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第6話 初めての実戦

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

夜の森を、主人公は静かに進んでいた。


足元には落ち葉や枯れ枝が散らばっているが、足音はほとんどしない。

身体強化によって足運びを制御し、必要に応じて魔法で体重の一部を支えているためだった。


視界には、山賊たちの位置が赤い輪郭で表示されている。


残り十一名。


二人の見張りを撃ち倒してから、拠点内の様子に変化はなかった。

主人公はライフルを構えたまま、木々の間を進んだ。


拠点までの距離は、すでに百メートルを切っている。


天幕の間では焚き火が小さく燃え、時折、薪の爆ぜる音が聞こえていた。

少し離れた場所には松明が立てられているが、拠点の大部分は暗闇に沈んでいる。


『拠点内の十一名、位置を継続して捕捉しています』

「了解」


主人公は足を止め、周囲の配置を確認した。

焚き火のそばに一名。残り十名は周囲の天幕に散らばっている。

ARを使えば、天幕の内部にいる人間も正確に捕捉できる。


必要なら、遮蔽物を貫通させる射撃や魔法によって、全員を一方的に排除することも難しくない。

光学迷彩を使えば、そもそも敵に姿を見せる必要すらなかった。


しかし、それでは訓練施設で標的を撃つのと大して変わらない。

今回の目的は、実際にこの世界の人間を相手にした戦闘を経験することだった。

剣や弓、可能であれば魔法による攻撃も確認しておきたい。


もちろん、不必要な危険を冒すつもりはない。

aiが戦況を監視し、身体能力や防御能力も必要に応じて調整されている。


主人公はライフルを肩へ引きつけ、照準を合わせた。

焚き火のそばにいた男が、酒瓶を手に取る。


その胸元へ二発。


抑えられた発砲音が連続し、男が後ろへ倒れた。

『一名排除』


主人公はすぐに銃口を移した。


銃声に反応して、近くの天幕が揺れる。

「なんだ!?」

「おい、今の音は!」

二人の男が天幕から飛び出してきた。


主人公は一人目の胴体へ二発、続く男にも二発を撃ち込む。


二人が地面へ倒れた。


挿絵(By みてみん)


