一人『雷洸姫』ヒルデ=ラシエン」
フィアと彼女はしばらくの間見つめあう。
ホーウェンは口元に笑みを浮かべているが、眼には鋭い光があった。
「その名で呼ばれるのは久しぶりだよ。…いつから気づいていた?」
「初めから薄々は疑っていたけど、森の中の結界を見て確信したわ。
あれほどの結界を扱える者はそうはいない。加えてはぐれ魔女となれば、その対象も限られてくる」
観念したようにホーウェン…ヒルデはため息を漏らす。
「こうもたやすく正体を見破られるとはな、少し侮っていたよ。
…それで正体を知ってどうする?『紅』に私の居場所を教えるか?」
フィアは首を横に振った。
「私ではあなたを捕まえられない。それにヴィヴィに伝えたところであなたがここに留まっているとは思えない。
それにあなたのことを話せば聖剣のことまで話さなくてはならなくなる」
そうなれば聖剣と契約したヴァロの身にも危険が及ぶ。
「賢い判断だ」
彼女は決して驕っているいるわけではない。彼女の能力を一部でも知ればそれはおごりでないことは誰にでもわかる。
「昔話をしようか。かつて大魔女は三人いた。
『創世』の魔女カーナ様、『調律』の魔女サフェリナ様、『全知』の魔女ラフェミナ様。
そのお三方だれもが魔王に匹敵する力を持ち、それぞれに結社の長として
この大陸を裏から支えていた。そしてそれは同時に大陸の絶対抑止の象徴でもあった」
ヒルデはどこかそれを懐かしむかのように語りだした。
「百年前にカーナ様は魔王ミャルディッケとの戦闘においてアビスに落とされ、
十五年前、サフェリナ様がお隠れになり、三人いた大魔女はラフェミナ様ただ一人。
そして今、この大陸の各地で不穏な動きが活発化している。それに呼応するかのように…な」
「メルゴートの反乱もその一つだと?」
ヒルデは無言で首肯する。
「おそらくな。この大陸を裏で回していた歯車が少しずつ壊れつつある。
…いや壊しているモノがいる。それが何なのかは私には知りようもないが」
どこか遠くを見るようにヒルデは続ける。
「もし大魔女に代わる抑止があれば流れは変わってくるのだろうが」
「あなたがその役割を務めればいい」
「私にはその代わりは務まらない。もとより人を引っ張っていく類の人間ではないし、
あの方たちほどの力もない。こう見えて分はわきまえているつもりだ」
自嘲気味に彼女は続ける。
「…」
「あなたもいずれ大魔女の魔法を目の当たりにする。その時にいやでも自身の卑小さに直面するさ。
あの方たちは我々とは次元を異にしている。
何年研鑽を積もうと、どれだけのモノを引き換えにしようとあの方たちには及ばない」
「どうしてそれを私に?」
「予感がするんだ。ここ数年のうちに大陸全土を巻き込んだ大きな戦が起こる。…そんな予感がな」
「私にどうしろと…」
「すまない、今聞いたことは忘れてくれ。
話が逸れてしまったな。逃げなかった理由か…。
もしあなたが大切な人が苦しんでいたら…どうする?」
「それは…」
「それが答えさ」
彼女たちは人とは生きる時間も扱える力の量も違う。その存在価値は全く違うのだ。
ただヴァロはこの魔女にドーラと同じものを感じた。
あの男はヴァロのことを友といった。
あの男は魔王だ。
世界の脅威であり、そして人間とは明らかに別次元の存在だ。
違う地平に立ちながらも、同じ目線を持とうとしている。
そして共に同じ世界を歩もうとしている。
それと同じものをヴァロはヒルデから感じた。
フィアはヒルデの差し出した手をはねのける。
「それでも…私は今回あなたがヴァロにした事を許しません」
フィアはヒルデを睨むと踵を返し、その場から離れた。
「…やれやれ嫌われてしまったな」
心底残念そうにヒルデはそう口にする。
