第7話 街への訪問
朝日が昇ってから、しばらくが経った。
街道を進む荷馬車の上で、主人公は前方に広がる景色を眺めていた。
道の両側には畑が増え始め、遠くには農作業をしている人々の姿も見える。
時折、反対方向から荷馬車がやってきて、互いに道を譲り合いながらすれ違っていった。
緩やかな丘を越えたところで、ようやく目的の街が姿を現した。
「おお……」
街を囲むように、高い石造りの城壁が続いていた。
その向こうには赤茶色の屋根を持つ建物が密集し、ところどころから煙が立ち上っている。
正面には大きな門があり、荷馬車や人々が列を作っていた。
「昔旅行で行ったヨーロッパに似てるかな。それより、建物がまだ新しい感じがするね」
『建築様式には共通する部分がありますね』
主人公は街並みを眺めながら、少し笑った。
『始まりの街ですね』
「そうだね」
この世界に来てから、すでに何年も経っている。
しかし、その大半は自分で作った訓練施設の中で過ごしてきた。
衛星やドローンを使って都市の様子を観察したことはあっても、実際に人々の暮らす街を訪れるのは初めてだった。
門を出入りする人々の声や、街から漂ってくる生活の匂い。
遠くから眺めているだけでも、人々の営みが伝わってくる。
「この辺の街って、こういう感じなんだね」
『はい。この地域では比較的一般的な構造です。都市の規模や建築様式には地域差がありますが』
「ふうん。じゃあ、もっと大きな街もあるんだ」
『はい。王都や主要な交易都市には、さらに大規模なものも存在します』
「へぇ」
主人公は街並みを眺めながら、馬車を進めた。
門へ近づくにつれて、人々の声がはっきりと聞こえてくる。
荷物を積んだ馬車を誘導する門番。
入市の順番を待ちながら談笑する商人たち。大きな籠を背負った農夫らしい男。
街の入口には、想像していた以上に活気があった。
主人公は後ろを振り返った。
荷台には、山賊から救出した女性が座っている。
その傍らには、清潔な布に包まれた夫の遺体が安置されていた。
「もうすぐ門ですね。先ほどお話ししたとおり、門番の方には事情を説明していただけますか?」
「はい。分かりました」
「ありがとうございます」
女性は小さく頷いた。
その顔にはまだ疲労の色が残っていたが、昨夜に比べれば随分と落ち着いている。
やがて主人公の荷馬車も、門番の前へ到着した。
「止まってくれ」
槍を持った男が御者台へ近づいてくる。
主人公は手綱を引き、馬車を停めた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。街へは何の用だ?」
「僕は観光……というか、初めて来たので、少し見て回ろうかと思いまして」
「観光?」
門番は主人公の服装を眺めた。
見慣れない柄のポンチョだが、狩人が身につける衣服だと思えば、それほど不自然でもない。
主人公は後方へ目を向けた。
「あ、この荷馬車は後ろの彼女のもので、山賊に襲われていたので助けました」
「山賊?」
門番の表情が変わった。
「ちょっと確認させてもらうぞ」
「はい。お願いします」
門番が荷馬車の後方へ回る。
幌をめくったところで、男は目を見開いた。
「……あんた!」
女性が顔を上げる。
「あ……」
「商会の娘さんじゃないか! しばらく姿を見なかったが、どうしたんだ?」
女性は小さく頷いた。
「……はい。夫と一緒に街道を進んでいたところを、山賊に襲われまして……」
門番の視線が、荷台の奥へ移った。
布に包まれた人の形。
それだけで、何があったのか察したらしい。
「……そうか」
男は表情を曇らせた。
女性は俯きながら、言葉を続けた。
「夫は殺されて、私は捕まっていたんです。でも、こちらの方が助けてくださって……」
門番は主人公を振り返った。
「そうだったのか。いや、疑って悪かったな」
「いえ。お仕事ですから」
主人公は軽く会釈した。
門番はもう一度女性へ視線を向けた。
「親父さんも心配してるだろう。あんたが行方不明になってから、商会の連中も探してたぞ」
「……そう、だったんですね」