『残存八名』


主人公は銃口を維持したまま、拠点へ近づいていく。

次の天幕から、剣を手にした男が現れた。

こちらの姿を認め、口を開く。


その直後、胸元に二発の銃弾が命中した。

男は声を上げる間もなく倒れた。


『残存七名』


主人公は焚き火の光が届かない木陰に身を置き、次の動きを確認した。

奥の天幕から、矢をつがえ、弓を引き絞った男が飛び出してくる。

男は周囲を見回し、倒れている仲間たちに気づいた。


「どこだ!」


弓を引き絞ったまま、銃声のした方向へ矢先を向ける。

主人公の姿は暗闇に紛れていたが、わずかに焚き火の光が届く場所へ移動した際、その輪郭が木々の間に浮かび上がった。


男は即座に狙いを定めた。


主人公は、男が弦から指を離す瞬間を見ていた。


次の瞬間、aiによって知覚処理が加速された。

周囲の動きが急激に遅くなる。


飛び出した矢が、まるで水中を進んでいるかのように、ゆっくりと近づいてきた。


主人公は身体を射線から外すと同時に、前方およそ三メートルの位置へ透明な障壁を展開した。

矢は障壁に衝突し、その場で停止する。


主人公はすぐにライフルの照準を弓兵へ戻した。


二発。


男の胸元に銃弾が命中し、後ろへ倒れた。

障壁が消え、止まっていた矢が地面へ落ちる。


『残存六名』


主人公はそのまま前進した。

知覚処理はすでに通常の状態へ戻されている。


数年間の訓練では、至近距離から発射されたライフル弾さえ、身体強化と知覚能力の加速によって回避した経験がある。


今の矢も、十分な余裕を持って対処できる攻撃だった。


主人公は視界に表示された次の敵へ意識を向けた。

天幕の陰に、一人の男が潜んでいる。


剣を構え、主人公が近づくのを待っているようだった。

主人公はその位置を把握したまま、歩みを進めた。


男が飛び出してくる。


大きく振り上げられた剣が、主人公の頭上へ振り下ろされた。

主人公は左手を伸ばし、刃先を親指と人差し指で挟み込んだ。


剣が止まる。


男の腕に力が入るが、刃は微動だにしない。

驚愕する男の腹部へ、主人公は蹴りを放った。


鈍い衝撃音が響く。


男の身体は凄まじい勢いで後方へ吹き飛び、天幕の支柱をへし折って地面へ叩きつけられた。

腹部への衝撃は全身に及び、複数の臓器が破裂していた。


『対象の生命反応が停止しました』


主人公の左手には、男が握っていた剣が残っている。

主人公はライフルをスリングに預け、左手で刃先を保持していた剣を、振れるように右手で握り直した。


その横から、もう一人の男が剣を手に飛び込んできた。

主人公は奪った剣を右手一本で振るった。


刃が男の胴体を通り抜ける。

ほとんど抵抗はなかった。


男の身体が上下に分かれ、地面へ崩れ落ちた。


『残存四名』


主人公は剣をストレージへ収納し、スリングで保持していたライフルを再び両手で構えた。

視界の奥で、赤い輪郭の一つが動いている。


男は先端に赤い石の埋め込まれた杖を握り、何かを唱え始めていた。

ARの表示が更新される。


「……魔道具か」


『魔術による攻撃を準備しています。予測される威力は、主様の防御能力で問題なく耐えられる範囲です』


主人公は一瞬だけ考えた。

この世界で初めて目にする魔術による攻撃。

その威力は確かめておきたい。


ただ、自分自身で受ける必要はない。


主人公がそう考えた時には、aiがすでに行動を開始していた。

先ほど倒した山賊の遺体が、魔力によって持ち上げられる。


主人公が立っていた位置へ遺体が移動し、その背後に透明な障壁が展開された。

同時に、主人公自身は高速移動によってその場から離脱する。


周囲の人間にはほとんど知覚できない速度で、男の側面へ回り込んだ。

一連の動作は、男が詠唱を終えるより早かった。


「燃えろ!」


杖の先端から炎の塊が放たれた。

炎は一直線に飛び、主人公がいた位置に置かれた遺体へ命中する。


激しい炎が広がり、周囲の草木を赤く照らした。


ほぼ同時に、男の側面から二発の銃声が響いた。

男の胸元に銃弾が命中する。


杖が手から離れ、男はその場に倒れた。


『残存三名』


主人公はすぐに次の対象へ照準を移した。

残った三名は、すでに拠点の外へ逃走を始めていた。


『三名とも北西方向へ逃走中です』


主人公はライフルを構えたまま、地面を蹴った。

身体強化によって加速した身体が、木々の間を駆け抜ける。