「ヴァロ殿、貴公の協力、本当に感謝する。そしてすまない。君にひどいことをしてしまった。
私からこんなことを言うのもなんだが、ヴァロ殿は体の方は大丈夫か?」
すまなさそうにヒルデ。
振り返ってみれば、魔法壁があったとはいえ、二度ほど魔獣に吹き飛ばされ、
さらにヒルデさんの特大級の雷撃の直撃を二度ほど受けている。
もし普通の人間だったら何度死んでいるかわからない。
「いえ。あれがなければ今頃俺はここにはいません。ホーウェン…いやヒルデさん。
あれを選択したのも俺ですし、必要なことだったと思います」
あれがなければヴァロは今頃あの怪物に握りつぶされていたかもしれない。
そしてあれを使うこともヴァロが選択したことだ。
「そう言ってもらえると少しだけ気が楽だ。
魔王を倒してくれたことにも感謝する。本来ならばあれは我々の役目だった」
魔王を倒すという言葉に多少の引っ掛かりを覚える。
「できることならお礼をしたいところだが、今は手持ちがない。
少しでも足しに受け取ってもらえるか?」
彼女は指にはめた指輪を手に取り、ヴァロに差し出した。
人目でヴァロはそれを高価なものだとわかる。
金や宝石がところどころに組み込まれ、小さいながらも繊細な装飾を施されている。
「こんな高価そうなもの…」
「私からのせめてもの気持ちだと思ってくれ。
貴公が私に協力してくれたことはこんなもので足りるとは思えないが…」
「受け取る前に俺からも一つ聞かせてください。あんたは黙って俺たちを巻き込むこともできたはずです。
そうしなかったのはなぜです?」
「…何だかんだ後から言われるのはしゃくだからな」
おどけたように彼女はそれを口にする。
「もうじきそれの力も尽きる。それの最後は貴公が看取ってほしい。
これはその報酬の前払いとでも思えばいいさ」
ヴァロに指輪を強引に手渡した。
そのあとヴァロの脇にある折れた聖剣を慈しむような瞳で見つめ、ヒルデは言う。
「それと聖痕は隠しておけ。
教会の連中に見つかりでもしたら大罪人確定だ。私たちと同じように教会から追われることになるぞ。
もっとも、その紋様から聖剣にたどり着ける知識をもつ人間はそうはいないだろうがな」
ヴァロの脇には折れた聖剣があり、右腕には契約者の証である聖痕が刻まれていた。
聖剣との契約者の場合それを刺繍ではなく聖痕と呼ぶらしい。
「それの最後の契約者が貴公でよかったよ」
どこか晴れやかな顔でヒルデ。それは彼女の素なのかもしれない。
その顔に一瞬ヴァロは思わず目を奪われた。
「そういえばクラントさんは?」
そう言ってヴァロは彼女から視線を外した。
「一見派手にやられてはいるが無事だよ。見送りにはきてはいないがな。
なんだ負かした相手の心配か?」
「彼とは武器なしでもう一度手合せ願いたいですから」
「…貴公も相当だな。そう伝えておく」
あきれたようにヒルデは呟く。
「それではホーウェンさん…」
「ヒルデでいい。狭い世界だ。お互いまた出会うこともあるだろう。
それと…こんなことを言えた義理ではないが…。あの方を…フィア様をよろしく頼む」
ヒルデは深々と頭を下げた。
「はい」
ヴァロは頭を下げられたことに若干の動揺を見せつつ、彼女の言葉に頷く。
ただ彼女がフィア様を頼むといった意味その意味が、そしてどうして様とつけたのか
この時のヴァロには理解できなかった。
ヒルデは反転するとヴァロたちに背を向ける。
ふと懐かしい気配を感じ、ヒルデは思わず振り返った。
振り返った先には二人の影が遠くにある。
「…まさかな」
彼女は首を振るとヴァロたちから背を向けた。
彼女と再び出会うのはもう少し先の話だ。
そしてその時にはまた違ったカタチで出会うことになるのだ。