女性は唇を結んだ。
「帰ったら、父に話します」
「ああ。そうしてやってくれ」
門番は主人公へ向き直った。
「それで、山賊はどうなったんだ?」
「全員討伐しました。十三人です」
「……十三人?」
男の顔つきが変わった。
「街道沿いの森にいた連中か?」
「ええ。そのあたりですね」
「ここしばらく、あの街道で商人が何人も襲われていてな。護衛をつけた荷馬車までやられてる。相当な手練れらしく、討伐に向かった連中も返り討ちに遭っていて、街でも手を焼いてたんだ」
門番は主人公を改めて見た。
「……あんた、一人でやったのか?」
「まあ」
主人公は短く答えた。
門番はしばらくその顔を見つめたが、やがて小さく息を吐いた。
「……詳しくは聞かんが、大したもんだな」
それから続ける。
「頭目を含めて何人かには、ギルドから懸賞金も懸かってる。首があれば報酬を受け取れるはずだ」
「そうなんですね」
主人公は頷いた。
「ちなみに、ギルドはどのあたりにありますか? 一度見てみたくて」
「街の中心だ。大通りをまっすぐ進めば広場に出る。その一角に大きな建物があるから、すぐ分かると思うぞ」
「ありがとうございます。助かります」
門番は女性へ向き直った。
「馬車は自分で動かせそうか?」
「はい。大丈夫です」
「そうか。親父さんのところまで気をつけて帰れよ」
女性は頷いた。
主人公は御者台から降り、女性へ手綱を渡した。
「それじゃあ、僕はここで失礼しますね」
「はい。本当にありがとうございました」
「ああ、そうだ。お返しするものがありました」
主人公は荷台に積まれていた袋の一つを取り、女性へ差し出した。
山賊から回収した品物のうち、彼女と夫の所有物だと確認できたものを、あらかじめまとめておいたのだった。
「こちら、奪われていたものです」
女性は袋を受け取り、中を確かめた。
「……あっ」
小さな首飾りを取り出す。
そのまま、しばらく動かなかった。
「……これ、夫が……」
声が震えた。
女性は首飾りを両手で包み、胸元へ抱きしめた。
主人公は何も言わずに待った。
やがて女性が顔を上げる。
「……ありがとうございます」
「いえ。元々あなたたちのものですから」
女性は深く頭を下げた。
主人公は軽く笑った。
「どういたしまして。お気をつけて」
それから馬の頬を軽く撫でた。
「またね」
馬は小さく鼻を鳴らした。
主人公は女性へ軽く手を振ると、街の方へ向き直った。
「さて、と」
『ギルドへ向かわれますか?』
「うん。せっかくだし、街も見て回りたいね」
『では、経路を表示します』
「よろしく」
視界に淡い光の線が現れた。
主人公はそれに沿って歩き始めた。
*
街の中は、想像していた以上に賑やかだった。
石畳の道が続き、その両側には木造や石造りの建物が立ち並んでいる。
一階が店になっている建物も多く、開け放たれた扉からは店主と客のやり取りが聞こえてきた。
野菜や果物を並べた店。
布地を売る商人。
鍛冶屋らしい建物からは、金属を叩く音が響いている。
主人公は周囲を眺めながら、ゆっくりと歩いた。
「結構賑やかだね」
『この地域では、交易の盛んな街の一つです』
「なるほど。道も思ってたより綺麗だね」
『主要な通りは定期的に整備されています。ただし、裏通りや居住区では状況が異なります』
「ふうん」
通りを歩く人々の服装もさまざまだった。
質素な麻の服を着た者もいれば、色鮮やかな上着を羽織った商人らしい人物もいる。
腰に剣を下げた者も珍しくない。
主人公は興味深そうに周囲を眺めていたが、不意に足を止めた。
「……ん?」
鼻をくすぐる、香ばしい匂い。
炭火で何かを焼いているらしい。
「……いい匂い」
『少し先に、串焼きを販売している屋台があります』
「おっ、行ってみよう」
主人公は少し足を速めた。
角を曲がると、通りの脇に小さな屋台が見えてきた。
炭火の上には何本もの串が並び、肉から落ちた脂が炭に触れるたび、じゅっと音を立てて煙が上がっている。
肉は何種類かあるようだった。