視界には逃走する三名の位置と移動方向が表示されていた。

先頭の男が木々の間を走っている。


主人公はその背中へ照準を合わせ、胴体に二発を撃ち込んだ。

男が前のめりに倒れる。


残った二人が背後を振り返った。

一人は剣を抜き、もう一人はさらに速度を上げて逃げようとした。


主人公は止まらなかった。

剣を抜いた男へ二発。


続けて、逃走する最後の男へ照準を移す。

二発。


最後の男が地面へ倒れた。


主人公はそのまま数秒間、ライフルを構えていた。

視界に表示されていた赤い輪郭が、すべて消えている。


『全十三名の生命反応停止を確認しました。周辺に新たな脅威はありません。戦闘終了です。お疲れさまでした』


「……ふぅ」


主人公はゆっくりと息を吐いた。


心拍はまだ少し速い。

身体に疲労や痛みはないものの、興奮が残っていることは分かった。

訓練で身につけた技術は、実戦でも問題なく使えた。剣も、弓も、魔術も、想定していた範囲で対処できている。


人を殺したことへの後悔も、特になかった。

「……こんなものか」


『なお、拠点の外れに、先日襲撃された商人の女性が拘束されています。現在は意識を失っていますが、生命に差し迫った危険はありません』


「了解。先に片づけようか」

主人公はライフルを構え直し、拠点へ引き返した。


しばらくして、先ほどの魔術攻撃が行われた場所へ戻ってきた。

焼け焦げた遺体が、地面に倒れている。


「さて、どのくらいの威力だったんだろう」

『着弾時の記録を表示します』


視界に、魔術攻撃の瞬間が再生された。

炎が遺体に衝突し、瞬く間に全身を包み込んでいる。

背後に展開していた透明な障壁には、炎が広がったものの、損傷は確認されなかった。


「結構な火力だね」

『はい。通常の人間であれば、致命的な熱傷を負う可能性が高い威力です』


「障壁は?」

『損傷はありません。構造的な変化も検出されていません』


「なるほど。問題なし、と」

主人公は満足そうに頷いた。


近くには、魔術を使った山賊が倒れている。

主人公はその手元へ歩み寄り、小さな杖を拾い上げた。

先端には赤い魔石が埋め込まれていた。


「これ、どういう仕組みなの?」

『魔石に蓄積された魔素を、杖に刻まれた術式によって炎として発現させる構造と考えられます』


「へえ。中身も見せて」


視界に、杖の内部構造が表示された。

木製に見える本体には、細い金属が複雑な模様を描くように埋め込まれている。

魔石の周囲にも、細かな加工が施されていた。


「おお、結構ちゃんと作ってるんだね」

『高度な魔術道具ではありませんが、魔素への干渉を再現する仕組みとしては興味深いものがあります』


「うん。これは面白いな」

主人公は杖を手の中で回し、しばらく眺めていた。


「とりあえず、持って帰ろうか」

『承知しました』


杖がストレージへ収納された。

主人公は改めて拠点を見渡した。

倒れた山賊たちの身体、散乱した武器、破壊された天幕。

あちこちに戦闘の痕跡が残っている。


「さて、後片づけだね」

『山賊の所持品と拠点内の物資を確認しています』


「金品と武器は全部回収して。何か使えそうなものがあれば、それも」

『承知しました』


主人公の視界に、回収対象が次々と表示された。

剣、弓、短剣、硬貨、装飾品。

天幕の奥に置かれていた木箱や袋の中身も、aiによって分類されていく。


「結構あるね」


『過去の襲撃で奪った品物が多数含まれていると考えられます』

「なるほど」


『なお、この山賊団については、周辺の街で討伐報酬が設定されています』


「え、賞金首なの?」


『はい。首領を含む複数名が討伐対象となっています』

「ラッキー」

主人公は少し笑った。


「討伐した証拠って、首とか持っていけばいいのかな」

『この地域では、討伐対象の首を持参して身元を確認する方法が一般的です』


「じゃあ、首は全部取っておこうか」

『承知しました』


次の瞬間、山賊たちの首が次々とストレージへ収納されていった。

切断されたばかりの首元から、鮮血が流れ出す。


十三人分の首が、すべて回収された。


「それじゃ、残りは……」

主人公は拠点内を見渡した。


ここに現代の銃弾や薬莢が残れば、この世界では不自然な痕跡になる。

山賊たちの遺体にも、剣や弓とは異なる傷が残っていた。

自分の能力や装備について、余計な情報を与える理由はない。


「銃弾と薬莢も全部回収しておいて」