大ぶりに切られた赤身肉の串もあれば、小さな肉片をいくつも刺した串もある。
視界に重ねられたARには、それぞれの肉の種類が表示されていた。
「いらっしゃい!」
店主は中年の男だった。
「こんにちは。いい匂いですね」
「おう、ありがとうよ! 一本どうだ?」
「いただきます。その串焼きを一本お願いします」
店主が値段を告げる。
主人公は山賊から回収した硬貨の中から、必要な額を取り出して渡した。
店主は焼き上がった串を一本取り、主人公へ差し出す。
「ほら、焼きたてだ。熱いから気をつけな」
「ありがとうございます」
主人公は串を受け取った。
表面にはこんがりと焼き色がつき、湯気とともに香辛料の香りが立ち上っている。
「いただきます」
一口かじる。
「……っ!」
思わず目を見開いた。
炭火で焼かれた皮は香ばしく、肉にはしっかりとした弾力がある。
噛むほどに濃厚な旨味が広がり、脂の甘みと香辛料の風味が絶妙に重なっていた。
「山鳥、うっま!」
店主が顔を上げた。
「おっ、山鳥を知ってるのかい?」
「ええ。食べたのは初めてですけど、すごくおいしいって聞いたことがあって」
「そうかい! こいつはなかなか手に入らねえんだ。今日は運よく仕入れられてな」
「へえ、そうなんですね」
主人公はもう一口食べた。
「いや、これはおいしいなあ」
「ははは! 気に入ってもらえてよかったよ」
主人公は串を食べ終えると、炭火の上を眺めた。
「ちなみに、ほかの肉は?」
「こっちは豚、そっちは羊だな。あとは鶏もあるぞ」
「いいですねぇ」
主人公は少し考えた。
「今焼けてるの、全部いただいてもいいですか?」
「……全部?」
「はい。山鳥も、ほかの種類も全部」
店主は思わず炭火へ目を向けた。
「結構な量だぞ?」
「大丈夫です。持って帰りますから」
「そうかい。なら、ありがたい話だ!」
店主は嬉しそうに笑った。
「ちょっと待ってな。包んでやるから」
「ありがとうございます」
店主は焼き上がった串を種類ごとに分け、紙と布で包んでいく。
主人公は代金を払い、用意してもらった大きな袋を受け取った。
「はいよ、お待たせ!」
「ありがとうございます。ごちそうさまでした」
「ああ、また来てくれよ!」
「はい。また寄らせてもらいます」
主人公は軽く手を振り、屋台を離れた。
袋から別の串を取り出し、歩きながらかじる。
「……おっ、こっちもおいしい」
『ずいぶんお気に召したようですね』
「山鳥って、日本だと取引が制限されてるから食べたことなくてね。キジもおいしかったけど、それ以上だなあ」
『それは何よりです』
「今度捕りに行こうかな」
『では、群生地を調べておきますね』
「ありがとう。……あんまり捕りすぎてもよくないよね」
主人公は肉をかじりながら、少し考えた。
「あ、養殖すればいいのか」
『ふふっ。そちらも調べておきましょうか』
「うん、お願い」
主人公は満足そうに頷いた。
「さて、次は……」
そう言いかけた時だった。
少し先の通りから、怒鳴り声が聞こえてきた。
「こらっ! 待ちやがれ!」
主人公はそちらへ顔を向けた。
一人の小さな子供が、人々の間を縫うように走っている。
腕にはパンを抱えていた。
その後ろから、太い棒を持った男が追いかけてくる。
「このガキ! また盗みやがって!」
子供は必死に走っていた。
だが、足元の石に躓き、派手に転んだ。
「あっ……!」
抱えていたパンが地面へ転がる。
子供は慌てて起き上がろうとしたが、足を押さえて顔を歪めた。
そこへ男が追いついた。
「てめえ……!」
男は子供の襟を掴み、乱暴に引き起こした。
「何度も何度も、人の店から盗みやがって!」
子供は何も言わない。
ただ、怯えた目で男を見上げていた。
男が棒を振り上げる。
「すみません」
横から声がかかった。
主人公だった。
「どうしたんですか?」
男が振り返る。
「なんだ、あんた?」
「何かあったんですか?」
「見りゃ分かるだろ! このガキが俺の店からパンを盗みやがったんだ!」
「そうでしたか」
主人公は子供へ目を向けた。
痩せた身体に、擦り切れた服。
男に掴まれながらも、その視線は地面に落ちたパンへ向いている。
「お金なら僕が払いますよ」
「……あ?」
男の手が止まった。
「盗まれた分、僕が払います。それで許してあげてもらえませんか?」
「いや、あんた……」
男が何か言いかけた、その瞬間だった。
子供は男の腕から身体を捻るように抜け出した。
落ちていたパンを掴み、足を引きずりながら駆け出す。
「……あっ、おい!」
男が振り返った時には、子供は人混みの向こうへ逃げ込んでいた。
「くそっ! 逃げやがった!」
男は追いかけようとしたが、主人公へ視線を戻した。
「……で、あんた、本当に払うんだろうな?」
「ええ。もちろんです」
主人公は頷いた。
「今までにどのくらい盗まれたんですか?」
「……何?」
「今日の分も含めて、被害額を教えてください」
男は怪訝そうに主人公を見た。
「なんでそこまで払うんだ?」
「まあ、何となくです。見てしまいましたし」
男はしばらく黙っていたが、やがて大きく息を吐いた。
「……正確には分からねえよ。あいつら、前にも何度か盗みに来てやがるんだ」
「そうなんですね」
「ああ。こっちだって余裕があるわけじゃねえんだ。毎日朝から晩まで働いて、それでも大して残らねえってのに」
男の声には、まだ怒りが残っていた。
「盗む方は簡単だろうけどよ。こっちはそのパン一つ作るのにも金と手間がかかってんだ」
「ええ。おっしゃるとおりです」
主人公は頷いた。
「では、今までの分も含めて、大体いくらぐらいでしょうか?」
男は少し考え、金額を告げた。
主人公はそれを聞くと、ポンチョの下へ手を入れ、小さな革袋を取り出した。
「こちら、今おっしゃった金額の百倍は入っています」
「……は?」
男は袋を受け取った。
中を覗き、目を見開く。
「お、おい……!」
主人公を見る。
「何だよ、これ……」
「補償と、少しお願いがあるので、その分です」
「……お願い?」
「はい。もしまたあの子たちが来たら、今度は食べ物を渡してあげてもらえませんか?」
男の表情が険しくなった。
「……あんたなあ」
ため息をつく。
「さっきの話、聞いてたか?」
「ええ。もちろん」
「俺はあいつらに何度も盗まれてんだぞ。これ以上、餌付けなんかしてどうするんだ」
「そうですね」
主人公は頷いた。
「盗みが癖になってしまうのも困りますしね」
「だったら……!」
「ですから、今度は盗まなくても食べられるようにしてあげてほしいんです」
男は口を閉じた。
「もちろん、店主さんに損をしてほしいわけじゃありません。今渡したお金から、食べさせた分を引いてもらえればいいですし」
「……そういう問題じゃねえんだよ」
男は袋を握りしめた。
「一人に飯を食わせてやったら、次は別のガキが来る。そいつにもやったら、また別の奴が来る。そんなことしてたら、きりがねえだろ」
「ええ。そうかもしれませんね」
主人公は男を見た。
「でも、あの子は随分お腹が空いていたみたいです」
「……だからって盗んでいいわけじゃねえ」
「はい。それはそのとおりです」
主人公は否定しなかった。
「ただ、お腹が空いて、ほかに食べる方法が思いつかなかったのかもしれません」
男は黙った。
主人公は少しだけ考え、それから何気ない調子で口を開いた。
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」
「……何だ、そりゃ?」
「昔の偉い人の言葉です。これこそ律法と預言者である、だったかな」
主人公は少し笑った。
「まあ、僕は預言者じゃありませんけどね」
男は怪訝そうな顔をしていた。
主人公はその様子を見て、軽く肩をすくめた。
「僕も毎日困っている人を探して助けているわけじゃないですし。ただ、今日はあの子が目に入ったので」
男は手元の袋へ視線を落とした。
「……そんな簡単な話かよ」
「僕にとっては、ですけどね」
主人公は少し笑った。
「店主さんにはご負担をおかけしますから、その分はお支払いします。あとは、お願いを聞いていただけるかどうかです」
男はしばらく黙っていた。