『はい。着弾痕を含め、戦闘に由来する痕跡を確認しています』


「ありがとう。遺体は……燃やすと森が燃えるのも嫌だし、埋めちゃおうか」

『承知しました』


主人公が意識を向けると、首を失った山賊たちの遺体が次々と空中へ浮き上がった。

少し離れた場所の地面が大きく開き、深い穴が現れる。

十三人分の遺体が穴の底へ降ろされると、土が戻り、地面は元の姿になった。


続いて、周囲に散らばっていた銃弾や薬莢が回収されていく。


『周辺の戦闘痕跡についても、処理を完了しました』

「ありがとう。じゃあ、女の人を迎えに行こうか」

『位置を表示します』


主人公はライフルを構えたまま、拠点から少し離れた木々の間へ向かった。


そこには、一人の女性がいた。


衣服を身につけておらず、両手を頭上で縛られ、木の幹にもたれかかるようにして倒れている。

長い髪は乱れ、身体にはいくつもの傷が残っていた。


主人公はその姿を見て、わずかに目元を引きつらせた。

「……ひどいな」


『数日前、街道で夫とともに山賊の襲撃を受けた商人の女性です』

主人公は周囲を確認しながら、女性へ近づいた。


手の届く距離まで来たところで、ライフルをスリングに預け、右手でハンドガンを抜いた。


『意識はありません。脱水と栄養不足、複数の外傷が見られます』


「じゃあ、治療してあげて」

『承知しました』


拘束していた縄が切断され、女性の身体が魔力によってゆっくりと支えられた。

傷が塞がり、皮膚の腫れや変色が消えていく。

体内の水分や栄養状態も調整され、衰弱していた身体が健康な状態へと戻されていった。


「……そういえば、この子、山賊に捕まってた時のことも全部覚えてるんだよね」

『はい』


「うーん。そこまで鮮明に覚えてなくてもいいんじゃないかな」

『記憶の一部を曖昧にする処置は可能です』


「じゃあ、お願い。何があったかは分かるけど、嫌な場面を鮮明に思い出さなくて済むぐらいで」


『承知しました。本人の人格や、それ以外の記憶には影響しない範囲で調整します』

「うん。それで」


処置が完了すると、女性の身体に新しい衣服が着せられた。

ほどなくして、女性の瞼が小さく動いた。


「……ん……」

ゆっくりと目を開く。


ぼんやりとした視線が、主人公の顔を捉えた。

その瞬間、女性の身体が強張った。

「……っ!」


慌てて身を起こし、木の幹へ背中を押しつける。

「だ、誰……?」


主人公は穏やかに答えた。

「山賊ではないですよ。あなたを助けた者です」


女性は何も答えなかった。

怯えた表情のまま、主人公を見つめている。


「信じられませんか。そうですよね」


主人公は少し考えた。

「証拠に、山賊はほら、このとおり」


ストレージから山賊の首が一つ現れた。

女性の目が大きく見開かれる。

「……ひっ!」


短い悲鳴を上げると、そのまま意識を失った。

「あら」


主人公は首をストレージへ戻した。

「この子、街まで送るから運んでくれる?」

『承知しました』


女性の身体がふわりと浮き上がった。


主人公はハンドガンをホルスターに収め、ライフルを構え直すと、馬の繋がれている場所へ歩き始めた。

視界には、馬たちの位置がARで表示されている。


「おうまさーーーん」

主人公は少し楽しそうな声を上げた。


木々の間に、数頭の馬が繋がれている。

先ほどの銃声や騒ぎのためか、馬たちは落ち着かない様子だった。


主人公はライフルをスリングに預け、ARで示された一頭の前で足を止めた。


『この馬は、先ほど救助した女性が所有していたものです。襲撃前の観測記録と照合し、確認しました』


「じゃあ一緒に家に帰ろうか」

まず、手の甲を馬の鼻先へゆっくりと差し出す。


馬が首を伸ばし、匂いを嗅いだ。


主人公はその様子を見ながら、しばらく待った。

やがて馬が落ち着いたところで、そっと頬へ手を当てた。


「君の飼い主を街まで運ぶの、手伝ってね」

馬は小さく鼻を鳴らした。


「うん。いい子だね」

主人公は軽く笑い、馬の背中へ目を向けた。


「……面倒くさいし、鞍なしでいいや」

主人公は軽く地面を蹴り、馬の背へ跨がった。


女性の身体が魔力によって持ち上げられ、その前方へゆっくりと移動する。

主人公は女性が落ちない位置に収まったことを確認した。


「ほかの馬も、ここに残したら可哀そうだし、ストレージに入れてくれる?」

『承知しました。適切な生存環境を用意して収容します』