青年の言っていることは、理屈としては分かる。
少なくとも、金を払わずに善意だけを求めてくるわけではない。
だが、何度も盗まれてきた怒りが、それだけで消えるわけでもなかった。
「……俺だってな」
男はぽつりと言った。
「最初から殴ろうと思ってたわけじゃねえんだ」
主人公は何も言わず、続きを待った。
「一度目は追い払った。二度目は怒鳴った。それでもまた来やがる。こっちが甘い顔をすりゃ、何度でも盗んでいいと思われるだろ」
「そうですね」
「……あいつらだって、好きでこんなことしてるわけじゃねえんだろうけどよ」
男は小さく息を吐いた。
主人公は頷いた。
「そうかもしれませんね」
男はしばらく袋を見下ろしていたが、やがて顔を上げた。
「……分かったよ」
「ありがとうございます」
「ただし、盗みは駄目だってちゃんと言うぞ。次からは店に来て、飯が欲しいって言えとな」
「ええ。ぜひそうしてあげてください」
主人公は嬉しそうに笑った。
男は苦笑した。
「……あんた、変わってんな」
「そうですか?」
「ああ。こんな金を出して、赤の他人のガキのために頭を下げるなんてよ」
「まあ、僕がそうしたいだけですから」
主人公は軽く会釈した。
「それでは。ありがとうございました」
「ああ。……ありがとな」
主人公はその場を離れた。
男はしばらく、その背中を見送っていた。
*
「さて、と」
主人公は歩きながら、先ほどの子供が逃げていった方向へ目を向けた。
「さっきの子、どこ行った?」
『追跡しています。少し離れた路地裏に入りました』
「怪我してたよね」
『はい。転倒した際に足首を捻挫しています。骨折はありませんが、歩行には痛みを伴う状態です』
「そっか。じゃあ、ちょっと行ってみようかな」
『経路を表示します』
「ありがとう」
主人公は大通りから外れ、細い路地へ入った。
先ほどまでの賑やかさが嘘のように、周囲は静かになっていく。
建物の壁には汚れが目立ち、道の端には壊れた木箱や古い布などが積まれていた。
大通りと比べると、石畳も荒れている。
「……結構違うもんだね」
『この一帯は、比較的所得の低い住民が多い地域です』
「なるほど」
主人公は周囲を眺めながら進んだ。
やがて、路地の奥から小さな話し声が聞こえてきた。
「……大丈夫?」
「うん……」
「だから、一人で行っちゃ駄目って言ったのに」
「だって……みんな、お腹空いてたから……」
「それでも、捕まったらどうするの!」
「……ごめん」
「もういいから。足、見せて」
「……痛い」
建物と建物の間に、少し開けた場所があった。
そこには、何人もの子供たちが集まっていた。
まだ幼い子もいれば、十代に入っていそうな子供もいる。
着ている服は古く、あちこちに継ぎが当てられていた。
その中心で、先ほどパンを盗んだ子供が地面に座り込んでいる。
足首は腫れ、痛そうに顔を歪めていた。
主人公が姿を現すと、子供たちが一斉にこちらを向いた。
そして、空気が変わった。
「……誰?」
少し年長の少女が立ち上がった。
ほかの子供たちを庇うように、一歩前へ出る。
「何の用ですか?」
警戒した声だった。
主人公は足を止めた。
「こんにちは」
少女は答えない。
主人公の背後では、怪我をした子供をほかの子供たちが支え始めていた。
一人が肩を貸し、もう一人が荷物を抱える。
少しずつ、路地の奥へ移動している。
少女はその様子を背中で感じながら、主人公から目を離さなかった。
「さっき、足を怪我した子がいたから、ちょっと様子を見に来たんだけど」
その言葉に、怪我をした子供が顔を上げた。
「あ……さっきの……!」
少女は振り返らなかった。
主人公を見つめたまま、尋ねる。
「……知ってる人?」
「うん……! さっき、お店の人に叩かれそうになった時、助けてくれた人!」
少女の目が僅かに動いた。
しかし、警戒は解かなかった。
「……何が目的ですか?」
主人公は少し考えた。
「怪我の治療と、あとはこれ」
持っていた袋を軽く持ち上げる。
「お腹減ってるでしょ?」
包みの口を開くと、串焼きの肉が見えた。