残りの馬たちが、次々と姿を消した。

主人公は手綱を軽く動かした。


「よし。行こうか」

馬がゆっくりと歩き始める。

主人公はその動きに合わせて身体を揺らしながら、森の中を進んでいった。


「……この子、歩くの上手だなあ」


『訓練された馬のようですね』


「うん。性格がいいのかな。優しい子なんだろうね」

主人公は馬の首筋を軽く叩いた。


「ごめんね。鞍もなしで」

馬はそのまま、落ち着いた足取りで進んでいく。


しばらくして、aiが声をかけた。

『主様。街道へ戻る前に、少し寄り道をされてはいかがでしょうか』

「ん?」


『この女性と夫が襲撃された地点の近くに、荷馬車が隠されています。女性を運ぶのであれば、そちらを利用する方がよろしいかと思います』


「なるほどね。じゃあ、そっちへ行こうか」

『経路を表示します』


視界に薄い光の線が伸びた。

主人公はそれに沿って馬を進めた。

やがて木々の間に、大きな荷馬車が見えてきた。

車輪の一部が泥に沈み、幌には複数の傷が残っている。


「……結構やられてるね」

『襲撃時に損傷したものです』


主人公は馬を停め、ゆっくりと地面へ降りた。


女性の身体はaiが魔力で支え、そのまま空中に浮かせている。

主人公はライフルを構え、荷馬車へ近づいた。

幌をめくると、荷台にはいくつかの木箱や袋が残されていた。


そして、その奥には一人の男性が横たわっている。

主人公は男性へ目を向けた。


『この女性の夫です。襲撃の際に殺害され、その後、荷馬車とともにこの場所へ運ばれました』

「……そっか」

主人公は短く答え、男性の遺体を見下ろした。


血に汚れた衣服と、身体に残る複数の傷。

すでに息はない。


「……とりあえず、綺麗にしてあげようか」

『承知しました』


男性の身体と衣服から血液や泥の汚れが取り除かれた。

傷や衣服の破損はそのままに、遺体の身なりだけが整えられていく。

主人公は遺体を清潔な布で包み、荷台へ静かに寝かせた。


「馬車の方は?」

『車輪と車軸の一部に損傷があります。また、積荷の固定が緩んでいます』


「じゃあ、直しておいて」

『承知しました』


荷馬車がわずかに持ち上がり、泥に沈んでいた車輪が元の位置へ戻る。

歪んだ部品が修復され、荷台の木箱や袋も整えられていった。

主人公は残された積荷へ目を向けた。


「荷物、結構残ってるね」

『山賊は換金しやすい品物を持ち去り、それ以外の嵩張る品物や価値の低い品物を荷馬車とともに放置したようです』


「なるほどね」

主人公は軽く頷いた。


「じゃあ、この子も乗せようか」

『はい』


宙に浮いていた女性の身体が、荷馬車へゆっくりと運ばれていく。

aiによって用意された寝具の上に、女性が静かに横たえられた。

そのそばには、軽食と飲み物を収めたバスケットも置かれていた。

主人公はその様子を確認してから、先ほど乗っていた馬へ向き直った。


「もうちょっと頑張ってね」


馬は小さく耳を動かした。


「ありがとう」

主人公は優しく頬を撫で、馬を荷馬車へ繋いだ。


それから御者台へ上がり、手綱を握る。

「さて、今度こそ街に向かおうか」

『承知しました。経路を表示します』


主人公は手綱を軽く動かした。

馬が歩き始め、荷馬車がゆっくりと動き出す。

林を抜けると、月明かりに照らされた街道が現れた。

土の道には、馬車が通った轍がいくつも残っている。


主人公はその道へ荷馬車を進めた。


「……やっぱ揺れるねー」

『路面の凹凸が大きいですからね』


「アニメの主人公なら、ここでサスペンション付けるって騒ぐやつだ」

『そうですね。お付けしますか?』


「いや、借り物だしいいよ」

主人公は少し笑った。


車輪が地面の凹凸を拾うたび、荷馬車が小さく揺れる。

それでも、夜の街道を馬車で進むというのは、なかなか悪くなかった。


「わっちは好きでありんす」

『ふふっ。会えるといいですね、あの狐に』


「狐じゃなくて狼だけどね」

『そうでしたね(笑)』


主人公は笑いながら、手綱を握り直した。

夜の街道には、ほかに人影は見えない。

遠くでは虫の声が聞こえ、風が草を揺らしている。


荷馬車は一定の速度で進んでいった。


やがて、東の空がわずかに明るくなり始めた。

夜明けが近い。


「そろそろ朝か」

『はい。日の出まで、もう間もなくです』


「街までは?」

『現在の速度ですと、まだしばらくかかります』