香ばしい匂いが、路地裏に広がる。
子供たちの視線が、一斉に袋へ集まった。
少女は主人公を見つめたまま、動かなかった。
「……どうして?」
「どうしてって言われても……」
主人公は少し笑った。
「まあ、怪我してたら痛いでしょ?」
少女は目を細めた。
ほんの一瞬、背後へ意識を向ける。
怪我をした子供は、仲間に支えられながら少しずつ離れていた。
逃がすなら、もう少し時間が欲しい。
少女は再び主人公を見た。
主人公はその様子を眺めていたが、特に指摘しなかった。
「……さすがに怪しすぎるか」
小さく笑う。
「まあ、僕の自己満足だから。邪魔なら帰るけど」
少女は答えなかった。
主人公は少し考え、それから袋を前へ差し出した。
「じゃあ、まずはこのお肉だけ受け取ってくれる?」
少女は動かない。
その時だった。
「……お肉!」
後ろにいた小さな子供が、思わず前へ出てきた。
「……っ!」
少女の顔が僅かに引きつった。
止めようと手を伸ばしかけたが、子供はすでに主人公の前まで来ていた。
「食べてもいいの……?」
主人公は頷いた。
「うん。どうぞ」
袋から串を一本取り、差し出す。
子供は両手で受け取った。
「……ありがとう!」
それを見たほかの子供たちも、少しずつ近づいてきた。
主人公は袋を少女へ差し出した。
「よかったら、みんなで食べて」
少女は一瞬迷った。
しかし、すでに子供たちが肉を受け取っている以上、ここで拒む意味も薄い。
何より、食料は必要だった。
「……いただきます」
少女は小さく答え、袋を受け取った。
主人公は軽く頷いた。
「じゃあ、横ちょっとごめんね」
そう言って、少女の横を通り抜けた。
少女は一瞬身体を強張らせたが、妨げることはしなかった。
主人公は怪我をした子供の前で足を止めた。
「ちょっと失礼」
しゃがみ込み、足首へ手をかざす。
「ヒール」
次の瞬間、腫れていた足首が元の形へ戻った。
赤みが引き、傷んでいた部分が何事もなかったかのように治っていく。
「……え?」
子供は自分の足を見つめた。
恐る恐る動かしてみる。
「……あれ?」
もう一度。
今度は少し強く。
「……痛くない」
主人公は頷いた。
「うん。治ったね」
子供は仲間の肩から手を離し、地面に足をつけた。
少し歩いてみる。
それから、軽く跳ねた。
「……痛くない!」
驚いたように主人公を見た。
「すごい! 痛くない!」
周囲の子供たちも、目を丸くしている。
「魔法……?」
誰かが呟いた。
主人公は立ち上がった。
「じゃあ、治ったみたいだし、僕はこれで」
そう言って、軽く手を振る。
「じゃあね」
主人公が歩き出すと、背後から声が聞こえた。
「おっちゃん!」
振り返る。
先ほどの子供が、嬉しそうに手を振っていた。
「ありがとう!」
主人公は少し笑った。
「どういたしまして」
そのまま立ち去ろうとして、ふと思い出したように足を止める。
「あ、そうだ」
子供たちへ向き直った。
「さっきのパン屋にはお金払っておいたから、様子を見てみて」
子供たちは顔を見合わせた。
「パンくれそうなら貰ってごらん。盗まなくても貰えるかもしれないよ」
主人公は少し笑った。
「まあ、慎重にね」
それだけ言うと、今度こそ歩き出した。
少女は何も言わなかった。
ただ、主人公の背中を見つめていた。
子供たちが肉を食べ始めても、その視線は動かなかった。
やがて主人公の姿が路地の角を曲がり、見えなくなる。
それから、ようやく少女は小さく息を吐いた。
「……何、あの人」
近くにいた別の少女が呟いた。
「……分からない」
少女は手元の袋へ目を落とした。
中には、まだ何本もの串焼きが残っている。
そして、先ほどまで足を引きずっていた子供は、今ではほかの子供たちと一緒に肉を頬張っていた。
その顔には、もう痛みの色はない。
少女はしばらく考え込んだ。
「……ねえ」
近くにいた少女が顔を上げる。
「何?」
「……あの人」
そこで一度、言葉を止めた。
それから、主人公が消えた方を見る。
「……ちょっと、見てくる」