「まあ、急ぐ必要もないしね」

主人公は軽く頷いた。


その時、背後から小さな物音が聞こえた。


「……ん……」


主人公はすぐに手綱を引き、馬車を停めた。

振り返りながら右手でハンドガンを抜き、身体へ引きつける。


荷台では、女性がゆっくりと身体を起こしていた。

ぼんやりとした目で周囲を見渡している。


「……ここは……?」


「おはようございます」

主人公は穏やかに声をかけた。


女性は驚いたようにこちらを見た。

「……あなたは……」


「昨日、山賊のところでお会いしましたよね」

女性の表情が強張った。


何かを思い出したように、身体を小さく震わせる。

主人公は少し苦笑した。


「ああ、昨日はすみません。驚かせてしまいましたね」


女性はしばらく主人公を見つめていた。

それから、自分の身体へ目を落とす。

見覚えのない服を着ている。


手首にあった縄の痕も、身体の傷も消えていた。

女性は戸惑った様子で腕を撫でたが、やがて荷馬車の内部へ目を向けた。


木箱。

袋。

傷の残る幌。

どれも見覚えがある。


「……これ……」

女性の声が震えた。


「……私たちの、馬車……?」


「はい。山賊が隠していたものを見つけました」


女性はゆっくりと周囲を見回した。


そして、荷台の一角で視線が止まった。

そこには、清潔な布に包まれた、人の形をしたものが横たわっていた。


「……あ……」


女性の顔から、血の気が引いていく。

しばらく動かなかったが、やがて震える声で尋ねた。


「……あの……」


「はい」


「……夫は……?」


主人公は一瞬だけ、女性の視線の先へ目を向けた。

「……そちらに、いらっしゃいます」


女性は主人公を見つめた。

その表情から、何かを察したのだろう。

唇が小さく震えた。


「……そんな……」


女性はゆっくりと布のそばへ近づいた。

膝をつき、震える手を伸ばす。

布をめくると、そこには夫の顔があった。


「……あなた……?」

女性は夫の頬へ手を当てた。


「……ねえ……」

返事はない。


「……起きて……」

何度も呼びかける。

それでも男性は目を開けなかった。


「……いや……」

女性は夫の身体へ縋りついた。


「いや……お願い……起きて……」

声が次第に大きくなっていく。


「お願い……!」

そのまま女性は泣き崩れた。


主人公は何も言わなかった。

ハンドガンを身体の近くに保持したまま、静かにその様子を見守っていた。


やがて女性は、夫の身体に顔を埋めたまま、声を押し殺して泣き始めた。

主人公はそっとハンドガンをホルスターへ収めた。


「……街まで、お送りしますね」


女性から返事はなかった。


主人公はそれ以上声をかけず、前へ向き直った。

手綱を取り、馬をゆっくりと歩かせる。

荷馬車が再び動き始めた。


しばらくの間、荷台からは女性の泣き声だけが聞こえていた。

主人公は何も言わず、前方に続く道を見ていた。


やがて、女性の泣き声が少しずつ収まっていく。

夫のそばに座ったまま、女性はそっと自分の下腹部へ手を当てた。

しばらくそのまま動かなかった。


やがて、涙を拭い、ゆっくりと顔を上げる。

「……あの……」


主人公が振り返る。

「はい?」


「……助けていただいて……本当に、ありがとうございました」

女性は深く頭を下げた。


「いえ。ご無事で何よりです」

主人公は穏やかに答えた。

女性は顔を上げ、もう一度小さく頭を下げた。


主人公は少し考え、口を開いた。

「……食べにくいとは思いますが、何か召し上がりませんか?」


女性は首を振りかけた。

「……いえ、私は……」


「ずいぶん長い間、まともに食べていなかったようですし。少しでも食べた方がいいと思いますよ」

主人公は荷台に置かれたバスケットへ目を向けた。


「そちらのバスケットに、パンと飲み物を用意してあります。無理にとは言いませんが、食べられそうになったらどうぞ」

女性はバスケットを見つめた。


それから、再び主人公へ目を向ける。

「……ありがとうございます……」


主人公は小さく頷き、前へ向き直った。


荷馬車は静かに街道を進んでいく。

東の空から、朝日が昇り始めた。

柔らかな光が街道を照らし、遠くの山並みが少しずつ姿を現していった。


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