もう一人の少女は、しばらく彼女を見ていた。
そして静かに頷く。
「私も行く」
二人は顔を見合わせると、ほかの子供たちに声をかけ、路地を出ていった。
その間に、子供たちの髪や衣服にいた虱と卵は、誰にも気づかれることなく取り除かれていた。
*
「さて、ギルドだね」
主人公は大通りへ戻り、視界に表示された経路に沿って歩いていた。
周囲には相変わらず多くの人が行き交っている。
先ほどよりも店が増え、商人らしい人々の姿も目立つようになっていた。
『後方から、先ほどの子供たちのうち二名がついてきています』
「ん?」
主人公は振り返らなかった。
「尾行?」
『はい。一定の距離を保ちながら移動しています』
「へえ」
主人公は少し笑った。
「まあ、いいんじゃない?」
『承知しました』
主人公はそのまま歩き続けた。
途中、露店に並んでいた果物を眺めたり、鍛冶屋の店先に置かれた剣を見たりしながら、街の中心へ向かう。
やがて、大きな広場に出た。
その一角に、周囲の建物よりも一回り大きな建物があった。
石造りの一階部分に、木造の上階が載ったような造りで、正面には大きな看板が掲げられている。
入口では武器を持った男たちが談笑し、荷物を抱えた者が出入りしていた。
「おお、ここか」
『はい。こちらがギルドです』
主人公は建物を見上げた。
「それっぽいねぇ」
『ご想像に近いでしょうか?』
「うん。ちょっとテンション上がるね」
主人公は楽しそうに笑った。
「あ、そうだ。首を出しておこうか」
『では、二つの袋に分けておきますね』
「お願い」
aiによって、ストレージ内に収められていた十三人分の首が、大きな袋二つに分けられた。
首は一つずつ布で包まれ、血液や臭いが漏れないように処理されている。
主人公は人の流れが途切れたところで、ストレージから二つの袋を取り出した。
どちらも相当な重さだったが、主人公は両手に一つずつ持ち、気にした様子もなく歩き出した。
入口へ近づくと、革鎧を身につけた男たちがこちらを一瞥した。
この地域では珍しい顔立ちに加え、大きな袋を二つも抱えている。
男たちは一瞬、不思議そうな顔をしたものの、特に声をかけてくることはなかった。
主人公は二つの袋を片手にまとめ、空いた手で扉を開けた。
中は広かった。
正面にはいくつもの受付が並び、その前には依頼を受けようとする人々が集まっている。
壁には紙が何枚も貼られ、依頼の内容らしい文字が書かれていた。
右手には食堂のような空間があり、テーブルを囲んで食事をしている者もいる。
酒の匂いと、料理の香りが混じっていた。
「へえ……」
主人公は内部を見回した。
「本当にギルドって感じだね」
『実際に、護衛や傭兵、採集などの仕事を仲介しています。賞金首の討伐確認もこちらで行われています』
「なるほど。じゃあ、受付だね」
主人公は空いている受付へ向かった。
カウンターの向こうには、若い女性が座っていた。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「賞金首を討伐したので、確認をお願いしたいんですが」
「討伐証明ですね。対象はどなたでしょうか?」
「東の街道沿いで活動していた山賊です。十三人の一団だったんですが」
受付の女性の表情が変わった。
「……あの山賊団ですか?」
「はい」
「討伐されたのは、どなたでしょうか?」
「十三人全員です」
女性は一瞬、言葉を止めた。
「……全員、ですか?」
「ええ」
主人公は頷いた。
「討伐の証拠もあります。首で確認できると伺ったんですが」
「あ、はい。首をお持ちでしたら、本人確認が可能です」
女性は一度、主人公が抱えている二つの袋へ目を向けた。
「……そちらに?」
「はい」
受付の女性は小さく息を呑んだ。
それから、すぐに表情を整える。
「少々お待ちください」
受付の奥にいた職員へ声をかける。
すぐに、年配の男性がやってきた。
「どうした?」
「東の街道の山賊団を討伐されたという方が……」
「何?」
男は主人公へ視線を向けた。
「証拠はあるのか?」
「はい」
「なら確認しよう。こちらへ来てくれ」
主人公は案内に従い、受付の奥にある部屋へ入った。
そこには大きな木製の机が置かれていた。
男は机の上を示す。
「ここに出してくれ」
「分かりました」
主人公は二つの袋を机の脇へ置き、そのうち一つから布に包まれた首をいくつか取り出した。
男の表情が険しくなった。
一つ目の顔を確認し、息を呑む。
「……こいつは」
次の顔を見る。
「……間違いない」
さらに別の首へ視線を向ける。
「……おいおい」
男は主人公を見た。
「本当に、あの一団をやったのか……」
「はい」
「ほかの連中は?」
「全部で十三人です。全員分ありますよ」
男は額へ手を当てた。
「……ちょっと待ってくれ」
背後の棚から書類を取り出し、一枚ずつ確認し始める。
主人公はその様子を眺めていた。
賞金が設定されているのは十三人全員ではなく、頭目や幹部を含む数名だけだった。
また、一人は仲間の魔術によって顔が焼けており、通常の顔貌照合には適さない状態になっている。
主人公はその首については無理に確認を求めず、照合できるものを優先して提出した。
男は書類と首を見比べながら、何度も頷いていた。
やがて顔を上げる。
「……確認には少し時間がかかる」
「そうですか」
「ああ。少なくとも、この頭目と幹部については間違いないと思うが、正式な照合と支払いの手続きが必要だ」
「分かりました」
主人公は頷いた。
「じゃあ、少し待っていますね」
「ああ。確認が終わったら呼ぶ。それまでは食堂でも使っていてくれ」
「ありがとうございます」
主人公は軽く頭を下げ、部屋を出た。
*
ギルドの食堂は、思っていた以上に賑わっていた。
武器を立てかけた男たちが酒を飲み、仕事を終えたらしい者たちが食事をしている。
主人公は空いているテーブルを見つけ、腰を下ろした。
「さて、何食べようかな」
『先ほど串焼きを召し上がったばかりですが』
「あれはおやつでしょ」
『そうでしたか』
「うん。せっかく初めての街だし、いろいろ食べたいじゃん」
『ふふっ。そうですね』
主人公は周囲のテーブルを見回した。
パンやスープ、肉料理に、野菜を煮込んだようなものもある。
「いいねぇ」
やがて給仕の女性が近づいてきた。
「ご注文は?」
「こんにちは。おすすめってありますか?」
「今日なら、肉の煮込みと焼きたてのパンがおすすめですよ」
「おっ、いいですね。じゃあ、それをお願いします。あとスープも」
「かしこまりました」
女性は頷き、厨房へ戻っていった。
主人公は椅子へ深く腰掛け、店内を眺めた。
こうしていると、本当にただの旅人になったような気がする。
この世界に来てから、何年も経つ。
しかし、知らない街で食事を注文し、人々の会話を聞きながら待つという経験は、初めてだった。
「……なんか、楽しいね」
『楽しんでいただけているようで何よりです』
「うん。やっぱり外に出てよかったなあ」
主人公は満足そうに笑った。
その時だった。
『主様』
「ん?」
『先ほどから後をつけていた二名が、建物の中へ入りました』
「ああ、あの子たち?」
『はい。現在、主様の方を見ています』
「ふうん」
主人公は自然な動作で視線を動かした。
入口の近くに、二人の少女が立っていた。
どちらも、先ほど路地裏で見かけた子供たちだった。
古びた服を着ており、周囲の大人たちから少し距離を取っている。
二人は何かを話し合っているようだった。
一人が主人公を見て、もう一人へ小さく頷く。
それから、二人はこちらへ歩き始めた。
主人公はその様子を眺めながら、少女たちが近づいてくるのを待った。
二人はテーブルの少し手前で足を止めた。
近くで見ると、どちらもひどく痩せている。
しかし、その目は真剣だった。
先ほど路地裏で見せていた警戒とは、少し違う。
何かを決めてきたような、そんな表情だった。
二人は一度だけ顔を見合わせた。
そして、一人が小さく息を吸う。
「……あの」
主人公は顔を上げた。
「はい?」
少女は唇を結び、主人公をまっすぐ見た。
「……お願いが、あります」




